第四話 日常(福岡にて)

  ♥


 あれからひと月。

 大濠おおほりはどうしてるかな。ミギリとはうまくやれてるのかな。


 あの日、天文台の外に集合していた列に紛れてギャル達と合流すると、予測していた通りの速攻でイジられた。

 ギャルの面々からはやし立てられてどもりながら一応える、という相変わらずのコミュ障ぶりを披露しつつも、LINE交換したのかと聞かれて初めて気づいた。そういえば大濠との連絡先の交換をしてなかった、と。

 はっきりいって、洞窟での別れ際のばたばたは痛恨の極みだった。


 連絡する、と大濠に約束したのはボクの方だった。もう少し気持ちに余裕のある別れ方をしてさえいれば、こんな凡ミスをかますことなど無かったのに。家に帰って落ち着いてから彼の学校を調べようとしたけれど、検索スキルが低過ぎて結局断念した。


 ああ、ほんと失敗。今考えてみれば、大濠はかなりいい奴だった気がする。なまりはあったけど基本的には紳士だったし、こっちの言うこともちゃんと聞いてくれた。先に自己紹介してきたり手も貸してくれたり……。

 それになによりも、共にマブイを落としたもの同士!

 あああああ。なんてもったいないことしたんだ、ボクは。後悔先に立たずで覆水盆に返らずだよ、まったく!



 とまあそんな致命的なミスはあるものの、実際の生活の方は、いまのところ思ったほど困ったことにはなってない。学校だろうが家だろうが、とにかく石を手元に置いときさえすればちっとも問題ないのだ。目立たず騒がず、ある意味いままでと全く変わらずの陰キャ生活。

 変わったことと言えば、あの洞窟の一件が他校男子のナンパに乗ってのサボりと受け取られたのがきっかけで、なぜかギャルグループから一目置かれたってこと。これがプラスなのかどうかはちょっとわからない。チギリーって仇名呼びが彼女たちの間で定着したというのも痛し痒しってとこかな。

 一方で明らかなマイナスは、修学旅行を境にゆかりとミコが離れていったこと。向こうの班が過ごしやすかったってのが本音なんだろうけど、ギャル筆頭のズン子さんからダチ扱いされてるのを理由にされたのは腹立った。でもそういうのがわかったってことは、必ずしもマイナスじゃなかったのかな。




  ♥


 生活は困ってない。そう言った。

 確かに今はその通り。だけど最初のうちはそれなりに危なかったこともあったよ、やっぱ。中でも特別だったのは、沖縄から帰ってきた翌日の出来事。あればっかりはマジ相当レベルでヤバかった。



 その日は家族で外食するってんで母親が運転する車で出かけることになった。仕事の父を帰り道の途中で拾って、そのまま郊外のステーキハウスに直行するって手筈。たまに企画される家族団らんのひと幕は、石を家に忘れてしまったボクの所為で大変なことになるところだった。



 前夜、帰宅した後の我が家では、常に無いくらいボクが主役だった。少し焼けて健康そうになったボクの顔、持ち帰ってきたへんな沖縄土産もそれなりに歓ばれたけど、なによりも現地で撮った画像がウケた。家族も認める陰キャのボクが、よりによってギャルに囲まれて写真に収まってたってこと。不慣れな笑顔はさすがに引き攣ってたけれど、陽キャの彼女らに合わせたギャルピースとか、絡まれて肩抱かれてるツーショットとか、およそ今までのボクの交友からは想像すらできない快挙の連続だったから。

 母親は赤飯炊こうとし始めて、父親も秘蔵のワインを開けると言い出した。日頃は口もきいてくれない無愛想な妹でさえ、最後に残った唐揚げをボクのために食べずに我慢してくれたくらい。てか、どんだけ低いんだよ、ボクの家庭内評価。


 そんなわけだから、学校が代休となった翌日の晩ごはんが家族総出の特別なディナーになったもの、ある意味、当然と言えば当然だった。


 次がいつ来るかわからない我が世の春を満喫すべく、ボクは一番食べたかった贅沢な食材を所望した。すなわち、夢でしか見たことの無い、目の前で焼くビーフステーキ。ナイフを入れたら赤い肉汁が滴り落ちる分厚いヤツ。もちろんそれは文句なく承認された。

 正直、思ったよ。これからは、小出しにできる程度には陽キャとも遊んで見せようって。


 家を出るときは肉肉と大はしゃぎしてたボクだったが、車が走り出してすぐに勢いが無くなった。いや、気分はまったく変わってないのに身体がついてこなくなったのだ。

 後部座席に座ったボクは、車庫を出て一分もしないうちに隣の妹にぐったりともたれ込んだらしい。妹のただならぬ真剣さに驚いた母は急遽引き返し、家の近所にある行きつけの病院に向かった。ラッキーなことにその途中で部屋に置いたままだった石との接続が繋がったボクは、病院ではなく、一旦家に戻ることを懇願し事なきを得た。



 石と身体の有効接続範囲は直線距離でおよそ五百メートル。

 後日ひとりで自撮り録画をしながら調べたところ、約二百メートルで喋りが不自由になってきて、三百を超えると手足がもつれだした。四百の手前にくると、視界が白黒になってぼやけてくる。たぶん立ってはいられまい。その段階でもまだ、音はかろうじて聞こえてる。とはいえチューニングの安定しないラジオみたいな感じで、早口だったり難しいことを言われたりすると聞き取れないかもしれない。

 動けなくなったら怖いから、その先は試してない。

 それともうひとつ、距離が開くにつれて身体との同期は失われていくのに、意識は不思議とはっきりしてる。ボクの主体が身体ではなく石の方にあるんだ、ってことを思い知らされた。




