第七話 入れ替わり(その二)

  ♥


 そこがどこだかはすぐにわかった。全国一律、マクドナルドの店内。

 ただし、ボクがこの手のファストフードに友だちと訪れることは無い。そもそもそんなことする友だちとかいないし。だから行くときはいつも家族と。そして、少なくともここ五年は行ってない。


 なんかすっごく新鮮。


 ビッグマックを手にしたボクが、たぶん遠い目をしながらそう思っていられたのはほんの束の間で、話題の矛先がボク、いや大濠に回ってきた。


「なあダン先輩よぉ。石垣島の脳内女子とはその後どうなってんだよ?」


 あきらかに揶揄やゆした感じの男子(たぶん同級生)の台詞に、他の男子も乗じてくる。


「ボクっ子からいきなり名字で呼び捨てされる、とか、おさの萌えポイントは具体的過ぎるっけ」


「んだ。レベル高過ぎ」


 四人掛けボックス席の入り口から一番遠い壁際の席にボク。三方には半袖ワイシャツの男子。逃げ場無し。

 なにこれ。拷問?!


「さ、ダンよ。聞かせてもらおでねぇの。自称脳内女子との『ボクっ子名字呼びシチュ』の詳細をよ」


 乗り出してきた斜向いはすむかの男子が指差す先にノートの切れ端があった。四つのトレイが交差点を作ってるテーブルの真ん中に置かれているB5の紙。

 男子の圧に息が詰まりそうになってるボクは、事態打開のためにその紙片に目を落とす。と、そこには四種類の筆跡で書かれた箇条書きが連なっていた。



 ―――――――

 オレたちの考える萌えポイントリスト


 ・ワンサイズ上の長袖ニットから覗く指先(シンスケ)

 ・高い棚の本を取るときのつま先立ちのふくらはぎ(てつや)

 ・汽車の向かい席で居眠りしてる女子の頭コテン(逸郎)

 ・ボクっ子からいきなり名字で呼び捨てされる(団)

 ―――――――



 ちょ。わけわかんないんですけど。

 オレたちの萌えポイントリストぉ? 男子って、教室の隅とかに集まってこんなバカなことやってんの?

 この「団」って大濠だよね。いきなり名字呼びって完全にボクのことじゃん! あれ、萌えポイントだったの?

 ていうか状況が難易度レベル高過ぎ。助けてミギリさん!


〈チギリ、いやマドカ、だったか〉


 そんなんどっちでも言いやすい方でいいよ。それよか、今の状況を教えて!


「オレら三人のはどれも観測者目線なのに、ダンのだけ当事者だじゃ。こんなん、実体験から来てんの確実だべ」


「おさの交友はオラたちがよぉく知ってる。一個もそんな影がねえことも。おさのブラックボックスは、修学旅行でバックレたあんときだけだっけ」


「さあ吐け。吐いてラクんなれ」


 距離を詰めてくる三人。ニヤニヤ笑ってる表情がマジ怖いよ。てか、まだなの戻りは! 今回の入れ替わり、めちゃくちゃ長いんですけど。


〈この状況、説明の必要があるか?〉


 鷹揚なミギリの態度がイライラする。腹立ちまぎれにボクは大声で返事した。もちろんだが、頭の中だけで。


 状況はいいよ! 問題は、ボクがなんて答えればいいのかっ!!


 テキトーに胡麻化せばええじゃろ、とミギリ。


 ギリギリギリッ!


 いや、歯ぎしりしててもはじまらない。

 腹を決めて、ボクはテキトーに胡麻化すことにした。

 

「そ、そんなの想像だよ。うん。想像に決まってんじゃん」


「「「じゃん?!」」」


 三人同時に反応した。

 え、もしかしてボク、やらかした?


