第9話 こんな時、どんな顔をしたらいいのか分からないんだ……(笑えばいいと思うよ。 ――ヒィッ!?

「ってわけでぇ~。これがあ~しの手で生まれ変わったオタク君の真の姿でぇ~す!」

「ドーモ……。オオタ=クロウです」


 自慢気な明星に紹介され、硬直するクラスメイトに九朗がオジギする。


 自分がイケメン? そんなまさか! 何かの間違いだろ!?


 いまだに現実を受け入れられていない九朗である。


 クラスメイトの反応も恐ろしい。


 緊張のせいで、九朗は復讐に燃えるディストピアSFマッポーニンジャのようになっていた。


 九朗的には世界ワールドの名を冠するゲロ以下のスタンド使いになった気分である。


 教室に向かう道中、彼の顔を見た生徒達が驚愕の表情と共に、時間停止能力の射程範囲に入ったみたいにカチンと停止するのだ。


 そして九朗が通り過ぎた後、それまで止まっていた時間を取り戻すかのように騒ぎ出す。


『だ、誰だあのイケメン!?』

『顏こえぇ……、でもかっけぇー……』

『日野さんあいつの事オタク君とか呼んでなかった?』

『信じらんない……』


 全く同じ事が教室でも再現されていた。


 いや、それは正確ではない。


 同じクラスで、九朗の事を知った気になっている生徒達だ。


 陰気で地味な、キモくて不気味でヤバい噂塗れの犯罪者予備軍みたいな前髪オバケのクソデカ猫背男が、一夜にして凄腕の殺し屋かヤクザのリーサルウェポンみたいに眼光の鋭い超絶イケメンになって戻ってきたのである。


