第6話 醜い顔を見ないでくれ(そんな、嘘でしょ……

「……これが……日野さんの部屋……」


 呟く九朗はガチガチに緊張していた。


 他人の家に招かれるのも初めてなら、女の子の部屋に入るのも初めてだ。


 イケてるギャルなだけあり、明星の部屋はお洒落だった。


 掃除の行き届いた小奇麗な部屋で、余計な物はあまりない。


 本棚にはファッション誌や美容系の本、参考書なんかが並び、漫画の類は一つもない。


 壁には流行りのバンドやお笑い芸人のポスター、友達と映った写真なんかが貼ってある。


 パソコンもなければゲーム機もなく、オタク系のアイテムなんかどこにもない。


 ゲーム機と漫画とオタクグッズで埋め尽くされた九朗の部屋とは大違いだ。


 なにより異質に感じたのは。


(……なんて……良い匂いなんだ……)


 明星が近づいた時にふわっと感じるあの香りが十倍の濃度で充満していた。


 ミルクシェークのように甘く、洗いたてのタオルのように優しい、それでいて嗅ぐと胸がドキッとする危険な香りだ。


 息をしているだけなのに、九朗は頭がクラクラしてきた。


 そして奇妙な罪悪感に襲われた。


 俺なんかが嗅いで良い匂いじゃない。


 なんだか悪い事をしているような気分である。


「オタク君さぁ……。そんなにジロジロ見られたら恥ずかしいんだけど……」


 真っ赤になって明星が言った。


「ご、ごめん……」


 九朗も赤くなっていた。


 本当は落ち着かなくてきょろきょろしていただけなのだが。


「……言っとくけど、あ~しだって男子を呼ぶのは初めてなんだからね?」

「そうなのか?」


 意外そうに九朗は言った。


「なにその反応……。オタク君にはあ~しがほいほい男連れ込むタイプの女に見えるわけ?」


 ジト目になって明星が言う。


「……だって日野さん陽キャだし。男友達も多いから……」

「別に陽キャじゃないし。普通に付き合いで接してるだけで男友達多いってわけじゃないから。てか前から思ってたけど、そうやって人の事陽キャとか陰キャみたいに分けるのよくないと思うよ」

「……ごめん」

「……別に怒ってるわけじゃないけど。とにかく、変な誤解はして欲しくないわけ! オタク君を部屋に入れたのは特別! オタク君が良い人で入れても安全そうだから呼んだんだからね! そこんところ勘違いしないように!」