「お、いつからそったら都会ぶった奴になったん?」


「んだんだ。こりゃあアレだ。福岡にいるボクっ子の影響だじゃ。間違まつがいねえ」


「LINE交換とかして毎晩ねちょねちょしとるんじゃろ、このエロダンが」


 ああああ。終始がつかなくなっちゃった。

 ごめん大濠。あんたの評判落しちゃったよ。勘弁して。


 もはや打つ手のないボクは、時間を稼ぐためひとまずこの場から逃げ出すことにした。食べかけのビッグマックを箱に戻して大濠ボクは立ち上がる。


「ごめん。ちょっ、トイレに」




  ♠


 マック店内のざわつきがかき消えて、僕は静寂の中にいた。

 左の窓から夕暮れの陽射し、正面の奥には整然と並ぶ本棚。

 どうやらここは図書室らしい。さすが名門女子校、うちの高校の施設とはおしゃれ度合いの質が違う。


 入れ替わりもだいぶ数をこなしてきたから、もうあまり焦らなくなった。どうせまた、すぐに戻るんだろうし。

 目の前には読みかけで開いたままのハードカバー。今まさに萌えポイント考察をしてるおバカな僕らとはぜんぜん違う。


 そういえば、ちぎりはどんな本を読むんだろ。


 僕は中程まで開かれたページに指を挟んで、表紙のタイトルを読んでみる。


『ロズウェルにUFOが墜落した』


 はあ?


〈おお。オオホリか。よお来たな〉


 ニジリさんが実家の婆さんみたいな挨拶をしてきた。


 はじめまして、でしたっけ。ミギリさんから結構話を聞いてるっけ、なんか初めてって感じもしないけんど。


〈堅苦しい挨拶は抜きじゃ。儂のことも呼び捨ての「ニジリ」でええ。権威は好かんでな。それと「オオホリ」ってのも呼びにくいから、うぬのことも「ダン」でええな〉


 それはもうご随意に、と僕は応えた。


〈なんじゃ。マドカに興味があるのか〉


 マドカ? ああ、契のことか。

 ええ、まあ。会ったのは石垣での一度きりだけんど、最近はこうしてちょくちょく入れ替わったりもするっけ、もうちっとちゃんと知りてえな、って。

 ニジリさん……、ニジリから見て契はどったな感じです?


 僕は本のページを戻して座り直した。

 いつ戻ってしまうかわからないけど、こうしてニジリと対話できるのはとてもいい機会だと思ったのだ。


〈マドカか。あれをひと言で表すと、ややこしか女子おなごじゃ。すぅぐ癇癪は起こしよるし人付き合いも上手うもうない。友だちもおらんからいつもひとりで本ばかり読んでおる。眼鏡をしとらんと物もよう見えんしな〉


 ニジリは酷評ばかりを並べ立てる。


〈じゃがな、理解力は早いし頭の回転も悪うない。この儂と話をしとってもよう付いてきよるし飽きも来ん。それに、あの細っこい身体でも意外に丈夫で健康じゃしな〉


 その印象は僕と同じだ。しかもこの一ヶ月以上の四六時中を共に過ごしてきたニジリが言うのだから、その信頼性はかなり高い。


〈総じるに、悪か女子おなごではない〉


 むしろ興味深いと言ってもええじゃろ、とニジリは総括した。

 ニジリのちぎり評を聞きながら僕はにやにやしてしまった。ほんの僅かの時間を共に過ごしただけの女の子なのに、なんでこんなにも気になるんだろう。


〈やはりこうして直接話せると考えが整理できて良いのう〉


 たしかにそうだ。ニジリと話しただけでも、契のことが随分近くなったように感じられる。


〈そういえばダンよ、ミギリの奴は元気にしとるか?〉


 元気だよ。テレビ観たり勉強したりしてっとき、何気にミギリも見てるっけ。んでツボに嵌まっと、そんことについて夜中に話し込んだりすることがある。あと、スマホ使ってみせろってうるさいっけ。

 

〈憎まれ口ばかり叩きよるし、顔形に至ってはもうすっかり忘れてしもうた奴ではあるが、会えんとなると淋しいもんじゃ。ミギリともこうやって話ができるとええんじゃがなぁ。伝わりも早くなるじゃろうし〉


