第五話 日常(岩手にて)
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あれからひと月。
少しでも油断すると、僕はそのことばかりを考えてしまう。石垣島で逢った、ちょっと生意気だけどめちゃくちゃ印象に残った女の子。
クラスの奴に聞いてあのときニアミスした高校の学校名までは割り出せたけれど、どうやらめちゃめちゃ名門の女子校らしくって、女子に免疫のないのボクではとてもじゃないけど連絡など取れやしない。だいたいなんと言って切り出せばよいのやら、まったくもって想像の埒外だ。
あの日の中座を仲間たちに追及され、差し支えない程度に脚色して話はしたものの、彼らからは脳内女子に認定されてしまった。まあそのくらいの扱いの方が無難っちゃあ無難なんだが。だいたいにして脳内女子の方は、そっちはそっちで既にいるわけで。
まあ婆さんなんだけどね。
そのミギリ婆さん。
なにが
帰りの飛行機で大騒ぎし、新幹線でも同様にわめきまくる。乗り物全般はどれも衝撃らしく、窓際行けだの運転手見せろだの、とにかく煩い煩い。おかげで何度声が出てしまったか。もうね、完全に不審者扱いだっけ。
ちなみにミギリ一番のお気に入りはスマホ。開くたびにもっと見せろと言ってくる。
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正直なところ、最初は戦々恐々だったマブイ抜け生活だったけど、進めてみれば思ってた以上に問題なかった。
重要なのは身体とマブイの距離。石を介しての有効距離がどのくらいなのかを、僕は少しずつ試してみた。そもそも、その途切れ方がどんなタイプなのか。フェイドアウトみたいに少しずつ途切れていくのか、それともデジタルみたいにバツッと切れるのか。後者であれば実験自体が即自殺行為に転じたりしかねないので、その辺り慎重にいかなくちゃいけない。
もちろんミギリとは相談した。
〈
ミギリは話のわかる婆さんだ。遙か昔のひとだから現代社会の常識や慣習には疎いけれど、それらにアジャストしようとする欲求は凄まじく、とにかく吸収力が半端じゃない。新しい言葉なんかもじゃんじゃん憶えていくし、その用法を恥ずかしがることなく僕に尋ねてくると言う謙虚さも併せ持っている。世の大人が皆こうであれば世代間の格差や断絶なんて問題にならないのに、と僕は思う。
ミギリのサポートもあって、とりあえずの安全圏は把握した。教室を起点にして、学校の敷地内ならどこに行っても僕の身体とマブイの連携は問題なく取れる。
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中間試験翌日の体育は年に一度の体力測定だ。この行事を、僕は結構楽しみにしている。
自慢じゃないけど、僕は身体能力にはちょっと自信がある。別に上背があるわけでも無いし筋骨隆々ってんでもない。でも身体はそこそこ柔らかいし、背筋や握力も平均よりだいぶ良い。でもって持久走に関しては、ほぼほぼいつもトップ集団だ。去年も走るのが得意な運動部の連中に混じって十位の成績を挙げたけど、今年は今まででも最高に調子いい。なんなら学年総合一桁台も堅いんじゃないかな。
教室でジャージに着替えた僕は、いつも通り石を通学バッグの中に置いていった。
最初に試した体育の授業はおっかなびっくりだった。でも結局のところ、最初から最後までなんの問題もなかった。そんなこともあったから、今回もとくに気に留めたりはしなかったのだ。なによりも、運動するのに石は邪魔でしかないし。
去年と同様で、今年も体力測定はいい感じに進んでいった。どの数字も前年記録を更新してるし、クラス内での順位も軒並み上位だ。うん。今年は過去最高の仕上がりになってる。
最後の測定種目は持久走。女子は千五百だけど男子は三千。グラウンドを半周してから学校の外に出て、バイパスを挟んで向こうにある池の周囲をひと廻りして帰ってくるコースだ。毎年の恒例なのだが、池の周りを走るのは男子だけなので畔にある女子校の窓から応援して貰えるのが嬉しかったりする。どうせだから、今年はトップを狙ってみるかな。
先頭で正門を出た僕はテンポを上げて独走する。調子良い。学校を囲む道を校舎の裏手に沿って、まっすぐ快調に走っていく。先頭集団は僕を含めて十人。野球部、サッカー部、陸上部の面々が連なる中で、運動部に入ってない僕が先頭だ。気持ちいい。
高校の敷地の横を越え、バイパスに連絡する生活道路に入った。ここで最初の加速。
……するはずが、思ったようにスピードが上がらない。
おかしい。
後ろを走っていたランナー達が、次々と僕を抜いていく。その背中がモノクロに見えた。いや、彼らだけじゃ無い。流れ去る景色も色を失っている。
〈ダン、離れ過ぎじゃ〉
ミギリの警告でようやく僕は気づいた。
石との接続限界が近いのか。
だがもう遅い。視界はブラックアウトし、音も聞こえない。
身体の制御感覚は完全に消失した。
狼狽する僕は、ミギリを呼ぶ。声を上げたつもりだったが、肝心の声帯を震わせる身体を失っている。
どうしよう。
〈最早どうしようもないわ。こちらから移動するのが叶わぬ以上、身体の方が運ばれてくるのを待つしかあるまい〉
