第六話 入れ替わり(その一)

  ♠


 それは期末試験の最中に突然起こった。


 午後最初の試験は数学Ⅱ。中間のときは高得点だった。得意科目だから今回もしっかり点数稼がんといけん。


 心を静めて刻を待つ。先生の「開始」の声を合図に裏返してあった問題用紙を捲りあげ、なによりも先に答案用紙に名前を書く。


 お。予想より簡単そうだっけ。


 そう思った瞬間、身体がぶれた。

 急に机が近くなり、目線の先の問題が漢文になった。


 いや、違う。問題用紙自体が変わってる。

 てか、なんだこのファンシーなシャーペンは!


 ノックのところにキャラクターが乗ったピンク色のシャーペンを、僕は握っていた。

 が、それだけじゃない。見知らぬシャーペンを持つ僕の手は、まるで女の子の手のように細っこくて白い。


 なんじゃこりゃあ。


 思わず声を上げそうになった口を押さえ、僕は周りを見回した。カンニング疑惑をかけられる心配も一瞬よぎったけれど、この事態はそれよりも優先されるはず。

 視界に入ったのは全部女子。そして、誰ひとりとして知ってる顔は無い。

 知らない制服、知らない先生、知らない教室。


 なにが。いったいなにが起こったんだ?!




  ♥


 レ点の打ち場所を探してたはずが、なぜか解の公式の使いどころを考えてる。


 ん? ん?!

 ボク、どうかしちゃったの?


 目の前には数学の問題用紙。この記号見たことない。logってなに? こんなのやってない。

 ボクの意識はそう思っちゃってるのに、アタマの方はなんか覚えてるっぽい。


 どゆこと? ぜんぜん意味わかんないよ。


 ふと見ると、右側に広げてある解答用紙の一番上にやたらと筆圧の強いぶっとい字で名前が書いてある。


 大濠団


 え? え!? なにこれ?

 おおほりだん?!


 いきなりの事態にパニくったボクは、勢い込んで立ち上がった。漢文の試験中だったはずなのに。




  ♠


「こらぁ大濠おおほりぃっ! なぁに立ち上がってんだぁ? しかも周り見回して。こらまたえらく派手なカンニングだっけ」


 試験開始直後の緊張した空気が爆笑に包まれた。が、僕の方はそれどころではない。

 忍び笑いが収まり再び緊張の静寂が戻った教室で、僕はおとなしく席に腰を落として机の上を見る。そこには数学の問題と答案用紙があった。

 両手を広げて見たが、その手もいつもの自分の手。


 でもさっきは確かに変わってたのに……。


 試験中は絶対に話しかけるなと厳命しておいたミギリの囁き声が、耳元から聞こえてきた。




  ♥


〈うぬら、今、替わっとったな?〉


 ニジリが話しかけてきた。試験中は会話しないと決めていた約束を忘れ、ボクも頭の中で反応してしまう。


 代わってたって、どゆこと?


〈うぬとオオホリとがじゃ〉


 ボクと大濠?


〈そうじゃ。ほんの僅かの時間ではあったが、うぬらははっきりと入れ替わっておった。他ならぬ儂が言うのじゃから間違いはない〉


 もう、レ点の落とし場所なんか考えてはいられない。ボクはついさっきの異常な状況を反芻してみた。


〈前に瑠璃の奥に探っていたときに、底の方で見つけた気配があった。儂でもうぬでも、ましてアマミキョ様でもない、別の誰かの残りかすみたいなもの。なんの動きもなく見過ごしてしまうくらい小さな欠片じゃったが、あれはたぶんオオホリの一部だったのじゃろうな〉


 石の底に落ちてる小さな大濠?


 ボクは親指サイズになった大濠をイメージした。


〈ふたつに割れたときに彼奴あやつの意識の端っこが取り残されたのじゃろう。今の現象はそれの所為やもしれんて〉


 それってもしや、世に言う入れ替わりって奴?


〈よくあるのかえ?〉


 まぜっかえしてきたニジリの台詞に、ボクは大きくかぶりを振った。


 ないないっ!

 よくどころか、リアルじゃぜんぜん聞いたことないよ。そんなのあるのはアニメの中でだけ。


 アニメはええな、と呑気に返してくるニジリ。

 でも確かにさっきのは入れ替わりだった。ちゃんとは見てないけれど、あのときのボクの手は無骨な男子の手だった。それになによりもハッキリ憶えてるのは、答案用紙に書かれていた名前。


 ボクはもう、試験になんてまったく集中できなくなっていた。




  ***


 ふたりが入れ替わったのとちょうど同じ頃、沖縄本島の浜比嘉島はまひがしまにある旧いウタキを舞台にささやかな事件が起きていた。


 初夏のこの時期に毎年恒例で行われているアガリ御嶽ウタキ近辺の発掘調査。国立日本橋大学考古学研究室が主催するこの調査合宿は、ある種の公式レジャーでもあった。研究室に慣れ始めてきた学部生や修士生らの親睦を深めてフィールドワークの楽しさを知ってもらうという、いわば予行演習的色合いの濃いこの調査は、だから新たな発見を期待するようなものではなかった。

 担当教授の引率のもとにガジュマル林に歩を進めていった一団の現地調査は、しかし、今回に限って今までとは全く違う様相を呈してきた。


 例年なら足を踏み入れることのない奥地を明確な足取りで突き進んでいった担当教授は、そこで前例のない大きな発見を成し遂げたのだ。といっても、あくまでも沖縄考古学という狭いジャンルの中での新発見ではあったが。


 宝くじ級の偶然でもない限り見つけることのできなかった地下洞窟の隠しウタキ発見は、ひとつの小さな事故によってもたらされた。

 たまたま先頭を歩いていた研究助手の青年が、まるで神隠しにでも遭ったようにいきなり消えた。彼はけもの道にさえなっていない欝蒼とした草叢の中の落とし穴のような地面をピンポイントで踏み抜いて、その下に隠されていた地下洞窟の最深部に滑落したのだ。

 経験の浅い調査チームは、急遽発生したメンバーの救助という想定外の事態をなんとかやりこなした。そのとき彼らが穴の底で発見したのは、完全に意識を失っている青年が握りしめた蒼く発光する野球ボール大の瑠璃だった。

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