第8話 アレがオタク野郎とか嘘だろ!?(残念でしたぁ、事実で~す!
翌朝の事である。
「ちょっと、誰あれ……」
「あんなイケメンうちの学校にいた!?」
「……うわぁ。かっこいい……」
校門前では、登校中の女子達が目を丸くしてザワついていた。
視線の先にいるのは明星の手により生まれ変わったオタク君こと太田九朗である。
なんという事でしょう!
あんなに鬱陶しかった陰キャ丸出しの前髪は跡形もなく切り落とされ、奇妙な色気を発するちょっと皮肉っぽい薄い唇、スッと通った立体的な鼻、殺し屋のように眼光の鋭い切れ長の目と二重瞼、少女漫画の登場人物みたいにスラリとした輪郭、明星によって整えられた形の良い眉やニキビ一つ見当たらない綺麗なおでこがこれでもかと露出している。
黒々とした髪の毛は大胆なベリーショートで、暴力的な顔面偏差値を誇示するように後方へと流されている。
顏だけ見ればファッション雑誌の表紙か映画のポスターを飾っていてもおかしくはない、パーフェクトなチョイ悪イケメンに仕上がっている。
もっとも、当の方人はへっぴり腰で校門を支える壁に身を潜め、困り顔で立ち往生しているのだが。
(う、うぅ……。メチャクチャ見られてる……。みんな俺の顏見てギョッとしてるし……。やっぱり俺、変な顔なんだ!)
バカである。
だが、いったい誰に九朗を責める事が出来るだろうか?
人格形成に関わる幼少の大事な時期に顔が怖いと言われて散々な目に遭った九朗である。
前髪で顔を隠した後だって、キモイウザいヤバい怖いとひどい扱いを受けてきた。
そんな九朗に自尊心の育つ余地などあるはずもなく。
自己肯定感はゼロを振り切って余裕のマイナス。
近くで誰かが笑っていたら自分の事を笑っている。
近くで誰かが内緒話をしていたら自分の事を悪く言っている。
誰かがこっちを見ていたら、なんにしたって良い理由ではないに違いない。
当然のようにそう思い込む超ネガティブ思考の持ち主になってしまっていた。
九朗の陰キャフィルターを通してしまえば、女子達のうっとり見惚れる様子も軽蔑と嫌悪、嘲笑の視線に見える。
溜息交じりに囁かれる賛美の声は全て陰口に変換された。
大体、女子達もイケメン相手には気を使うので、なにを言っているか分からない程度の声量なのである。
なんにしろ、九朗は晒し者になっている気分だった。
(……日野さんは褒めてくれたけど、やっぱりあれは間違いだったんだ。俺を辱める為の嘘……とは流石に思えないが……。いや、わからないだろ! そもそもあんな可愛い子が俺なんかに優しくするのがおかしな話なんだ! 日野さんにはメリットなんか一つもないし! ……仮に日野さんが本当に良い人だとしてもだ、それはそれで異常だから、美的センスが狂っていてもおかしくない。つまり、やっぱり俺は酷いブサイクなんだ!)
なんて事をグルグル考えている。
明星を信じたい気持ちはある。
だが、それ以上に自分の事が信じられない。
自分自身に裏切られ続けた九朗にとって、自分を信じるという行為がなによりも難しいのだった。
(……だめだ。こんなんじゃ、とてもじゃないけど教室になんか行けっこない。日野さんに悪意があったら俺は笑い者だし、なかったとしても、俺がみんなに笑われている姿を見たら日野さんは傷つくだろう。……それはダメだ! やっぱり今日は学校を休もう……。それで、カツラでも探して前髪を取り戻すんだ……)
そもそも今朝の段階で学校を休もうか悩んだ九朗である。
だが、両親は九朗の変化に肯定的で、大袈裟ではなく涙を流して喜んでいた。
『クーちゃんがイケメンになってる!?』
『しかも九朗に友達が出来たなんて! 母さん、今日はお祝いだ!』
まさかクラスの陽キャギャルの罰ゲームに付き合わされているだなんて言えない。
色々あったのでそういった事に関して両親はかなり敏感なのだ。
明星の本心を説明したとしても、事情が込み入り過ぎて信じやしないだろう。
だから九朗は、新しく出来た友達が色々心配して切ってくれたんだと説明した。
そしたらこの通り、昨晩は寿司にピザにケーキが届く大騒ぎになってしまった。
両親は親バカなので正常な判断力を失っているのだろう。
それで渋々今朝は普通に登校したのだが。
学校を休むとなるとそれはそれで両親を心配させる事になる。
……だが、そこは上手くやるしかない。
幸い両親は共働きだ。
