第十七話 決戦前夜(その二)

  ♠


 今までの入れ替わりとは違う。

 契の身体に包まれた僕の意識に、これまで見えたことのない契の想いが流れ込んでくる。

 なんだこれは?


〈おそらくは、身体の記憶じゃ〉


 真横からニジリの声がした。いや、声だけじゃ無い。ニジリの存在そのもの。

 僕を包みこむ契の身体の記憶は、個体としての僕、大濠団との重なり合いを求めていた。とても暖かく心地よい予感。陽だまりの部屋で飼い主の胡坐の中に体を丸めて眠る猫になったような。風呂上がりでほかほかの身体を母親が広げる柔らかいタオルで包まれた子どもみたいな。キーワードで例えるのなら、好き……




  ♥


「なにこれ?!」


 ボクは思わず声を上げた。

 目の前には夕陽に照らされたボクが座ってる。でもボクが驚いたのはそっちじゃない。なにか暖かい波動みたいなものが、ボクを、ボクの意識を包み込んできたのだ。

 これは大濠の気持ち?


〈そこにいるのはマドカか?〉


 背後に立つ気配に振り返る。頭の中だけで。



 ボクの後ろにミギリがいた。顔も姿もわからない。でもいつもの声だけじゃない。間違いなく存在してるミギリ。


〈わかるかマドカ、ダンの想いが。お主のことを、他の何者とも違う得難い存在と思っておるダンの記憶が〉


 わかる。わかるよミギリ。大濠はボクと重なりたいって望んでる。そしてそれはボクも一緒。いま、ボクらはひとつに重なれる。


 刹那、ボクらは光に包まれた。色のない、圧倒的な光の世界。



 光の奔流は唐突に消えた。

 ゴンドラで向かい合うボクとボクの空蝉うつせみ


〈アマミキョ様じゃ〉


 声だけのミギリが呟く。


〈この入れ替わりはシネリキョではない。アマミキョ様が主らの想いに共鳴して応えたのじゃ〉


 これが和合?

 ボクは大濠の手が握るマブイルリを見た。光ってるけど半分のまま。手元にあるボクのも同じ。




  ♠


「今の、和合でねぇの?!」


 思わずそう叫んだ僕の声は僕のだった。

 戻った。が、手元の石は割れたまま。融合してない。

 目の前に座る契は放心してる。


〈和合じゃ。紛うこと無き和合の儀じゃった〉


 耳元で語るミギリは沈んだ声で、じゃが、と続けた。


〈完遂はせんかった〉


 なんで?

 あの瞬間、僕らの想いはたしかに重なってたのに。



 観覧車を降りた僕らはレジャーランドのベンチに腰掛けてうつむいていた。ガラス扉の外はもう陽が落ちている。


「なにか要素が足りなかったんじゃないかってニジリが言ってる」


 契の台詞に僕よりも早くミギリが応えた。


〈吾も同じ考えじゃ〉


 ミギリも同感だって、と僕は代弁する。


〈そう落ち込むでない。兎に角、和合が在ることは判ったのじゃ〉


 そうだ。沈んでたって何も始まらない。

 から元気でもなんでもいい。気づいた奴が音頭を取れば。


「具志堅さんを呼ぶべ。前向きに捉えて、何が足んねぇのか皆で考えるべ」


 頷く契を見てから、僕はLINEを開いた。




 具志堅さんが指定したサイゼリヤは東京テレポート駅を挟んで反対側にあった。


「大濠はサイゼ初めてやろ」


 そう冷やかしてくる契。少し元気になってる。いい傾向。


「岩手を舐めんな。駅ビルのフェザンにちゃんとあるっけ!」




  ♥


 食後のドリンクバーとカリッとポテトを残したテーブルで、ボクら三人は顔をつきあわせている。四人目の席に立てかけた具志堅さんのタブレットにはビデオ通話のナカツーと、ボクのスマホが打ち込むトーク画面。