 んだな。二百年以上ずっと一緒にいたんだもんな。顔形も忘れた、か……。


 そうだ、と僕はひらめき、席を立った。目指すはガラス戸の付いた書架。


 部屋の奥に目当ての書架を見つけた僕は、その前に立ってみた。クリヤーというわけではないが、それなりの鏡となったガラスに契の姿が映る。

 前に会ったときよりも少しだけ伸びて耳を隠すようになったショートカット。鼈甲縁で小さめの眼鏡。その奥にある黒目がちの瞳。低いというほどの背ではないのだが、全体に薄い印象のある肢体。手足は細く胸も薄い。


 そういえば、触ったこと無かったっけ。


 鏡の中の契が、両脇に垂らしていた手を僕の意図に従って上げていく。お椀型にした両の掌を内側に向けて、ゆっくりと胸に近づける。

 薄い夏服の生地に指先が触れ


 白くて狭い部屋だった。

 トイレ?

 僕はズボンを穿いたまま便座に座っている。


 はあ? なんでそうなんの?


「いいところだったのに~」


〈お帰り、ダン。なにがいいところだったのじゃ?〉




  ♥


 図書室の棚の前に戻ってきた翌々日の昼過ぎも、ボクはいつものように学校に来てる。期末試験もとうに終って、学校全体がそわそわした夏休み前モードになってる。

 そうは言ってもボクにはほとんど関係ない。一緒にどこかお出かけする友だちや彼氏もとくにはいないし、帰省する田舎があるわけでもない。あるのは予備校の夏期講習の予定だけ。

 一説によると高二の夏は人生で一番楽しい季節らしいのだが、そんな兆候などボクには欠片も無い。


 ふん。別にいいのだ。そんなもの。



 女子高のプール授業は着替えのための教室移動がない。なぜなら全員女子だから。

 男の先生もいたりするから廊下側の窓だけはカーテンで隠したりもしてるけど、それさえ済めば、あとは全員すっぱーんって感じ。

 今日は凄く暑くて天気も良い。だからもうみんな、はしゃいじゃって。中学の頃は共学だったこともあり、男子に見られるのが恥ずかしかったりなにか言われたりするのが嫌でズル休みするなど、ボクも含めて妙に意識しちゃう子が多かったけど、ここではそんな忖度なんて完全に無縁。この暑さに大手を振ってプールに入れるんだから、出席しない理由なんてどこにもないでしょ、てな調子なのだ。


 そんなはっちゃけた雰囲気の外れで、陰キャのボクは慎重に着替える。最初に靴下を脱いで、そのあとすぐにパンツを脱ぐ。シャツもスカートも着たままで。脱いだパンツを丁寧に畳んで水着の入ってた袋にきちんと仕舞う。その上で、しっかりバランスをとって片足ずつ水着に足を通していく。


 急がず焦らず集中して。だって、いつアイツと替わってしまうかわからないんだから。

 実際、一昨日おととい戻ったときの立ち位置はなぁんか怪しかった。たぶん棚のガラスを姿見代わりにしてたんだと思う。手のポーズもちょっと嫌らしい感じがしたし。

 アイツがどんな性癖なのかは知らないけど、普通の男子高校生でもこの場に来たらマンガみたいに鼻血吹き出しちゃうんじゃないの? だって女子高生の集団着替えシーンだよ。隣の集団なんか、隠す気ゼロでぱっぱか脱いじゃってるし。


 教室全体を支配する開放ムードを敢えて無視して、ボクはスカートで隠したまま紺色のワンピース水着を腰まで引き上げた。


 ふう。第一段階はひとまず安心。お次はシャツのボタンを……




  ♠


 パスされたボールを受けたら、そのまま一歩二歩でシュートまで持っていく。


 そんなイメージで足を踏み出したはずなのに、なぜか裸足で教室に立っていた。顔を上げた目線の先には、女子高生たちのあられもない姿が!

