第十話 接触
♠
高校が用意してくれる夏休みの補講は来週まで。予備校に行く予定の無い僕は、ここでしっかり自分の弱点を押さえておかないと夏休み後半の自習効率に影響が出る。独りの勉強はどうしたって集中力が落ちてしまいがちになるから、ここでの補修は重要なのだ。高二の夏だからと言って浮かれてなどいられない。そうでなくても、入れ替わりの所為で途切れがちになってるし。
午前中のカリキュラムを終えた昼休みは、中庭で弁当を食べつつスマホでいつものアプリを開くのがルーティーン。ラップに包まれたおにぎりを頬張りながらタイムラインを流し読みしていたら、その広告が目に入ってきた。
『大沖縄展
開催中の全国縦断「大沖縄展」に新しい目玉!
次回福岡開催より、先月出土したばかりの「光る
僕は思わずおにぎりを取り落としそうになった。
これこそ僕らが探していた情報じゃないのか?
ミギリ!
〈見ておる〉
僕の呼び掛けに、ミギリはひとことで返してきた。
広告をクリックして、大沖縄展の公式サイトを開く。沖縄っぽい極彩色のデザインの真ん中に蒼い宝珠の画像が置かれていた。石垣の洞窟で見たときのマブイルリによく似ている。
〈ダンよ、特別展示とはどういうことじゃ?〉
人影も
強いて言えば、特別感で煽って展示会自体を目立たせるため、かな。
〈これは
んだ。沖縄展てのはちょっと地味だと思うけんど、最近は美術展とかも結構人気らしいっけ、そこそこは観に来るんでねぇかな。
〈うむむ。そいつは不穏じゃな。いったいいつから始まるのじゃ〉
僕はページをスクロールする。
『開催は今週末から。会場、福岡市美術館』
今週末ってことは、
〈この目で、いやお主の目で見てみたいものじゃが、遠いのか?〉
遠いっけ、福岡は。
そう答えながら、僕はこの前の図書室で書架のガラスに映した契の顔を思い出していた。
♥
深い青の夏空の下、Tシャツにホットパンツ姿のボクは予備校のテキストが入ったリュックを背負って
夏期講習だから無理だっつってるでしょーが。
ボクはニジリの要求を突っぱねた。
勉強もさることながら、予備校はとにかく快適なのだ。この暑い最中、せっかくエアコンの効いたところに一日中居られるってのに、それをサボってわざわざ炎天下の大濠公園なんぞに出掛けていくなんて気違い沙汰だよ。
〈うぬは入れ替わりを止めたくはないのかえ?〉
う。それを言われると。
〈この画像の石がシネリキョの瑠璃である可能性は極めて高い、と儂は思うとる。たぶんじゃが、これを観に行くことは、手詰まりになっておる現状を打破するブレイクスルーとなるぞ〉
そんな前向きなことを言い立てられると、快適さだけを盾にしたボクの気勢など立場なくしぼんでしまう。たしかにこのところの勉強停滞の最大要因が入れ替わりである以上、できるだけ速やかに状況を安定に戻さなきゃいけないし、あわよくば石の中に閉じ込められているマブイを身体に戻すまで進めて欲しい。
渋々ながら、ボクは観に行くことに同意した。
〈初日の一番じゃぞ。さもないと、マブイ戻しには協力できんやもしれん〉
ずるい!
ここでそれ言い出すとか!
〈それに儂も、そろそろ違った場所を見てみたい。家と予備校の往復ばかりでは飽きが来ておったところじゃ〉
チケット売場の窓口前には短い行列ができていた。だいたい二十人くらい。
少な!
〈まだ開いてもおらぬのに行列ができておるとは。やはり人気じゃのう、儂の島は〉
全然だよ。初日の開館直前でこんなに短い列だなんて、大失敗もいいとこ。他人事ながら先が思いやられるよ。ホント。
〈そんなものなのか?〉
「そんなもんよ」
ボクは声にしてそう答えた。
当たり前だが学生ひとり分のチケットを買って、ボクらは入場した。脳内同居だとこういうときはおトクだね。
会場内は快適だった。おかげで汗もすっかり引いて心地よい。せっかくだしゆっくり見て回ろうかと思ったら、ニジリが急かしてきた。
〈できる限り早く石を観に行くのじゃ。周りに人が来ぬうちに〉
順路を見ると、特別展示の『光る瑠璃』は最後のゾーンだった。
それじゃあ他のが見れないじゃん。
〈文句を言うでない。なにかあってからでは遅いのじゃ〉
ニジリがなにを恐れてるのかさっぱりわからないまま、ボクは不本意な指示に従い急ぎ足で順路を進んでいく。追い抜かしていった見学者たちの怪訝そうな視線が背中に刺さって痛い。
ねえニジリ、ミギリに相談しないで勝手に来てよかったの?