  ♥


 ニジリの方は、乾いたスポンジみたいにボクの周囲の世界を吸収している。

 彼女ははじめからボクが独り言のように意識して考えてることを読み取れて、ボクの見た物、聞いた音もほぼ同じように見聞きできた。だからあのあとの修学旅行後半でボクがギャル達に遊ばれたことや帰りの飛行機で酔ったこと、学校ではヒエラルキーの最下層にいることなんかもほぼほぼ全部共有されてしまった。隠したいこともほぼ全部、赤裸々に。

 さらに感覚の同期は視覚聴覚に留まらず、このひと月の間で触覚や味覚、嗅覚にまで及んでいる。とくにニジリがこだわってるのが味覚だ。


〈マドカ、今日はアレは食わんのか〉


 そう言ってくるときのニジリが所望してるのは、大抵がチョコレート。あの甘味は、今までに得たことのない究極の快楽だとか。ニジリに言わせると「躰のすべてがとろけて流れ出してしまう悦び」なんだそうだ。

 他にもアイスやスナック、甘い卵焼きにカップラーメン。寿司も好きで、生魚自体もさることながら醤油やワサビにも驚嘆し、やたら感激していた。


 一方で、睡眠のタイミングは違ってたりする。ボクの起床はだいたい七時、寝るのは夜の十二時過ぎくらいだけど、ニジリの普段は六時前には起きて夜は十時くらいに寝る。明確に寝てるのがわかるってのじゃないけど、反応の戻り具合でだいたい見当がつく。




  ♥


 ニジリが昔の人だってことはボクでもわかってる。車や飛行機に乗ったときに、絵に描いたみたいに典型的なツッコミしてたから。〈なんじゃこの速さは!〉とか、〈景色が斜めになって後ろに消えていった!? これはなんのあやかしじゃ?〉とか。

 ただ、いつ頃の人だったのかと言われると本人もわかってない。出会った場所が石垣島あそこだし「琉球」とか「シマンチュ」とか言ってるから沖縄の人なのは間違いないんだろうけど、そもそもボク、沖縄の歴史とか知らないし。


 でもね、こういう謎って実はけっこう好物だったりするから、ボク。ど真ん中の趣味の陰謀論やピラミッドパワーなんかとは微妙に方向性が違うにせよ、今の状況がフツーじゃないのは折り紙付きだし。

 だから真面目に調べたよ。


 まずひとつめ。ニジリは「薩摩藩」を知ってる。

 これって情報としては大きいよね。だって薩摩藩が置かれてたのって完全に江戸時代じゃん。もっと正確に言うと千六百一年から千八百七十一年までの二百七十年間。

 ふたつめは、ニジリは異国の軍艦を見たことがなかった。

 沖縄の歴史によると、英国軍艦アルセスト号が那覇に着いたのは千八百十六年。首里城にも行ったこともある地域の名士ニジリ様のところに、そういうニュースが届かないわけがない。てことは、ニジリはそれよりも前の人。

 みっつめ。これがピンポイントだとボクは確信してる。

 千七百七十一年の八重山地震と明和の大津波。

 ニジリの話によれば、ニジリはお供のミギリとともに災禍を起こした神様を鎮める仕事をしてマブイルリに入ったらしい。神様がどうとかは置いといても、それだけ大騒ぎになった災害なら歴史に残らないわけがない。これ、ビンゴでしょ。


 そういうことで、ニジリは千七百七十一年から現代に飛んできた沖縄のユタと認定されたわけ。ボク的には。




  ♥


「で、どうなの。いったいいつになったらボクのマブイは身体に戻せるのよ」


 ボクの視覚を使ってアニメを見てるニジリに、声を出して抗議する。わざわざ声にして伝えなきゃいけない理由は情報交換の格差にある。ニジリからは自由勝手にボクの意識に割り込めるのに、ボクの方からのアクセスはほとんどできない。どこをどうすれば自分の意識をニジリにぶつけられるのか皆目見当がつかない。要するに、ボクからのコミュニケーションの自由度が極端に少ないのだ。

 マブイの使い方に二百五十年の差があるから敵う筈もないってのはわかるのだが、口惜しいことには変わりはない。


〈騒ぐでないマドカ。千束ちさとのセリフが聞こえんではないか〉



 言い忘れていたが、美味しいもののほかにニジリがご執心なのはアニメ。

 ボク自身アニメ鑑賞は自己紹介にも書いちゃう趣味のひとつだから、当然そこそこ観るのだが、見終える度に続きを見せろと煩いのだ。


 ついさっきまで、マブイ戻しのための作業順序について大事な話をしていたというのに、お気に入りアニメの放送が始まった途端そっちモードに入ってしまい、ボクの疑問になんかまともに答えやしない。


「じゃあ、その半分になったアマミキョをひとつにしないと先に進まないの?」


 食い下がるボクに辟易したのか、面倒くさそうな話し方でニジリはおざなり返してくる。


〈まあそんなところじゃ。この世界に儂クラスのユタがおれば、今のままでもなんとかできるじゃろうがな〉


 この、役立たずのマブイババア!


 ボクが悪態ついても、もはやニジリは知らんぷり。

 あんまり腹が立ったので、ボクは嫌がらせにTVを消した。ニジリの舌打ちが聞こえてくるが、ボクの身体までは操れまい。ふん、ざまあみなさい。

 でもニジリはさほど動じない。彼女は知っているのだ。ボクが今のアニメを録画してるってことを。

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