アナザーストーリー

 そのソロライブは、柚香のアイドル活動10周年を記念するソロライブだった。ぼくと怜也は、都内の一角にあるライブハウス前で待ち合わせをした。いつも通り、待ち合わせ時間より早くついた僕に、遅れてきた怜也が声をかける。二人揃って地下へ続く階段を下りライブハウスの入り口の扉を僕が開けた。


 ライブハウス独特の薄暗い空間が、長年柚香を推している自分にとっては心地よい。静かに店内にはアイドル曲がかかっている。久しぶりに柚香の歌声を聴ける。僕は期待で胸がバクバクしていた。


 そのライブハウスは普通のライブハウスとは違っていて、テーブルと椅子が何席かあり、スタンディングではなく、椅子に腰掛けて見るタイプのライブハウスだった。しかも料理まで提供されるみたいで、食べながらライブを観れるようだった。僕と怜也はできるだけ前の席に座った。


「アイドルのライブなんて初めてだな」


「初めてなのに来てくれてありがとう。怜也とこうやってここに居られることがおれは嬉しいよ」


「それならよかった。春人が元気ならそれでいいよ。俺にあんまり心配かけないでくれよな」怜也は少し照れたような表情をしたが、見られたくなかったのかそう言って顔を背けた。


 時計を見る。後もう少しでライブが始まる時間だ。僕はいつも通り緊張した。会場が一度暗転して、音楽が流れ始め、スポットライトが灯り、柚香が袖から姿を表す。


 見たことのない衣装だった。イメージカラーの青色に身を包んだ新しい柚香がそこには立っていた。


 ライブは柚香が前のユニットの時に歌っていた曲も歌い、密かに僕はその頃の歌も聴きたいと思っていたから、初めて生で聴くのに懐かしい気持ちになって気づいたら泣いていた。これっきりで終わりにしてほしくない。これが新たな始まりで、またアイドルとして輝いてほしい。そう思える素晴らしいライブだった。一つ一つの曲を噛み締めるように僕は聴いていた。聴きながら、時間よ過ぎないでと僕は強く思っていた。


 ライブが終わり、チェキを撮った。怜也も柚香とチェキを照れながら撮ってくれた。サインを書く前にチェキは一度返され、僕たちは席に戻り、柚香がテーブルを一つ一つ周ってサインを書きに来てくれてるようだ。前のテーブルから柚香はサインを書き始めた。僕たちはその姿を見ながら自分たちの番を待った。


「思っていたより、すごく良かったよ。アイドルライブもたまにはいいもんだな」


「本当!? それはおれとしても嬉しい」


「春人がハマるのも少しわかった気がした」


「そっか! 気持ちわかってくれてありがとう」


 そんな会話をしていると「なに話してたのー?」と柚香がもう僕たちのテーブルまで周って来ていた。柚香は怜也に「お久しぶりです。また会えて嬉しいです」と挨拶をしてニコッと笑った。


「春人くんも来てくれてありがとう。どうだった?春人くんが知らない時代の曲もやったけど楽しかった?」柚香は不安そうに僕に聞く。


「昔の曲もずっと聴きたかったから、すごく良かったよ。おれは柚香にすごく感謝しているんだ。柚香に今まで色々教わったと思ってるし、今日もまた大切なことを教わった気がする」


 僕はまたそう言って泣きそうになった。柚香はそんな僕を見つめて微笑んで、一つ間を置いてから、ずっと言いたかったことを打ち明けるようにこう言った。


『私も、春人くんに色々教わったよ。すっごく、感謝しているんだ』


 その瞬間、会場に静かに流れている曲も聴こえなくなり、僕の耳に柚香の声しか聴こえないフィルターがかかった。


 僕は満面の笑みで柚香を見つめて『ありがとう』と言った。怜也が僕の肩を叩き、そしてがっしり肩を組んだ。


 柚香がその姿を見て本当に嬉しそうに笑っていた。

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大切なことはすべて推しから教わった 飾磨環 @tamaki_shikama

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