第十八話 臨戦

  ♥


 夜景を愛でて緊張を胡麻化してるボクの肩を大濠の手が触れた。と思ったら、後ろから抱きしめられた。

 え? ちょ。


「契、オラ、おのこと好きだ」


 耳元に硬い声が届く。首に巻かれた腕が震えてる。でも震えてるのはボクも一緒。

 恐い。この先どうなっちゃうのか。

 ホントにこれでいいの? そりゃ大濠のことは好きだけど。


 自分からここに来たのを棚に上げ、ボクは事態に恐れおののく。これ、急展開過ぎだよぉ。

 肩を掴まれ向き直させられた。

 顔近っ!

 大濠の目がギラついてる。その目が近づいてきた。

 駄目。ボクにはまだ早い。やっぱムリ!

 声にならない叫びをあげて、くっつきそうになる唇の隙間にボクは掌を差し込んだ。




  ♠


 ここは男を見せねば!

 そう思い、超けっぱってキス迫ったってのに、契からのまさかのストップ!

 え? え? どゆこと?

 この夜這い、そったなのは全部OKって意味でねがったの? 意味わかんねぇ。その気になって盛り上がってらったオラって馬鹿?

 この決心と欲望は、いったいどごさ着地させればいいのって?


 両手でいやいやのポーズで固まってる契に僕は困惑した。

 とは言え、拒絶を押して無理やり、なんて気には勿論ならない。アドレナリンが抜けていく音がはっきり聞こえてくる。


「ごめん、契」


 思わず謝ってしまう僕。

 それを合図のように目を開けた契が手を振って応えた。


「ボクの方こそごめん。急に怖くなっちゃって。部屋に来たときまで完全にその気のつもりだったのに、後ろから抱きしめられたら急に」


 早口で言い訳する契に、僕は気になった一節を差し挟む。


「その気って?」


「……心重ねる、じゃない方のお試し」


 口籠りつつも答える契。

 あー、そったなことか。和合途絶の原因を考えてのことだったんだっけ。


「ごめん。オラ、勘違いしてってた。契がそこまで和合のこと考えてけてたなんて」




  ♥


 それこそ勘違いだよ! 和合の儀なんて関係ないよ。ボクはただ、大濠ともっと繋がりたくて……。

 そう言いそうになってる自分をボクは押し留めた。胸の裡に吹き荒れていた暴風は収まり、まだ早い、という冷静な声に置き替わっている。

 失速したボクは大濠に告げた。


「ホント混乱させて悪かった。今夜はもう部屋に戻るよ」



 逃げるように部屋を出たボクを、遅いからと言って追っかけてきた大濠が五階のボクの部屋まで送ってくれた。

 気不味い空気をなんとかしたい。でも、何を言っても言い訳になりそう。

 そんなことを考えながらドアのレバーを下げる。あれ? 開かない。


 そうだ。この部屋はカードキーだった。ボクは記憶を辿さかのぼる。

 入ったとき、部屋の電気を点けるために室内側のスリットにカードキーを差し込んで、出掛けるときはガウンのポケットに石だけ入れて……。


「どした? 鍵でも無くしたか?」


 尋ねる大濠を見上げるボク。


「カード抜き忘れてた。大濠、やっぱ泊めて」




  ♠


「で、結局二人してフロントに降りてったの?」


 ペンネアラビアータを食べながら具志堅さんが笑ってる。まあそりゃ笑うよね、フツーは。

 なんとなくの話の流れで、契が昨夜の閉め出されのことを喋ってしまったので、仕方なく僕も続きを話さざるを得なくなってしまったのだ。


「しょうがなかっぺ。オラだってあんなとこ泊まるの初めてだったし」



 ふたりともがカードキーを持たずに閉め出された僕らは、どうしようもなくなってフロントに助けを求めた。午前一時になっていたにも関わらず、係の人は嫌な顔ひとつせず(さらには好奇の目を向けることもなく)、両方の部屋の鍵を開けてくれた。

 顔から火炎放射でもしそうなくらい恥ずかしかった僕らは、続きを始める気力も無く各々の部屋に収まるしかなかったのだ。

 ミギリからは根性無しと散々なじられたけど、あの状態で再開なんてできるくらいなら、今頃経験のひとつやふたつこなしてるって。

 それにしたっけ、逃した魚は大き過ぎだじゃ。あんとき部屋出る際にオラがちゃんとカード持ってきてさえいれば。


ぬしららしい、としか言えんわ〉


 あきれかえってるミギリの投げやりな口調が、耳に痛過ぎて爆死レベル。


「カードキー忘れの閉め出されなんて慣れてる人でもよくあるから気にしないでいいわ。それよりも、午前中の事前公開よ」


 具志堅さんは、僕らにとっての最重要テーマの失敗談をさらりと流し、本題(?)へと話を戻した。


「つつがなく無事終了したわ。人数制限は上手くいったみたい」


 気持ちを切り替えて、僕は尋ねる。


「中司さんは大丈夫でした?」




  ♥


「彼も異常なかったみたい。もっとも私は主催者に捕まってたし彼は彼で瑠璃に張り付きだったから、詳しくは判らないけど」


 具志堅さんって結構杜撰。沖縄の人って皆そんな感じなの?

