第3話 つっよ

 懐かしい甘え方に、かわいさで胸がきゅんとした。

 ここがどこかも知らないし、かなえ丸はなんかでかい。まあでもいいじゃない。とりあえず撫でるべし。


「かなえ丸……元気だった?」


 死んだ愛犬に元気かどうか聞くのもおかしいが、ほかに聞きたいことも思い浮かばず、言葉をかける。

 そっと手を伸ばせば、てのひらに顔を寄せてくれた。そうだよね。いつも私の手をそうやってうれしいものとして扱ってくれたよね。

 人生くそなだけの私に触れられることをこんなに幸せそうに受け入れてくれること。まっすぐな信頼が本当にいつも私の心を温めてくれてたよ。


「にしても、でっかくなっちゃったね」


 シベリアンハスキーも大きかったけど、さすがに片手で撫でれば額全体を一回で撫でることができた。でも、今は大きすぎて頬をこしょこしょと撫でるので精いっぱいだ。

 その大きさにおかしくなって、くすくすと笑う。

 かなえ丸はそんな私を青い目で不思議そうに見たあと、「クーンクゥン」と鼻を鳴らした。


「ごめんごめん、でっかくなってかっこいいねってこと」


 私の言葉がわかるわけではないだろけど、こうやっていつも私の雰囲気を察知して、独り言に付き合ってくれたね。

 かなえ丸は大きな体では私が撫でにくいことを理解したようで、地面に伏せて、パタパタと尻尾を揺らす。青い目はきらきらと輝き私を見ていた。

 こんな魅力的な誘惑ある? ほら、抱きしめに来いよってことだよね?

 撫でていた手を止め、代わりに両手をバッと広げる。そして、そのままぎゅうとかなえ丸の首筋に抱き着いた。


「かなえ丸っ」

「アウアゥ?」

「……っ、かなえ丸っ」


 もふもふの毛皮。鼻筋や額は短めの密な毛が生えていて、頬から首にかけては長くて豊かな毛量が最高。耳はね柔らかい毛がふわふわに生えてて、逆撫ですると気持ちいいんだよね。

 もう抱きしめることなんてできないと思っていたのに、それがこうしてここにある。しかもでっかくなってもふもふが大増量!


「知ってる? 最近はね、なんでも小さくなってばかりなんだよ」


 円高とか物価高とかインフレとか。よくわかんないけど、お値段据え置きで容量を減らすのが流行り。それがかなえ丸は時代に逆行して、こんなにでっかくなった。

 おもしろくて、ふふっと笑っていると、また目が熱くなる。

 ……会いたかった。会いたかったよ。

 そう思ったら、ぽろぽろって涙が出た。

 零れる涙は拭わなくても、もふもふの毛皮が柔らかく受け止めてくれる。

 そんなのもう無理。こんなのもう無理だよね。

 ヒックヒックって肩が揺れて、気づけばわーんってこどもみたいに泣いていた。

 人生くそだったけど、かなえ丸がいたからがんばれてたよ。いなくなってもそれでもがんばれたのは、かなえ丸がいてくれたからだよ。


「……っ、ごめんね、かなえ丸、わたし、いつも、情緒不安定」

「クゥ」

「……こうしてくれて、ありがとね」


 首にすがりついてわーんと泣く私がうるさいだろうに、かなえ丸はそのままじっと待ってくれていた。

 ひとしきり泣いて、かなえ丸がいない間に溜まっていた感情が流れ出ると、今度はじわじわと恥ずかしさが顔を出す。

 愛犬に縋りついて泣くなんて。わたしはかなえ丸の飼い主。かなえ丸の生活を守り、かなえ丸が楽しく過ごすためにがんばらねばならぬ立場だ。

 抱きしめていた手と体を離し、かなえ丸にごめんねとありがとうを告げる。

 かなえ丸はそんな私を不思議そうに見たあと、「ぴぃ」と鼻を鳴らした。


「さて、で、ここはどこなのかな」


 泣いたせいで目がひりひりと痛い。

 でも、心は落ち着いたため、あたりを見回す。

 仕事終わり。コンビニ帰りのいつもの家路だったはずが、草原だもんなぁ。うーん……。

 はて、と首を傾げる。すると、草原にピョコピョコと動くものが見えて……。


「……あれ、なに?」


 突然草原に来て、死んだ愛犬(でかくなった)と再会した私にもはや驚くことなどないと思ったが、また驚く。

 なんかさ、草原に見たことないものがいるんだよね。

 いや、見たことがないっていうと語弊があるかもしれない。なんていうか、現実では見たことがないっていうか? 知識としてはなんか知ってるし、イメージ画像はよく見るっていうか?