 ボクはさっきから、右手をニジリに貸し出している。


「中司くんはもうビッグサイトに入ってるのよ」


 それにしてもよく大丈夫だったわね、と続ける具志堅さん。

 なんで? って顔するボクらに彼女は苦笑いを見せた。


「だってビッグサイトと観覧車は直線距離で一キロ無いのよ。瑠璃の相互干渉で言ったらぎりぎりの距離なんじゃない?」


「あ。たしかに」


 ボクらは顔を見合わせた。結構危ない橋を渡ってたみたい。


――それもあったやもしれん


「どゆこと?」


 ニジリの書き込みにボクが疑問符でただすと、間髪入れずにボクの右手がニジリの返事を打ち込む。変な感じ。


――シネリキョの力を借りたのかもしれん、ということじゃ


 それはあり得るわね、と具志堅さん。


「和合が完遂に至らなかったのはパワー不足が原因じゃないかってミギリも」


 五人はその解釈で盛り上がってる。

 でもボクは一人、別の要因を考えていた。




  ♠


「地震発生直前の来場者数と地震の規模、マグニチュードとを分析してみたのよ」


 バッグからノートPCを取り出した具志堅さんは、グラスをどかして場所をつくった。


「来場者個々人のストレス量が一定とは言えないからあくまでも推定値でしか無いけど」


 画面に表示されたグラフは比例の相関を示していた。


「てことは、入場者が公開からの累積で千人に満たない場合、地震は起こらないってことですね?」


 僕は唸った。さすが大学教授、目の付け所が違う。


「シネリキョの活動エネルギーがストレスである以上、個人差が大きいから一概には言えないけど、まあそう思っていいわ」


 頷く具志堅さんは請け負った。

 明日の事前公開は、具志堅さんの進言で随分と招待人数が絞れたらしい。


「最終展示でしかも会場もビッグサイトだから主催者はたくさんプレスリリースばら撒いちゃったらしいんだけど、管理側こちらの受け入れ可能なキャパは三百人が限界ですって押し通してもらったのよ。だから今までのデータを見ても、明日のシネリキョの発動は無しと考えていいと思う。あっても大きなものにはならないわ」


 頷く僕らを見回した具志堅さんは、だから、と続けた。


「決行は予定通り。明日の夜から明後日の未明にかけて、でいいわね」




  ♥


「ところであなたたち、荷物はどうしたの? 随分と軽装なんだけど」


 店を出たところでそう指摘されたボクらは同時に、あっと叫んだ。


「品川駅のロッカーに預けたままだっけ」


 大濠の答えにボクも頷く。


「今から取って来て、またこっちまで戻ってくるのは結構ほねね。いいわ。こっちのホテルはキャンセルするから、品川で一泊してらっしゃい」


「そんなことして大丈夫なんですか?」


 手間よりもお金のことが気になるボク。


「平気よ。定宿にしてるとこだから、多少の無理は効くわ。それに品川にも系列店がある筈だし」


 具志堅さんはボクらの返事も待たずに電話を始めた。



「オッケー取れたよ、品川駅前のホテルで二室。生憎あいにく片方はダブルになっちゃったから、どうするかはふたりで相談して決めてね」



 明日午後の待ち合わせを約束して具志堅さんと別れた後、ボクらはりんかい線に乗った。


〈だぶるとはなんじゃ?〉


 尋ねてくるニジリにボクは頭の中で答える。ベッドが大きい部屋のこと。

 顔が赤くなってるのが自分でもわかる。ヤバい! 想像がニジリにバレちゃうよ!


〈その部屋ひとつでええのにな〉


 余計なこと言うな、ニジリの莫迦。




  ♠


 一晩寝るだけの部屋なんだからシングルもダブルも関係ない。


「契が広い方使えばいいよ」


 そう言う僕に、契は頑なにじゃんけんを主張する。ま、どーでもいっか。


 契が勝った。


「じゃ、契がダブル……」


「勝った方に決める権利があるの! ダブルは大濠。勝者が決めたんだから、ちゃんと従いなさい!」


 なんか強引だなぁ。ま、どっちでもいいけど。



 駅で荷物を回収し、チェックインした頃には十一時を回っていた。

 夜遅く、契とふたりきりでエレベーター。めちゃくちゃ緊張してる。契は平気なのかな?