先生には親のフリをして連絡しよう。
家では上手く行っている事にして、学校に行くときだけカツラを被ればいい。
あぁ、なんだかとんでもなく面倒な事になってしまった……。
なんてゲッソリしていたら。
「オタク君? そんなとこでなにしてんの?」
「どぉわぁあああ!?」
例によって背後から声をかけられて、九朗は文字通り飛び上って驚いた。
「いやいや、大袈裟過ぎっしょ」
「だって! 日野さんが後ろから声かけるから……」
「あ~しの方が後から来たんだから後ろから声かけるしかなくない?」
「そうだけど……」
九朗は困った。
ここで明星に出会ってしまったら、余計に話が面倒になる。
「ははぁ~ん。わかったし。さてはオタク君、ビビってそこで立往生してたっしょ?」
「そ、そんなわけ、ないだろ……」
「嘘乙! オタク君嘘下手すぎ! 超目泳いでるじゃん!」
ケラケラと快活に明星が笑う。
「……そんな事ないけど。なんか日野さん、テンション高くないか?」
「そりゃそうっしょ! この顔なら勝ち確決定だし! 教室に行ったらみんなどんな顔するか超楽しみじゃん! てかその髪型超良くない? 元の顏が良いのもあるけど、我ながら素材の良さを引き出しまくり~、みたいな? 本当イケメン! 何度見ても惚れ惚れしちゃう!」
ずいっと顔を近づけて、うっとりと明星が九朗の顔を眺める。
「ち、近いって!?」
恥ずかしくなり、真っ赤になって九朗は顔を背けた。
明星もハッとなって赤くなり、誤魔化すようにそっぽを向く。
「ご、ごめん……。勘違いしないでよ! 惚れ惚れって言っても、作品的な意味でのアレだから! 好きになっちゃったとか、そういう系のアレじゃないから!」
「いや、それは勿論わかってるけど」
真顔になって九朗は言う。
人気者のティア1女子の陽キャギャルが自分なんかに惚れると思う程バカでもなければ自惚れてもいない。
そもそも明星は善意でやってくれているのだ。
そこにつけ込んで下心を出すなんて許されない事である。
それなのに、何故か明星はムッとした様子だった。
「即答されるとそれはそれでなんかムカつくんですけどぉ……」
「なんでだよ!?」
「あ~しが知るわけないでしょ!?」
「えぇ……」
理不尽である。
まぁ、九朗からすれば他人なんてみんな理不尽な存在だから、この程度の事は目を瞑るが。
「……それはそうと日野さん。あんまり俺の事をオタク君って呼ばないでくれないか」
「あっ……。ごめん……。みんなも呼んでるし、あ~しが盛り上げて良い意味になればとか思ってたんだけど……。やっぱ嫌だった?」
明星はしゅんとするのだが。
「いや全然。俺がオタクなのは事実だし慣れてるから気にはしないんだが……。ここでその名を呼ばれると不味いと言うか……」
「? 意味わかんないんだけど」
キョトンとして明星が首を傾げる。
九朗はそっと明星の耳元に顔を近づけ。
「俺の正体がバレると困る。……その、日野さんには悪いんだけど、やっぱり俺、イケメンじゃないよ。気付いてないみたいだから言うけど、みんな俺の顏見てギョッとしてる。ブサイク過ぎてビックリしてるんだ。だから今日は学校休むよ。俺の事は心配しないでくれ。カツラでもつけて誤魔化すから。日野さんには感謝してる。気持ちも嬉しかったし。でも、やっぱり現実はラノベみたいにはいかないらしい……って、日野さん? どうしたんだ? すごい顔してるけど……」
具体的には、な~に言ってんだおめぇは??? 的な呆れ顏である。
もはや言葉もないという様子で明星はクソデカ溜息をついた。
「オタク君さぁ……。マジで頭どうかしてんじゃないの?」
半眼になってトントンとこめかみを叩く。
「そうだったらいいんだけどな……。日野さん、気を悪くしないでくれ。どうかしてるのは君の美的感覚なんだ。俺はイケメンなんかじゃない。そう思ってるの君だけで、世間的には俺は驚くようなブサイクなんだ……イダッ!? だから、なんで叩くんだよ!?」
「ムカついたから」
そりゃ、面と向かってセンスが終わってるなんて言われたら誰でも怒るだろう。
「すまないとは思ってる。でも事実なんだ! このままじゃ日野さんにまで迷惑がかかる。……そんなのは、嫌なんだよ」
拗ね散らかした明星の目を真っすぐ見つめ、心を込めて九朗は言った。
頼む。どうか認めてくれ! そう祈りながら。
