わたし、口裂け女。きれいになりたいの
星見守灯也
わたし、口裂け女。きれいになりたいの
1979年、梅雨の終わりのことだ。
昨年末に突然発生した口裂け女の噂は今も続いていた。
「ねえ……」
しとしとと降る雨の中、マスク姿の女が通りすがりの男に声をかける。
「わたし、きれい?」
「それは……」
男は傘を傾げて振り返り、じっと女を見た。
「それはあなたしだいですね」
「はあ?」
「他人にわざわざ聞くということは、よっぽど自信があるか、まったく自信がないかです」
女はダメージを受けた。
「こんな顔でどうやって自信を持てっていうのよ!?」
プロレスラーがマスクを脱ぎ捨てるかのようにマスクを外すと、女は叫んだ。その口は耳まで裂けていた。まるで犬や猫の化け物のよう、噂の口裂け女だった。女は避けた口を大きく開いてまくしたてる。ブスと言われて執拗に追いかけるのは、自分自身がきれいじゃないと思っているからだ。
「わたしだって、きれいな顔に生まれたかったわよ!」
男はたいして驚きもせず、まじまじと女の顔を見た。
「な、なによ……」
「治しがいがありそうだなあって。ああ、私、形成外科医でして」
「整形?」
「形成です。キズをきれいに治す専門です」
キズを治す。その言葉に女は思わず聞いてしまう。
「治るものなの?」
「治りますよ。やってみます? そうだなあ、一億円くらいでいいですよ」
突然の大金に女はあぜんとする。こちとら職業妖怪だぞ。収入なんてべっこう飴くらいだ。
「……バッカじゃないの? ブラックジャックになら頼むけど」
「ブラジャー読んでるんだ……」
「なに、そのセクハラじみた略称!」
「ともかく、私だって腕は悪くない。妖怪は保険がきかないんだから高くなりますよ?」
女は迷った。この顔は妖怪としてのアイデンティティだ。でも、あまりにもデメリットが多すぎる。マスク外したい。口紅選びたい。外でお茶してみたい。ディズニー行きたい。海水浴だって。ダイビングだってやりたいじゃない。
「うう……有金、全部はたくわよ……だからきれいにして……」
「……その言葉が聞きたかった」
「うるさい、バカ」
「じゃあ、ここをこう縫って唇を作りますね」
ひととおり説明を受けて、女は書類にサインをしようとした。ペンが止まる。
「あの……」
「はい、なんですか」
「目元ももっとぱっちりとかできません? あと鼻も高く……」
「美容整形はウチではやってないですねえ……。理想が高いのも困りものですよ」
「うーん、じゃあ、口だけでいいです」
それから3ヶ月……そこにはマスクを外した元気な女の姿があった。
人のような口で、にこにことカメラに向かって話している。
「ここを選んでよかったです! ずっと痛かった心の傷も治りました♡」
女は病院の広告塔になることで無料で治療を受けられたのだった。
それから口裂け女の噂は急速に消えていったという……。
わたし、口裂け女。きれいになりたいの 星見守灯也 @hoshimi_motoya
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