今日観に行くという話を、ボクは大濠に伝えていない。LINEに書こうとしたらニジリに止められたのだ。
これってもしかして、スタンドプレイ?
ミギリの方がいろいろ調べてきてたりするから、ニジリちゃん焦っちゃってるのかな?
〈いちいち助手に聞く親方がおるか〉
そんなことを言いながら戯れ合うボクらは、最後の展示ゾーンに足を踏み入れた。
『光る瑠璃』はあそこに
♠
その場所は空気感がまるで違った。
土曜日で補講が休みの今日は、ひさしぶりのじゃじゃを食べに朝イチで街に出てきたのだ。立ち上がる湯気の中、カウンターの内側で麺を茹でているおばちゃんの手つきを見つめていたはずだったのだが。
薄暗く天井の高い、広い屋内。部屋というより展示室のような。
まさか、ここは大沖縄展?!
〈気を溜めろマドカ〉
いつもならすぐ気づくはずのニジリが、なぜか焦った口調で警告してきた。
「僕だ。団だべ」
〈どっちでもかまわん! とにかく石を、マブイルリを取り出すのじゃ!〉
え? どこ。契はどこに入れてんの?
〈
展示柵とケースとの空間を挟み、蒼い光を鼓動のように明滅させる瑠璃と対峙しているのは契の身体。でも中の人は僕。斜めに掛けたポシェットの中にあった契の石を、ニジリの言う通り取り出す。
〈向こうの瑠璃に向けて、うぬのマブイルリを対峙させるのじゃ〉
切断面を掌に載せた碧い石の欠片を掴み直し、僕は腕を伸ばした。輝度が上がり、明滅が激しくなってきた。こちらの瑠璃も、展示台の瑠璃も。
同期してる。
なにかが起こるのか?
急激に明るさを増した展示室で来館者がざわめき始めた。展示台の陰になった奥の椅子に座る青年が、僕を見つめながら腰を浮かせた。
♥
〈これじゃ。これを待っておったのじゃ。のうダンよ〉
いつもは落ち着いているミギリが子どものような歓声を上げた。
ニンニクの匂いに包まれた店内で、カウンターに座る
また替わってしまった。大事なところだったのに。
〈マドカか? じゃじゃ目前でやってくるとはお主も強運じゃのう。今頃そっちでダンが泣いておるわ〉
茹でたての麺に載せられた黒っぽい肉味噌の香ばしい香りに自律反応する脳下垂体を無視して、ボクは胸の中だけで叫んだ。
それどころじゃないんだよ!
〈何があった?〉
そう応じつつ、ミギリはボクの心を読んだようだ。
〈
ミギリの苛立ちがボクに伝わってくる。
ほら。相談すべきだったじゃん。
〈とにかくは今は麺と味噌を混ぜよ。熱いうちが肝なのじゃ。話の方はこっちが読んでやるわ〉
そう促されば、今はやるべきことをするしかない。ボクは割り箸で味噌を突き崩し、真っ白な麺を汚していく。
〈問題の瑠璃は
言い切れはしないけど、シンクロしてた。
〈シネリキョがアマミキョ様の気配に気づいたのじゃ。目覚めるかもしれん〉
♠
視界の端で立ち上がった人が、暗がりから足早に近づいてきた。
〈刮目せよ。ダン〉
ニジリの声で僕は石に集中する。
明滅が強まり、テンポが
〈シネリキョがアマミキョ様を揺り動かしておる〉
青年がすぐ目の前にやって来た。
でも僕にはそんなのに構っている余裕などない。ふたつの強い明滅を間近に浴びつつ、ニジリの言葉と手元の石に集中するので精一杯。
〈ダン。緊張せよ。これは危険じゃ!〉
「あの、その石……」
青年が話しかけてきたが、明滅する光の共鳴で頭がいっぱいの僕はその呼びかけを無視した。
地鳴り?
〈来る〉
突然、足元が盛り上がった。
「地震!」
ワンテンポ遅れて、周囲が悲鳴と破砕音で満たされる。
立っていられない。
僕は手の中の石を強く握りしめて
片手で掴まっていた防護柵が端の方から倒れていった。
身体の真下から揺さぶられた意識を刺激するのは、ニンニクの芳しい匂い。
目を開けると、正面には下手くそに混ぜられたじゃじゃ麺の皿があった。
戻ってきたのか?
〈ダンか? 向こうで何があった?!〉
地震が。前触れ無しに大きな地震が起こって……。
〈そこで還ってきたのか〉
力なく頷く。
そう。還ってきてしまった。あのあとどんな災禍となるかもわからないのに。
湯気上がるじゃじゃ麺を見下ろす僕は、ただ契の無事を祈ることしかできなかった。
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