第5話 陰キャオタクが髪型変えてイケメンに! なんてそんな都合の良い展開あるわけないだろ! (いやそこまでは言ってないけど

「ちょっとぉおおおお! オタク君さぁあああああ!」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だあああああああ!」


 日の傾いた放課後の住宅街に悲痛な叫びが木霊する。


 昨日に引き続き、今日も九朗は明星から逃げ回っていた。


「もぉおおおお! なんで逃げんの!?」

「日野さんが俺の髪を切ろうとするからだろ!」

「だってオタク君の髪型流石にちょっとアレ過ぎるんじゃん!? 世の中的には人は見た目が九割的な説もあるっぽいし! イメチェンするならまずは見た目からっしょ!?」


 確かに九朗の髪型は酷い物だ。


 伸び散らかした前髪が鼻から上を覆い隠し、絵に描いたようなエロゲの主人公顔を形成している。清潔感なんか欠片もないし、誰が見ても陰気で危ない不審者チックな雰囲気を与えている。


 こんな奴がその辺を歩いていたら警官には怪しまれ、小学生は安全ブザーを握りしめ、世のお母さま方に連絡網が回って自治会の掲示板に不審者注意の貼り紙を出されかねない。


「俺みたいな嫌われ者の陰キャオタクが髪型一つ変えただけでどうにかなるわけないだろ!?」

「そんなのやってみないと分かんないじゃん!」

「やらなくたって結果は見えてる! 陰キャ野郎が色気づきやがってとか笑われるに決まってる!」


 未来視に目覚めるまでもなく、九朗には容易にその光景が想像出来た。


 中学時代から引き継いだ負の遺産悪い噂のせいで九朗の評判は最低だ。


 あいつはヤベェ奴だから無条件で叩いていいという雰囲気が出来上がっている。


 何もしなくてもあれこれ言われる立場なのに、余計な事をしたら周りに九朗を嘲笑する口実を与える事になる。


 だから九朗は何もせず、息を潜めて目立たないように生きてきたのだが。


 陽キャの明星にはその辺の陰キャの努力など理解出来るはずもない。


「オタク君さぁ……。なんでそんなにネガティブなわけ!?」

「日野さんこそ、なんでそんなに楽観的なんだよ! アニメや漫画じゃないんだ! 陰キャオタクが髪型変えてイケメンに! なんてそんな都合の良い展開あるわけないだろ!」

「意味わかんないし! あ~しは今の髪型ヤバすぎだからせめて普通にしようって言ってるだけっしょ!?」

「なんでもいい! とにかく髪は切りたくない! だから俺の事はほっといてくれ!」

「嫌だって言ってるし!」

「だから逃げてるんだよ!」


 というわけで追いかけっこをやっている。


 幸い九朗の方が足が速いので追いつかれる事はないが、明星は成績優秀スポーツ万能人望激アツのハイスペックギャルなので撒くのは一苦労だ。


「――はぁ、はぁ、はぁ……。て言うかオタク君なんであ~しより足早くて体力あんの!? 帰宅部で陰キャオタクとか言ってる癖に!」


 限界が近いのだろう。


 ひぃひぃと息を喘がせながら明星が叫ぶ。


「ゲームのお陰だ!」

「はぁ!? どんなゲームだし!?」

「リングマッスルアドベンチャーとか!」


 リング型のコントローラーや体感センサーを使い、プレイヤーが実際に運動する事でステージを走破したり敵を倒すリアルアクションRPGである。


 九朗だって自分の心配は自分でしている。


 こんな生活を続けていたらいずれはストレスで鬱になるかもしれない。


 そんな風に思っていた時、ネットの情報でこのゲームを知った。


 ストレスには運動が一番!


 リングマッスルならゲームをしながら運動出来るし、筋トレ技マッスルスキルで敵を倒してレベルが上がるのは気持ちがいい。


 本当かよと思いつつ手を出したらハマってしまった。


 しかもこのゲーム、ストーリーも良いのだ。


 プレイヤーである主人公と味方であるリングの精、その元相棒である闇落ちした筋肉魔王との三角関係の行く末は涙失くしては語れない。


 続編や派生作品も複数出ており、DLCも含めて全部やり込んだ。


 毎日コツコツハードな運動を行わないとストーリーを進められない仕様上途中で脱落する者も少なくなく、名作の割に今ひとつ世間での知名度は高くないが。


 だからこそクリアした時の悦びはひとしおだ。


 そんな事、非オタの陽キャギャルが知るわけはないのだが。


「なにそれ!? 聞いた事ないんだけどぉ!?」

「リングマシリーズは良いぞ。筋肉は全てを解決する!」

「うわぁ……。なんか今めっちゃオタク君って感じしたわ……」

「好きに言えよ! お陰で俺は陰キャでも陽キャに負けない体力を手に入れたんだ!」

「いやそれ陰キャとか陽キャ関係なく単にオタク君がすごいって話なだけじゃ……」

「違うな! すごいのはこんな俺でも楽しく運動させてくれたリングマとそれを作ったゲーム会社だ! というわけで俺に追いつくのは日野さんでも無理だ! 大人しく諦めてくれ! さよなら!」