 その驚きはその他の比ではない。


 耳鳴りがする程の静寂の中、噴火寸前の火山みたいに沸々と何かが満ちる気配があった。


 雷雲に蓄えられた静電気が突然空気の絶縁を破って雷に変わるように、不意にそれは限界を迎えた。


「「「「えぇぇぇぇぇぇえええええええええええ!?」」」」


 窓ガラスが揺れる程の驚愕の合唱。


 次いで聞こえたのは、ボタボタと降り注ぐゲリラ豪雨のような困惑の声である。


「嘘でしょ!? アレがオタク君!?」

「ないない、絶対ない!?」

「絶対別人だって!?」

「アイエー! イケメン!? イケメンナンデ!?」

「嘘だと言ってよ日野さん!?」

「なにがどうなってるんだってばよ!?」


 頭を抱えて慌てふためくクラスメイト達。


 ここに来るまで何度も見た光景だが、慣れる事はない。


 だって九朗は自分の事をずっとバケモノ級のブサイクだと思っていたのだ。


 そんな自分が実はイケメンだったと言われても急には信じられない。


 それよりは、みんなでグルになって自分を騙しているとか、不思議な力によって一夜にしてイケメンの概念が書き変わってしまったという方が余程納得出来る。


 そんなわけで、九朗は夢を見ているような気分で茫然としていた。


 実際に夢じゃないかと思って何度も頬を抓っているが、冷める気配はまるでない。


「あはははは! みんなちょ~驚いてるし! マジウケる。ねぇオタク君?」


 愉快そうに笑いながら、明星が話を振って来る。


 そんな事を言われても、九朗はどう返していいのか分からない。


「ぁ、あぁ……」

「なに? どったのオタク君? 褒められてるのに元気ないじゃん?」

「……そういうわけじゃないんだが。こんな時、どんな顔をしたらいいのか分からないと言うか……」

「笑えばいいと思うよ」


 ポンと背中を叩いて励ますように、明星がニッと笑う。


 いつものように眩しくて、それでいて自然で、初めて見るタイプの笑顔だ。


 以前から思っていた事だが、日野明星という女子は驚く程に豊富な笑顔のバリエーションを持っている。


 不意にそう思ったのには理由があった。


「……無理だよ」

「いやいや、無理な事ないっしょ。笑うだけだよ?」

「……あんまり笑った事ないし。笑い方が分からない……」


 楽しかったり面白かったら笑うのだろう。


 それくらいは分かるのだが、そもそもこれまで生きていて楽しい事や面白かった事がほとんどない九朗である。


 大体、笑顔と言うのはそれを見せる相手があってのものだ。


 一人で笑っていたら怖い人である。


 ボッチの九朗はほとんど笑った事がない。


 だから当然、笑い方も分からない。


 笑顔を浮かべろと言われても、どうやったらいいのだろう。


 どんな風に顔の筋肉を使ったらいいのだろう。


 そんな風に悩んでしまう。


 だからこそ、これ程自然に、豊富な笑顔を見せる明星をすごいと感じた。


「あ~……」


 明星の目に軽い同情が浮かぶ。


 が、すぐに気持ちを切り替えたらしい。


「とりま笑ってみなよ。てか笑った方がいいと思う。オタク君さぁ、イケメンな事は間違いないんだけど、普通にしてるとちょっと怖いって言うか、不機嫌そうじゃん?」

「……そんなつもりはないんだが」


 九朗は困惑した。


 本当に全然、そんなつもりはない。


 九朗的にはごく自然なデフォルトの表情のつもりである。


「オタク君的にはそうかもしんないけどさぁ……。眉間に皺寄っちゃってるし、目も睨んでるみたいだし、その癖他は完全無表情だし……。多分だけど、前髪のせいじゃない?」

「どういう事だ?」

「だって前髪越しじゃ見づらいじゃん。オタク君って猫背だし。それで睨むような癖ついちゃったんじゃない? 前髪あると人から表情見えないから愛想笑いとかする必要ないし。表情筋が退化しちゃってるんだよ」

「な、なるほど……」


 言われてみるとその通りな気がした。


 前髪越しに物を見ようとすれば、自然に眉間に力が入る。


 前髪で表情が隠れているから、愛想笑いを浮かべる必要なんて今までなかった。


「まぁ、ただの勘だけどね」

「いや、その通りだろう。女の勘はよく当たると聞いた事がある」

「それはちょっと意味が違うと思うけど……」


 明星の苦笑いを九朗は謙遜と受け取った。


「……けど日野さん。普通の人間は普段から愛想笑いを浮かべるものなのか?」

「ん~。愛想笑いって言うとアレだけど。多少は周りからの見え方気にするんじゃない? ……いや、結構気にするか。自分で言うのもなんだけど、あ~しみたいな目立つタイプは特にそうかも」

「……なるほど」


 驚きの事実だった。


 というのは少し大げさだが。


 九朗としては、周りの人間が浮かべれるそれは、全て天然自然の表情だと思っていた。


 ところが実際は、表情というのはTPOを気にして作るものらしい。


 笑顔と同じで、それを見る相手を意識するのは当然の事なのかもしれないが。


 そんな相手のいなかった九朗にとっては、それこそ意識した事すらない事実だった。


「もぉ! オタク君さぁ、難しく考えすぎだって! 折角イケメンになったんだし、っていうか元からイケメンではあったっぽいけど。とりま生まれ変わったみたいなもんじゃん? これを機にイメチェンしてみんなに好かれようよ! その為にはまずはスマイル! ほら、笑って笑って」


 笑い方をレクチャーするように明星が自分の両頬を人差し指で持ち上げる。


 自分のような人間が今更人に好かれるなんて思わない。


 というか、そんな考えすら思いもよらないのだが。


 とりあえず明星の言う事なので従っておく。


「こ、こうか?」

「ヒィッ!?」


 見よう見まねで笑ってみると、明星の顔が引き攣った。


 仕方ない。


 本人には見えないが、九朗の笑顔は酷い物だった。


 それこそ、錆びついた表情筋を無理やり動かしただけという感じで、目は全然笑っていない。


 例えるなら、人間に擬態する食人生物の笑みモドキといった感じだ。


 これがSFサスペンスなら、今の笑顔で正体がバレるシーンである。


 なんにせよ、明星の反応で九朗も自分の笑顔はダメだという事だけは理解した。


「……やっぱり無理だ」

「ご、ごめんてば!? だって今のは流石にヤバすぎなんだもん!? 落ち込まないでよ! これから練習すればいいっしょ? ――でも、今の笑顔は人前じゃやらない方がいいよ。マジで」


 慌ててフォローしつつ明星が耳打ちする。


「……頑張ってはみるけど」


 高一にもなって今更笑顔の練習だ。


 つくづく自分は人間失格なのだなと思う九朗だった。

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