鏡の返歌

十戸

鏡の返歌

 じっさいのところ、このようにして私はあなたにお手紙差し上げたのです、無数の蝶や蛾たちの腹をなめして編んだ純白の紙の上に、黒よりもなおいっそう黒い夜の帳のインクで歌うままに線を引き、いつの日かあなたの胸に触れるかも知れない言葉を、書きあぐねてはやくたいもなく吐き出し、蜜蜂の巣を壊しては掻き出した甘い蝋をしっかりと垂らして染ませて、ようよう紙に掬い取ったそれらの文字が波にさらわれないよう蓋をして、けれどもちろんそれだけでは足りはしませんから、くるくると巻いて閉じたあとには青白く光る流星を捕らえたガラスの小瓶の底にきちりと沈め、紙と瓶の壁との隙間には、炎そのものをよくよく燃やし尽くした灰と、冬の朝の乾いた冷たさから咲いた花の破片をいくつも、詰められるだけ詰めて湿気らないようにしたあとで、三百年前の夢から鋳造した哲学者の銀貨を八枚熔かして、しまいには瓶を注意深く絞めたというわけです、ですからこの瓶を開けるには、つまり私があなたに差し上げた手紙を読むには、ガラスの首を落とすよりほかないでしょう、けれどこれらの工夫によって、たとえこの先どれほどの年月を課したとしても、私が拵えたこの小さな船は、きっとすべての旅に耐えてくれるはずです、無数の稲妻ひらめく嵐の群れをこえ、いくつもの色と香りに飾られた海をひとつひとつ渡って、そもそものはじめに私がそうと頼み、ただあなたのところへたどり着くようにとしたためた宛名のとおりに、やがてあなたはどこかの砂浜、たまたま乗りこんだ船の上、火山からはるばる海を目指して凝った溶岩の群れの向こうに、この小瓶を、つまりは私があなたに宛てた手紙を見つけることでしょう、いつかの夜明け、あるいは真白の昼、深い夜の底に。


        ***


 それじゃあ、私がどのようにして手紙を差し上げたかお教えしましょう、ええ、ええ、どれひとつとして欠けては成り立たない、非常に大切な工程を踏んで書きました――紙の支度からインクの手配、そうして一字一句、私からあなたへ向ける言葉たち、最後に封をするに至るまで――差し出すときの日付や天気やあれやこれや、方角だって、調べ尽くして見当をつけましたよ、何冊本を読んで、何人の先達に煙たい顔をされたか、……ああそう、服だって忘れちゃいけません! この手紙のために、とうてい趣味じゃないスーツを仕立てに行ったんですよ、百歩譲って形は許すにしたって、はあ、あのとんでもない色、カナリア色のスーツ! いったい誰が「こうするべし」なんて見つけ出したんでしょう? あんなひどい……まったく、それもこれもあなたが……だけどそう、私は大人しく我慢して、唯々諾々と従いましたよ、このとおりね―だって、ちょっとでも間違えたら届きっこないって言うんですから、念には念を入れるよりほかにないでしょう? 私はあなたがどこにいるものだか、いまこの瞬間にだって、まるで知らないんですから――もっと言えば、あなたが生きてるかどうかだって知りようがないんです、だから、これまでしたためてきたどんな手紙より慎重に、よく気をつけて書かなくちゃならなくて――まったくほんとうに、おっかなびっくりやりましたよ、投函したいまとなっちゃ、こうして文句の言いようもありますがね、そう……じっさいのところ……うん……準備してる間は、気が気じゃなかった、これほど頼りなく脆く、証立てのしようのないものしか、いまや私とあなたの間にはないだなんて、そんなこと……だからどうか、どうかお返事ください、やり方は一から十まで、ぜんぶ書いて送りました、どうかあなた、いつかあの世の果てからでも。

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