「……ゴブリンってやつじゃね?」


 もしかして、もしかして。

 私の目に入ったのは身長はこどもの背丈ぐらい。緑の肌でなんか布の服を着ている。目はキッと尖っていて赤色。で、手に斧を持っていた。

 うん。わかりやすく典型的なゴブリンって感じ。写実的すぎる感じもなく、ちょっとデフォルメもあり、めちゃくちゃ怖いとか気持ち悪いとかはない。なので、こう、ほーっと見ていてもよかったのだが……。


「うん。囲まれてる」


 知らぬうちに。

 あれか。私がかなえ丸に縋ってうぉんうぉん泣いている間に近寄られていたのか。こんな草原で大きな声で泣く者を見たら、たしかになにごと? と思うだろう。野次馬的なね。


「でも、野次馬というか……獲物狙いみたいな?」


 ねー。なんだろうって見に来たとかじゃない感じね。なんか私を見て、仲間で「ギィギィ」会話している。

 ゴブリン語はわからないけれど、翻訳するならば「アレ、ニンゲン、コロス」「アレ、ニンゲン、コロシテウバウ」みたいな感じじゃない? ファンタジー系のゲームで言う普通にモンスターで、私を餌として見ているね。間違いない。


「ひぃっ」


 思わず声が漏れる。

 かなえ丸に会えて、温かくなった心に一気に冷や水。これは氷多めのお冷です。

 朗らかな再開ののち、圧倒的ピンチです。

 かなえ丸を守りつつ、どうやって逃げればいいのだろう。なんせ私はここがどこかもわからない。力のなさで言えば、今が最底辺。

 心拍が速くなり、てのひらには冷汗が滲む。

 けれど、かなえ丸を傷つけさせるわけにはいかない。

 守るように立ち塞がりたいのだが、いかんせん囲まれているため、どこを警戒すればいいかも判断がつかないのだ。

 ただ、周囲に目を配って、焦る。すると――


「アウアゥアウアゥ?」


 ――かなえ丸がのそっと立ち上がった。

 そして、そのままダッと地面を蹴る。


「アウ」

「ギィギィ、ギャッ!」


 かなえ丸は一蹴りでゴブリンに迫ると、そのまま一匹の服をアムッと咬んだ。


「アウッ!」


 掛け声とともに、ポーイとゴブリンを投げ飛ばす。

 ゴブリンはあまりの速さと圧倒的な力関係に為すすべなく、遠くへと放たれる。

 わぁ……かなえ丸、つっよ。


「アウ」


 かなえ丸は足を止めることなく、次のゴブリンへ。

 私たちを囲んでいたゴブリンは10匹ぐらいいたと思うが、あっというまに半分ほどポイポイポーイと空の彼方だ。つっよ。


「ギィギィ、ギッ」

「ギギッ」


 残ったゴブリンたちはさすがに劣勢を感じたのか、なにやら話し合ったあと、じりじりと後退していく。

 そしてある程度の距離を取ったあと、ダッと走って逃げて行った。


「……わぁ」


 たぶん、きっと、これで大丈夫。よくわからないゴブリン初遭遇だったが、かなえ丸が追い払ってくれたようだ。


「かなえ丸、つよつよじゃん」


 ほぅと安堵の息を吐きながらも、強すぎた愛犬を羨望のまなざしで見上げる。

 すると、かなえ丸は目を細め、撫でてくれと言わんばかりに顔を寄せた。


「撫でるの? うん、そうだね、そうだね、ありがとうね~~、かなえ丸。かなえ丸がいなかったら、私、ここに来た時点で死んでたかも」


 感謝を込めて、かなえ丸をわしゃわしゃわしゃと撫でる。

 でっかくなっただけじゃなく、強くなった愛犬。最高じゃん!


「クゥクゥ」


 かなえ丸もそんな私の撫でがうれしいようで、大きくて太いもふもふの尻尾がパタパタと大きく揺れる。

 なんかよくわからないことが起こっているが、やはりかなえ丸がいれば、なんでも乗り越えられる。

 が、一難去って、また一難が世の常なわけで……。


「「わああっ!!」」


 ゴブリンが逃げた先で、こどもの悲鳴が上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る