第十六話 決戦前夜(その一)
♥
上空から眺める南関東は、地図帳で見たとおりの輪郭をしていた。
西から飛んできたはずなのに、なぜか房総半島の外側から反時計回りの大きな弧を描いて東京湾に進入している。
機体をねじり、方向を変える度に、下になった側の窓に地上の建物が映る。はじめはぼやけた二次元平面。でもいつの間にか、大きな建物は輪郭にピントを合わせた立体に。
さっきまで映画が流れていた目の前のディスプレイや天井にぶら下がるいくつものモニターは、空港に向かって降りていく機体の姿勢を映した画面に変わっている。飛行機を真後ろから見た生成動画が、まるでシミュレーションのゲーム画面。
骨組みに固定されているはずの座席や荷物棚、モニターなどが、激しく揺れる機体の中でバラバラに振動してるように見えて怖い。
これ、分解しちゃったりしないよね。
英語のアナウンスがよく聞こえないくらい、エンジンの音がうるさい。横の窓に流れていく建物が、上からではなくて横からの景色になっている。
地面が近い? ニジリの緊張が伝わってくる。
思ったよりも軽い下からの振動。騒音の質が切り替わった。スピードが急激に落ちていく。
ボクを乗せた便は定刻通りの午前九時五十分に羽田空港に到着した。
CAさんの指示に従って手荷物を下ろしたボクは、大人の人たちの列に混じってタラップに向かった。
さすがは平日の朝、乗客の多くはビジネスマンで女子高生なんてボクひとり。今頃同級生たちは授業中なのを考えると、得も言われない優越感が湧いてくる。ていうか、エモい。
回転ずしのようなベルトコンベアーに乗って流れてくるスーツケースの中から自分の荷物を探し出し、チケットを渡してゲートを出る。着いた。東京上陸。
〈前の時より緊張したわい。考えてみれば、あのときはまだこの時代のことはなにひとつわかってはおらぬ状態じゃったから、怖いなどと感じる余裕もなかったのじゃろうな〉
ニジリの感想はなんとなくわかる。ボクだって前回はクラスの連中と一緒だったから安心感があった。たとえ陰キャで友だちもなく浮いた存在だったとしても、なにがしかの気持ちの繋がりはあったんだな。
でも、そんなことはもういい。足で地面に立ててるんだから。さ、気持ち切り替えるよ。
ボクは電車の乗り場を探してエスカレーターを下っていく。
待ち合わせは品川駅。あと三十分したら大濠に逢える。
♠
はやぶさが東京駅に入線した。思いのほか速い。こんなんでちゃんと停まれるのかと心配になったけど、それはまったくの杞憂で、寸分違わず正しい場所に停車した。
午前十時到着。気の早い人が出口に向かおうしてる中、僕は参考書のページを閉じてマーカーを仕舞う。教室では二時間目の数学が真っ最中の筈。
ホームに降り立つと空気の違いを実感する。やっぱり東京はあったかい。僕は荷物を引きずって下り階段に向かった。目指すは山手線か京浜東北線か東海道線。
ていうか、品川駅にいくのになんで三種類も汽車があるんだよ。
それにしても、と僕は思う。
東京ビッグサイトで開催される大沖縄展のメディア向け事前公開は明日なのに、なんでこんな早い時間の待ち合わせになってるんだろう?
最初の話では、明日の夜に作戦決行って聞いてたんだけど。
〈まあ時間に余裕があるのはええことじゃ。和合の試しもできるやもしれん〉
なんだべ、その試しってのは。
ミギリに問い質すと含んだような笑い声が返ってきた。
なぁに笑ってんだ?
〈吾の想像通りであれば、試しにもなろうて〉
ミギリの謎かけがさっぱりわからない僕は、あきらめて乗り換えに集中した。
しっかしめちゃめちゃ広いっけ、この駅は。次にどこさ行けばいいのかまったくわからん。それと人も多過ぎ。見てるだけで酔っちゃいそう。
スマホの駅構内図であたりをつける。待ち合わせは品川駅って聞いてるが、京浜東北線と山手線のどっちに乗った方がいいんだ?
取っ手を伸ばしたバッグを引きずった僕は、人ごみの中を右往左往する。完全なおのぼりさんだ。
東京駅も凄かったが、品川駅も人の数では負けてない。今ここにいる人の人数だけでも、僕が十七年間で擦れ違ったすべての人の数を超えてる気がする。
〈うむむ。想像を遥かに上回るな、この規模は〉
ミギリの言葉に僕も頷く。こんなんで本当にみんなをみつけられるのだろうか? 契とは石垣島で一度だけだし、具志堅さんに至っては一度も会ったことない。
〈あの御仁なら問題なかろう。紫のブロッコリーを探せばいいだけじゃからのぅ。まあ、おれば、の話じゃがな〉
無事指定の場所をみつけた僕は、歯切れの悪いミギリの言葉に一抹の不安を覚えながらも周囲全部に注意を向けた。
♥
待ち合わせの場所は、
確認のためにLINEのスレッドを開いたら、電車型ポストを写した画像に続いて交わしたナカツーとのログが目に入った。
――いいなあ。高校生同士の遠隔地デート。好きなことなんでもし放題じゃん。俺もそーゆー青春送りたかったなあ
――やめてくださいよ! ボクらそういうんじゃないですから!! 別に付き合うとかしてないし
〈ああは言ったが逢引き日を所望したのはそもそもうぬではないか〉
だから、それは秘密だって。
赤い電車に乗ったボクは、ニジリに口止めをする。
〈十七の娘なんぞ儂らの世界では
時代が違うの。時代が!