明星は真っ赤になって目を逸らした。
そしてすぐに唇を尖らせる。
「……もう。その顔でそういう事言うのはズルいじゃんっ!」
あ~しは面食いじゃなかったはずなのに……。
とかブツブツ呟きながら。
「とにかく! あ~しは間違ってないから! てか寝言は寝てから言ってくんない? アホらしすぎて付き合いきれないから!」
「日野さん!? どうして分かってくれないんだ!?」
「あ~しの台詞だっての! あ~もうめんどくさ。言っても無駄なら勝手にするし」
ヒラヒラと手を振ると、明星はわざとらしく大声を出して九朗の腕に抱きついた。
「わぁ~! オタク君、髪切ったら超イケメンじゃ~ん! さっすがあ~しの彼ピ! 超かっこい~!」
「日野さん!? なんて事を!?」
ハッとして周りを見る。
時間停止魔法でもかかったように、男女の区別なく周囲の生徒が固まっていた。
「……おいおいおいおい、嘘だろ!?」
「あのイケメンがオタク野郎だって!?」
「……信じらんない」
女子の一人がふらりと倒れ。
「ちょ!? しっかりして! 気を確かに!?」
隣の友人がそれを支える。
「あんなにイケメンなら唾つけとけばよかった!」
「ウソダー! ドンドコドーン!」
「あり得ねぇだろ!?」
「いやでも、あれだけイケメンなら日野さんが靡くのも頷けるぞ……」
いつの間にか、校門前は大パニックに陥っていた。
現実を受け入れられない者、冗談だと笑う者、携帯で画像を撮ってライングループに貼る者、顔が赤くなる程目を擦る者、エトセトラ。
なんにせよ、九朗の耳にもみんなが自分をイケメンと呼ぶ声は届いていた。
「……そんな、バカな……」
あんぐりと大口を開けて呟くのだが。
「だから言ったじゃん。バカはオタク君の方だっての」
呆れつつ、フンと満足そうに鼻を鳴らして明星が肘鉄を食らわせる。
「だってそんなの、おかしいだろ!? 信じられない! この俺がイケメンだなんて!?」
「はいはい。そのくだりは昨日やったから。いいから教室行くよ? オタク君の事バカにしてた連中に目にモノ見せてやらなくっちゃ」
いつかのように、九朗の腕を引っ張って無理やり歩き出す明星。
「ま、待ってくれ日野さん!? まだ心の準備が!?」
「グズグズしてたら遅刻するし。てかオタク君姿勢悪すぎ! 折角背高いのに勿体ないよ!」
ピシャリと背中を叩かれる。
明星の言う通り、九朗は高校一年生ながら180近い長身だった。
小さい頃から周りより背が高く、九朗は気づいていないが怖がられる理由の一つになっていた。
悪目立ちする理由にもなったので、九朗は背を丸めて過ごす習慣がついていた。
「だって、普通にしてたら目立つし……」
「その大きさで縮こまってる方が逆に目立つから! てか、その顔じゃどのみち目立ちまくりだっての!」
「あと、普通にしてたら邪魔だって言われるし……」
「背が高いのは仕方ないしそんな事言う奴の方がおかしいから! いいから背筋伸ばす! オタク君はあ~しの彼氏なんだよ! それともオタク君のせいであ~しが笑われてもいいわけ?」
「良くない!? 笑われるのは俺だけで十分だ……」
「だ~か~ら~! オタク君も笑われないようになろうって言ってんの! もう、何の為にあ~しが頑張ってるか分かってる?」
「それは、まぁ、一応……。分かるように頑張ります!」
ジロリと睨まれ慌てて背筋を正す。
油断すると、すぐに背中が丸くなりそうだ。
「……はぁ。まぁ、急に変われとは言わないけど。一応あ~しだってオタク君に似合いそうな髪型頑張って選んだんだから。もうちょっと胸張って欲しいんだけど……」
唇を尖らせて明星が拗ねる。
「……ごめん」
「謝罪とか求めてないから」
ピシャリと言われて九朗が黙る。
そして暫く二人で歩き。
「……ありがとう」
「……まぁ、それだよね」
不貞腐れつつ明星が照れる。
「……本当に。まだ自分でも現実を受け止められていないんだが……。日野さんには感謝しないといけないとは思ってる。というか、感謝するべきだ。物凄く……。君は俺の人生を――」
「わかったってば!」
真っ赤になって明星が止める。
「……あんまり褒められると、それはそれで恥ずかしいじゃん……」
足元に向けて呟く。
可愛いなと九朗は思った。
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