「……あ、あぁ」


 鼻先に指を向けられ曖昧な返事をする。


 九朗としては、なにを買い被っているのだろうという気持ちである。


 勿論、明星に手を出したりなんて事は絶対にしないと確信できるが。


 だからと言って友達ですらない陰キャオタクを部屋に招くのは不用心すぎるのではないかと心配になる。


 言った所で怒られるだけなので言わないが。


「……本当に分かってるわけ?」


 半信半疑で明星が呟くと。


「まぁいいや。とりま準備するから、ちょっち待ってて」


 押し入れから散髪セットを取り出し、慣れた手つきで部屋の真ん中にレジャーシートと椅子をセットする。


「じゃ、そこ座って」


 エプロンをした明星が腕まくりをして椅子を指さす。


「………………やっぱり、よそう」

「大丈夫だってば! あ~し、友達の髪の毛よく切ってるから! 結構評判良いんだよ? 男の子の髪を切るのは初めてだけど、大体同じっしょ!」

「……そういう問題じゃないんだ」

「またそれ? じゃあ、どういう問題なわけ?」


 やれやれと腰に手をあてて明星が聞く。


「……ブサイクなんだ」


 恥を忍んで九朗は言った。


「………………え?」


 理解出来なかったのだろう。


 明星の顏がキョトンとする。


「……何度も言わせないでくれ。俺は……酷い顔なんだよ。だから前髪で隠してる。理由があるんだ」


 他人に説明するのは屈辱だった。恥ずかしくて惨めで、死にたい気持ちになる。


 明星はポカンと口を開け。


「……それ、マ?」

「……嘘なんか言ってどうなる」

「髪の毛切りたくないだけかもしんないじゃん……。てかそうだよ! 絶対嘘っしょ!」

「……そうだったらいいんだけどな」


 九朗は皮肉っぽく肩をすくめた。


「子供の頃にこの顔で散々嫌な思いをした。俺を見るとみんな怖がって逃げていく。女の子は泣くし、先生にも叱られた。その目はなんだ! ってな……」

「……それ、いつの話?」

「……小学生の頃だ」

「むぅ……」


 本当だろうか? 疑う様に明星が腕を組み、前髪の向こうの素顔を見透かそうと目を細める。


「この顔を晒すくらいなら隠していた方がマシだ。だから前髪を伸ばしてるんだ。素顔を晒したら笑われる。あんな顔なら隠してた方がマシだっただろ! とか言われて。そんなのはイヤだ……。頼むから、これ以上俺を惨めにしないでくれ……」

「オタク君……」


 明星の目に同情の光が宿った。


 諦めるだろうと思ったが違った。


「……顔、見ていい?」


 失望と怒りが沸き起こる。


「……俺の話を聞いてたのか? この顔を見られたくないんだよ! 誰にも! 親にも、俺自身だって長い事見てない! 誰が見るか、こんな顔!」

「じゃあ余計に確認しないと! 小学生の頃の話なんでしょ? 成長して顔の形変わってるかもしれないじゃん!」

「そんなわけないだろ……」

「あるんだって! 人の顏って結構変わるんだから! テレビで見た事ない? イケメンの有名人だって子供の頃はちょっとアレな顏だったりするでしょ!?」

「……そんな事言って、ただの好奇心だろ。俺の顔がどれだけブサイクか見たいだけだ。なんならそれを確認して面白おかしく言い触らす気かもな……」

「違うってば! そんなひどい事考えもしなかったし! あ~しはただ、オタク君の事を助けたいだけで……」

「そう思うなら放っておいてくれ!」


 九朗が声を荒げる。


 ビクリとして、明星は泣きそうな顔になった。


(最低だ……)


 自己嫌悪に襲われて、九朗は言った。


「……ごめん。日野さんが良い人なのは分かってる。でも……だからこそ、日野さんには見られたくないんだ。もし日野さんが俺の顔を見て、本当にブサイクだったねなんて言われたら……結構キツイ……」

「言わないよ! 絶対言わない! もしそうでも、墓まで持ってくから!」

「思われるだけでも嫌なんだよ……」

「じゃあ思わない。すぐ忘れる」

「そんなの無理だろ……」

「じゃあ気にしない! オタク君がどんな顔でも今まで通り! ううん! 頑張って見せてくれた分、もっと好きになると思う!」


 明星は優しい美少女だ。


 言葉だけでも、好きになるなんて言われたらなにかを感じずにはいられない。


 だからこそ――。


「……ズルいよ、日野さんは。それに、残酷だ……」


「恨まれたって構わない! だってもしオタク君の顔がオタク君の想像と違ったら、色んな事が変わるかもしれないじゃん! その可能性があるんなら、試してみる価値はあると思う! っていうか、試さないとダメだって! だからお願い! 一度でいいからあ~しに顏見せて!」


 両手でがっちり九朗の肩を掴むと、明星が真っすぐな視線を向けて来る。


 どこまでも誠実で、切実で、真剣な目。


 だからどうした。


 明星がどれだけ必死でも、事実を変える事なんか出来やしない。


 彼女は九朗の顔を見て、その醜さに失望するだけだ。


 ……それでもいいと九朗は思った。


 そうする事で彼女の無駄な努力を終わらせられるなら。


 そうする事でお人よしの彼女を解放できるなら。


 そうする事でしか彼女を諦めさせる事が出来ないのなら。


「……好きにしろよ」


 覚悟を決めて九朗は言った。


「オタク君っ!」


 嬉しそうに明星は言うと、真剣な顔でゴクリと息を飲んだ。


「失礼します……」


 明星の指先がそっと九朗の前髪を払いのける。


「……ッ!?」


 予想以上の醜さだったのだろう。


 あんぐりと大口を開けて呆けると、明星はその場に座り込んだ。


(……やっぱり見せるんじゃなかった)


 後悔しても後の祭りだ。

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