 また来た。なんて言ってる場合じゃない。

 教室内で繰り広げられている光景は、小学校に上がる直前に一度だけ母親に連れていかれた女湯の脱衣所そのもの。子どもながらに深く記憶に刻み込まれたその光景は、母よりも年上のおばちゃんやお婆ちゃんたちのくすんだ肌色だった。

 だが今回はレベルが違う。違い過ぎる。なにしろ、この場にいるのはJK限定。


「天国かよ」


 自重するのも忘れ、僕は口走っていた。

 着替え真っ最中のちぎりの身体を操るなんて思いもつかず、僕は開放感溢れる周囲の光景を一心に見入った。

 隣の子とお喋りしながら、背中に回した手でブラジャーを外す胸の大きな女子。スカートを落とした下着のみの恰好でスクール水着を検分してる女の子。おざなりのタオルを首に掛けただけの裸の女の子が片足ずつ水着に足を入れてる後ろ姿。


〈ダンか。ええとこに来たな〉


 耳元で聞こえるニジリの声にも上の空で、僕の視線は楽園パラダイスを彷徨う。


 あっちでおっぱいこっちでお尻。

 マジで天国過ぎる。もしかして、オラ、死ぬの?


「チギリー! なぁにちまちま着替えてんの。もっとぱあっとやりんしゃい。ぱあっと」


 そう言いながら走り寄ってきたギャルっぽいスクール水着が僕のシャツに手をかけて、ボタンを外そうとしてきた。


 うわ。近っ!


 反射的に身をよじる僕。でもシャツを掴んだギャルの両手は離れない。それどころか、さらに身を詰めてきた。開いた襟の内側に息が吹きかかる。身体に電気がはしったみたい。

 為すがままの僕は、もうくらくらでへたり込むしかなかった。

 机に手を付き、しゃがみ込みそうになってる身体を支えて……


「ったくそ! なに走り過ぎてんだこのボケ。おかげでボール獲られたでねえの」


 僕はエンドラインの外に突っ立っていた。

 そうだ。僕は昼休みに体育館でバスケをやっていたのだ。

 いきなりのゲーム参加にわけもわからないままトラベリングの失態をかましたぼくへの叱責を無視して、僕はその場に屈みこんだ。

 肝心なところでぶち切られた縦読みマンガもかくやの百合体験が、頭の中から離れない。


 なんでなん! なんであったら短えんだよ! 前ンときは三分くらいあったがや!


〈どしたね、ダン。向こうで何を見てきたね?〉


 ミギリの間延びした声にも、僕は応える気になれなかった。




  ♥


〈うぬら、ここんとこよう入れ替わるな〉


 三世代同居してる婆ちゃんが孫の友だちについて語ってるみたいなニジリの台詞。

 知らないよ、そんなこと。ボクが望んでるわけじゃないし。


「ホントだよ。今日だって着替えの真っ最中だったし。短かったから大事には至らなかったけど、あのあとズン子さんに違和感ツッコまれて言い訳すんのに苦労したんだから」


 気づいたら目の前のズン子さんにシャツのボタン半分外されてたのはマジで焦った。大濠のヤツ、いったいなにしてたのよ!


「正直、おちおちトイレも行けやしない。夜遅くの入れ替わりはいまんとこ無いから、今みたくお風呂はなんとかなってるけどね」


 湯船に浸かりながら口にするボク。傍目には独り言に映ることだろう。


〈寝とる時もあったぞ〉


 マジ?


〈まあ、双方共に眠っておったから実質なにも起こっておらんに等しかったがの〉


 ボクは安堵の吐息を吐く。


〈それよりも、長さが安定せんのが困りもんじゃな。二日前のくらい時間があれば、儂もダンと意見交換ができるのじゃが〉


 二日前、か。


 例外的に三分超と長かったマクドナルドでの入れ替わりのことだ。ボクは、破ったノートに大濠の筆跡で記されていた萌えポイントのことを思い出す。

 なんだか知らないけど、頬が熱くなってきた。

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