「ちょ!? 加速すんなし! ねぇってばあああぁぁぁぁ――」


 オタク語りでバフがかかり、一気に明星を引き離す。


 そのまま角を曲がって裏道に入り明星を撒く。


「……ありがとうリングマッスル。まさか、ゲームの経験が現実リアルの役に立つ日が来るとはな……」


 なんとなく報われた気がしてしみじみ呟くのだが。


「ヘブッ!? いったぁ~い!」


 遠くから痛々しい声が聞こえてきた。


 雰囲気的に転びでもしたのだろう。


「日野さん!? 大丈夫か!?」


 ゾッとして九朗は来た道を引き返した。


 勝手に追いかけてきて勝手な事を言って勝手に転んだのだ。


 そんなのは明星の自業自得。


 九朗が気にする事等一つもない。


 そんな風に考えられる性格ならこんな目にはあっていない。


 むしろ九朗は、自分のせいで明星が転んでしまったと考えるような甘ちゃんタイプだった。


「……おかしいな。この辺から聞こえたはずなんだが……」


 辺りを見回しても明星の姿は見当たらない。


 そこまで距離が離れていたわけではないのだが、明星は忽然と消えてしまった。


 不思議に思ってとぼとぼと歩いていると。


「隙ありぃいいいい!」

「どぉわぁ!?」


 物陰にでも隠れていたのだろう。


 いきなり明星が背後から抱きついてきた。


「ひ、日野さん!? 転んだんじゃなかったのかよ!?」

「残念でしたぁ~! オタク君を捕まえる為の演技だよ~ん!」

「そんな! 卑怯だぞ!?」


 とは言え、明星が無事だった事にはホッとした。


 余計なお世話とは言え、一応明星は九朗を心配してあれこれ言ってくれているのだ。


 こんな下らない事で怪我なんかして欲しくない。


「頭を使ったって言って欲しいなぁ? 体力で勝てないなら知力を使えってね!」

「なんでもいいから離れてくれ! いくら何でも近すぎる!?」


 明星は九朗の背中におぶさるように抱きついている。


 すらりと長い手足はがっちり九朗の身体に絡みつき、首の後ろには熱い吐息を感じている。背中に当たる二つのたわわについては考えない事にした。


(おっぱいが、当たってるんだよ!?)


 無理だった。


 無理に決まっている。


 九朗は男だ。


 高校一年生。


 思春期真っ盛り。


 当然童貞。


 女の子とまともに話した経験だってない。


 あまりにも刺激が強すぎる状況だ。


 こんな所を人に見られたら人生終わる!


 そんな九朗の焦りも知らず。


「じゃあ観念してあ~しの家来る?」

「なんでそうなる!?」

「外じゃ髪切れないじゃん。それともオタク君の家の方がいい?」

「そういう問題じゃないだろ!?」

「じゃあどういう問題なわけ!」

「俺は髪を切りたくないし、日野さんの家に行くのも論外だ! 分かってるのか!? 俺は男で、日野さんは女の子なんだぞ!?」

「わかってるけど。別にオタク君あ~しの事襲ったりなんかしないっしょ?」

「するわけないだろ!?」

「ならいいじゃん」

「いいわけないだろ!? 大体、親御さんになんて説明するつもりだよ!」

「共働きで家にいないから大丈夫だし」

「余計に大丈夫じゃないんだが!?」

「意味わかんないし! 大丈夫だって言ってんじゃん! オタク君心配しすぎ!」

「だって、おかしいだろ!? 俺みたいな陰キャオタクを家に呼ぶなんて、普通じゃない!」

「もうそれいいから。とにかく、オタク君が観念するまであ~しは絶対離れないし」

「日野さん!? 勘弁してくれ!」

「ほら。早くしないと誰か来ちゃうよ? ていうか、こんな所で騒いでたら近所の人が不審に思って見に来るかも。あ~し達のこの姿見たらどう思うかなぁ? ふしだらだとか言って学校にクレーム入っちゃうかも? そしたらあ~し、内心下がっちゃうなぁ~」

「うぐっ……」


 九朗は悩んだ。


 が、それも数秒の事だ。


 答えなんか最初から出ている。


 ただ、意地で抗っただけに過ぎない。


「……わかったよ。行けばいいんだろ行けば……」


 げっそりと呟く。


「そうそう。行けばいいのだ」


 ニッコリ笑って明星が背中から降りる。


「てかオタク君、ほんっと~にお人好だよね。あ~しの内心なんか気にする必要ないのにさ」

「……自分で言うか?」

「あ~しが言わなきゃ誰が言うのし?」


 呆れた顔の九朗に、呆れた顔で明星が言う。


 その通りだなんて思わないが。


 憎めないのが明星の恐ろしい所だ。


「そんな顔しないでよ! 絶対後悔させないから! こう見えてあ~し、人の髪切るのは結構自信あるんだよ?」

「……そういう問題じゃないんだよ」

「なんか言った?」

「……なんでもない」


 九朗は誤魔化した。


 自分の口から語るには、あまりに恥ずかしく、惨めな事実があるのだった。

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