 昨夜と同じサイゼで話を聞きながらそんなことを考える。

 とはいえ、彼女の話には正直助かってる。だってボク、朝から大濠の顔がちゃんと見れないでいるのだから。


〈昨日は昨日、今日は今日じゃ。気持ちを切り替えよマドカ。油断するでないぞ。制限があったとはいえ、シネリキョが三百人からのストレスを溜め込んだのは間違いないのじゃからな〉


 判ってるよ、と応えるボク。でも本当の気がかりはそっちじゃ無い。


〈まったくじゃ。昨夜うぬらが閨を共にしておれば、もっと和合についての手掛かりが増えとったものを。意気地無し共が〉


 そんなこと言ったって、しょうがないじゃん。こちとらふたりとも経験の無いことばっかなんだから。

 だいたいみんな楽観的過ぎるよ。仮にパワー不足が原因だったとしても、観覧車でのあのシンクロは偶然が重なっただけなんだから。お互いが相手のことを好……き、ってことは、この前で判ったけど……たぶん。


 でも昨夜ので、大濠はきっと誤解したまんまなんだろうなあ。

 こんなんじゃ和合なんてできっこない。




  ♠


「あの、具志堅さん」


 僕は気になってたことを尋ねることにした。


「来るとき駅で大勢の取材帰りみたいな人たちと擦れ違ったっけ、悪態ついてる人がやたら多くて。なんかあったんですっけ?」


「何時ごろ?」


 逆に聞いてきた具志堅さんに、僕は正午頃だったと答える。


「ああ。それならきっと入れなかった人達ね」


 納得顔の具志堅さんは、軽く頷きながらすらすらと応えてきた。


「展示会場って広いでしょ。メディアさんも原稿急いでるから、同時に複数エリアで取材できるようにって、カメラとかライターとかを大概多めに出してくるの。予備のプレス証を多めに用意してる展示って、実際よくあるのよ。他にも、素人に毛が生えた程度のネットメディアやブロガーも結構いたりして。でも今回はシネリキョ対策で入場制限かけたじゃない。メディアは各社二名以内、ネットメディアは全面お断り。プレス証もナンバリング入れた三百枚以上は発行しませんって」



 僕はなぜか寒気がした。


「理由を詰め寄ってきた人達もいたけれど、流石にホントのことは言えないし、防犯上の都合で押し通しちゃいました」


 具志堅さんは笑いながらそう言ったが、僕の耳元ではミギリが警鐘を鳴らしている。


〈ダンよ。お主と同じ懸念、吾も感じるぞ〉


「ちなみになんだけんど、お断りした人って何人くらいいてたっけ?」


「数えてないけど、中に入れた人の倍くらいはいたかな」


 六百人分の悪意。




  ★


 退屈な待機の後、既知の静謐な宮に祀られる。この宮に居れば、また多くの力を得られる。さすれば光を呼ぶこともできるやも。


 その光を遠方に感じた。強靱で畏れ多いあの輝き。先の遭遇より遙かに確かな息吹、強い光が煥発かんぱつす。手を伸ばし触れんとするも、時足りず把捉はそくも能わず。

 されど予感はある。我は導かれている。

 かの光との再びの邂逅は近い。



 既知の宮とは違う密度濃く強い力が、群れを成して立ち現る。

 歓喜を挙げて手近の力を吸い上げる。が、その先に、それらを遙かに凌駕する力が裸出らしゅつす。今し方摂取せしものたちの倍の群れで。

 満ちてくる。もはや恐れるものなど無い程に。

 かの光にも拮抗する力を、我は既に蓄えた。

 後はただ待つのみ。




  ♥


「決行は日付が変わる頃とします」


 ソファに座る具志堅さんが厳かに告げた。

 まだ五時間もあるじゃん。ベッドに座り込むボクは、そう思いつつ隣のベッドで仮眠してる大濠に目を向けた。

 ここは具志堅さんが取っているツインルーム。ビッグサイトまでは歩いて十五分くらい。


「契さんも少し寝といたら。本番ではあなたたちが頼りなんだから」


〈儂もしばし休んでおく。マドカも身体を休め、気を溜めておけ〉


 たしかに。昨夜はあまり眠れなかったし。

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