時間も空間も失った僕は、ただ意識だけの存在となって時が過ぎるのを待つことしかできなかった。
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目が開いたのは担架の上でだった。
僕の名前を呼びながら騒いでいる声が、フェイドインのように聞こえ始め、不規則に揺れる皮膚感覚が戻ってきた。恐る恐る目を開けてみると、モノクロでぼやけた世界が視界に映る。身体の感覚が明瞭さを取り戻してくるのと並行して、少しずつ景色に色も戻ってきた。
呼び掛けに答えようとするが、上手く口が動かない。
見えるものの解像度が上がり、体育教師の心配顔がハッキリ見えたところで僕はもう一度口を開いた。
「大丈夫。たぶんもう、立って歩けるっけ」
頭を起こして横を見ると、高校を囲む柵の端から二ブロックほど離れた交差点だった。
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測定会での卒倒は
後続ランナー達の証言によると、もはや走る
「ゾンビかと思った」
助けを呼びに行ってくれた後続のひとりはそう表現したらしい。まさに当たらずとも遠からずってやつだ。
これでもかというほどの入念な検査の結果、倒れたときの打ち身以外で身体に異常は見つからなかった。具体的な症例を当て
〈マブイ落ちとはそういうもんじゃ〉
病院からの帰り道に、ミギリは耳元でそう言った。
それ以降は僕も気をつけて、石は常に身近に置くようにした。いやそうじゃないな。
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有効接続距離についてはそんな感じで身をもって確認できたのだが、それ以外の石の特性はわからないことだらけだ。
瑠璃。ラピスラズリ。
モース硬度は五から五.五、比重は二.四前後、屈折率は一 .五で、透明度は半透明か、もしくは不透明。
以上、出典はウィキペディアだ。
産出はアフガニスタンがほとんどで、そのほかにはロシア、タジキスタン、チリ、カナダなど。変わったところではイタリアのベスビオス火山からも見つかったらしい。日本での産出は公式には認められていない。
〈
「それってどういうこと?」
〈シガキ。この石が祀られとった島じゃ。主らの呼ぶ石垣島のことじゃな。その
ミギリの説明は丁寧だ。
さすがは王都ナンバーワンの巫女だけあって知識の量が半端ない。しかし彼女の真の凄さはそこじゃない。なによりも、新たなものを摂取せんとする欲と、それらを理解し使いこなす地頭の良さが異常レベルなのだ。現代の言葉にしても、動画や音声、僕らの授業、会話などで憶えたのをじゃんじゃん使いこなしてくるし、文字もかなり読めるようになってる節さえある。
〈瑠璃はそのニシフィヌカンで掘られておった〉
おった?
〈アマミキョ様らが大暴れしたときに沈められてしもうたのじゃ〉
「沈められた?! てことは、今はもう無いの?」
〈後のことは知らん。そのときのアマミキョ様を鎮めて、吾も一緒にマブイルリに入ってしもうたからな〉
僕はネットを漁ってみた。
あった。大正十三年に西表島の北北東二十キロ付近で海底火山の噴火したという記録。ミギリの言う沈んでしまったニシフィヌカンは、この海底火山のことなんだ。
〈主らが割ってしもうたマブイルリは、最後となった採掘で掘り出された国宝級の宝珠だったのじゃぞ〉
淡々と物語るミギリの昔話を聞きながら、僕はその世界を想像した。
遙か数百年前の沖縄・八重山諸島で人々が敬う神様たちが、なにかの拍子で暴れ出した。それはたぶん、多くの天変地異を伴ったのだろう。島の巫女のノロやユタたちはそれぞれの被災地に散って、神様を鎮めるための儀式を行ったに違いない。ニシフィヌカンで採れた瑠璃を宝珠にして。
火山島ひとつを沈めてしまうほどの大災害を前にして、琉球王国最高のノロ・ミギリと最強を自称するユタ・ニジリのふたりが人柱となって神の暴挙を鎮静させたのだ。
ヤバ。マジ、ファンタジーだっけ。
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で、アマミキョ様の行方はわかったのけ?
六月上旬のある日の帰り道、駅から家まで続く人影のない夜道で僕は思考を飛ばしてみた。ミギリは直ぐに応えてくれた。
〈瑠璃の奥底で
半分だけ?
それって、ひとりが身体半分で生きてられるってこと?
〈むろんそんなことは、吾ら人では到底無理じゃ。だが、アマミキョ様級であればそれも可能らしい〉
どういうことだ?
例えば上半身はこっちにいて、意識みたいなものの無い下半身が契の方の石にあるってことなのだろうか。
〈そうではない。アマミキョ様はここにも睡っておられるが、おそらくは同様に、ニジリの方でも半身で睡っておられるのじゃ〉
「福岡(あのとき契は福岡の女子高生と言っていた)と岩手の二カ所で同時に存在するってこと!?」
〈ほぼ間違いなく〉
量子的存在ってヤツ? SFかよ。
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