 僕はサイゼでの会議の直後に中司さんから送られた個人宛トークを思い出した。


――やったね。アオハルど真ん中じゃん! 契ちゃんとのお泊り満喫しなよ。大濠くんは、ちゃんと準備してきた?


 準備ってなんだよ。



 シングルとダブルの部屋はフロアが違った。僕は九階、契は五階。


「じゃあまた明日」


 エレベーターの内側でそう告げた僕は、閉まっていく扉越しに見送った。


 ダブルの部屋は思ってた以上に夜景が綺麗。東京は高層ビルが多いけど、湾岸に近いこのあたりだと九階でも結構眺めはいいんだな。この景色、契と一緒に見れたらよかったのに。


 荷物を解いて、シャワーを浴びる。ひと通り済ませた僕は、パジャマ代わりのジャージの上に備え付けのガウンを羽織ってベッドに寝ころんだ。

 明日は対決だというのに、頭の中は観覧車のゴンドラ内で包まれた契の想いで一杯だ。




  ♥


 大濠と別れて部屋に入る。必要十分の狭い部屋。


〈ええのか? 追いかけんで〉


 ボクは答えたりしない。だって夜はまだ終わってないから。

 和合失速の原因がパワー不足だってのにはボクも頷ける。だけどその要因は、外側にだけあるってわけでもないだろう。

 シネリキョの力を当てにする前に、ボクらふたりでできることだって。



 身を清め、手持ちで一番可愛いパジャマの上にホテルのガウンを羽織る。


〈殿方をとろけさすにはちと役不足の衣装じゃが、アレには丁度ええかもしれんて〉


 ニジリの冷やかしにも軽口ひとつ返せない。

 ガウンのポッケに石を忍ばせると、ボクは静かに部屋を出た。

 部屋番号なら聞いている。大濠はまだ起きててくれてるだろうか?




  ♠


 常夜灯だけの暗い部屋だけど、雑念ばかりで眠れやしない。やむを得ずスマホのアルバムで今日撮った契の画像をめくってみる。


 ハチ公を指さしてポーズをとる契。人だらけの交差点の真ん中で振り向いてる契。パスタを前に澄まし顔の契。ガラス張りトイレを覗く後ろ姿の契。カフェでカプチーノの写真を撮ってる契。クレープを手に、頬にクリームをつけた契。観覧車をバックにふたり並んだ画像。

 ヤバい。どれも可愛すぎ。ついさっきまでずっと一緒だったのに、もう会いたくなってる。どうしちゃったんだよ、僕。


 スマホ片手に悶えていると、ノックの音が聞こえてきた。

 ヘッドレストのボタンで部屋を明るくする。もう一度ノック。

 僕はドアまで行って誰何すいかする。でもわかってる。今ここで、僕を訪ねてくるひとなんて、他に誰もいやしない。

 ドアの向こうから聞きたかった声が返ってきた。


「ボク。契だよ」


 こんな深夜に、契が僕の部屋にやってきてくれるだなんて。

 まるで願望そのもののような状況に戸惑いながら、僕はドアを開ける。不安げに立つ契の貌が、ぎこちなく笑った。


「来ちゃった。我慢できなくなっちゃって」


 ガウンの合わせ目から覘くのは可憐なパジャマ姿。

 よかった。まともなジャージを着てて。



「わあ、綺麗」


 カーテンを開けて外を眺める契。僕も窓に近づく。一段と煌めいてるのはレインボーブリッジか。

 夢みたいだ。契と二人きり、ホテルの部屋から東京の夜景を観てるなんて。

 契は勇気を出してここまで来たんだ。僕も応えてやらなくちゃ。

 弱気な己を鼓舞して細い肩に手を伸ばす。

 契が震えてる。

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