「まもなく品川です……」
もう着くの? ヤバ、緊張してきた。
「
ポストの前に立って大きく手を振ってる大濠。ハズいよ。
「お、おお」
ボクはつい不機嫌な顔になっちゃう。すっごく嬉しいのに。
〈あのな。何度でも言うが、ダンはもう知っとるぞ、うぬのツンデレを〉
それでもっ!
「具志堅さんは?」
尋ねる大濠に答えるボク。
声、震えるな!
「え、聞いてないの? 今日はボクらふたりだけだよ」
♠
山手線外回りに乗り込むと、すぐに契は手帳を取り出し、今日の予定の説明を始めた。
まずは渋谷のエマノンでパスタ食べて、次にミヤシタパークを散歩して、そのあとは表参道のカフェでお茶をしてひと休みしたら、今度は原宿行ってクレープ食べて……。
名前しか聞いたことの無い街ばっか。契って福岡の人だよね。なんでこんなに東京のこと知ってんの?
つかもしかして、これってまんまデートコースなんじゃね?
〈やはり吾の読んだ通りであったな〉
え? ミギリ、わかってたの?
含み笑いのミギリに僕は抗議する。知ってたんなら教えてくれたっていいのに、と。ミギリはむろん、取り合わない。
〈さっきから言うておったろうに〉
満員電車と女子とふたりっきりという二段重ねのこの状況を緊張するなという方が無理な話。気のきいた台詞を差し挟むこともできず、吊革につかまったままあーだのうーだのと相槌を打つだけの僕の隣で、契は勝手知ったるみたいな顔でそれぞれのスポットの見どころ食べどころを並べ立てていた。
「おいっしいーー♥」
イチゴだのバナナだのキウイだのが生クリームに埋もれた出来たてクレープを頬張り、契は歓声を上げた。完全にお供の僕もチョコバナナクリームのクレープを囓る。
〈なんじゃ、この美味は? 今まで主が好んで摂っておったお焼きは豚の餌か!〉
ミギリさん、それはお焼きに失礼だべ。岩手の和菓子屋さんに謝んなさい!
「まだまだ乗り換えあるよ。つぎの目的地はお台場の大観覧車なんだから!」
原宿から中央線に乗って東京駅。そこから山手線ホームに走る契は、あたふたとついて行く僕を煽ってきた。
迷子になったら困るでしょの台詞と共に原宿駅で掴んできた手は、今もそのまま。嬉しいよりも、心拍が上がり過ぎてついてけてない。
♥
ゆりかもめの先頭で隣に座る大堀の顔を盗み見た。
なんだよ。子どもみたいな目で前ばっかり見て。少しはボクのことも見てくれればいいのに。こんなに頑張ってんだから。
それにしても、なんでこんなに面白い景色の席座っちゃったんだろ。これじゃボクなんかお呼びじゃないよ。
〈ほんにこの景色は最高じゃ〉
役立たずのニジリは黙ってろ!
平日の所為か、夕方の観覧車はネットの口コミ情報より空いていて十五分ほどで順番が来た。
山ほど調べ、ギャルたちにも聞いてコースを立てた。渋谷も表参道も原宿もちゃんとシミュレーション通りに回れたし、慣れない女の子にだって一所懸命挑戦した。手だって繋いだ。けど結局は空回り。
もしかしたら明後日には世界が滅ぶかもしれないから、それまでに大濠と……なりたいなって思ってたのに。
〈世界が滅ぶは言い過ぎじゃ。とはいえ次の発動は今までとは人の多さが段違いじゃから、儂らが上手くやらなければ東京全土に巨大被害が及ぶのは確かじゃろ〉
そういう話は今は要らないのっ! そんなのは明日考えればいいんだから。
あー、やっぱ好きって思ってるのはボクだけなのかな。和合の儀なんてどうでもいいから、大濠の気持ちが知りたいよ。
オレンジ色に染まったレインボーブリッジを遠目に眺めながら、朴念仁の大濠と不完全燃焼のボクを乗せた観覧車は夕暮れの空を登ってく。
♠
今日一日のあまりの情報の多さに頭も身体も追いついてない。でもこうして長い時間を一緒に過ごし、改めて契を可愛いと思った。最近漠然と感じてた、なんかいいなって感覚が、自分の中でもっとずっとはっきりしたものに形を変えてきてるがわかる。
〈吉兆じゃ。その想いを重ねられれば和合も……〉
いや別に、そんなの今はどうでもいいし。
この気持ち、どうしたら伝えられるのだろうか。
狭いゴンドラの中、ふたりきりで向かい合ってるこの状況は、誰がどう考えても最強のはず。なのに僕は今この瞬間にどうすればいいのかがぜんぜんわからない。
圧倒的に経験値が足りねぇっけ。誰か力を貸してくんろ!
僕は無意識にポケットを探っていた。指先に触れたのは、半分に割れた石。握ってみると妙に安心できた。見ると向かいの席でさっきから黙ってる契も、同じようにポシェットを触っている。あの中に契の石が入っているのを僕は知ってる。
顔を上げた契と目が合った。笑うでもなく怒るでもなく、見たことのないくらい穏やかな目。僕はその瞳から目を離さずに、ポケットの石を取り出した。なぜだか契も同じことをしてる。
まるで操られているかのように、僕らは互いの石を前に差し出し、ふたりの間の空間で断面同士を近づけていった。
滑らかな切断面が触れ合ったその瞬間、僕らは入れ替わった。
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