第三話 マブイ落とし

  ♥


 ボクは昔見たことのある魔法少女のアニメを思い出した。

 可愛いマスコットと契約して強度も運動能力もめちゃめちゃ増した肉体は、実は傀儡に替えられていて、心や意識の本体はなんとかっていうジュエリーに押し込まれてる。本体が入ってるジュエリーと離れてしまうと、傀儡くぐつの身体は機能を失って沈黙しちゃう……。


〈どこの昔語りか知らんが、よう似とるわい。今のうぬは概ねそんなような物じゃ〉




  ♠


 ちぎりがニジリ婆さんとなんか話してるようなので、僕もミギリの声の続きに集中する。


〈お主たちはウタキに封印されとった瑠璃に触れた。その衝撃でマブイを落としたのじゃ。そのとき落ちたマブイはそのままマブイルリに収まった。なにせこの瑠璃はマブイを仕舞うには絶好の代物じゃからな〉


 マブイって魂なんだべ。そんなに簡単なのか、マブイが落ちるのって。


〈このマブイルリを甘く見るでない。そこらに転がっとる石塊いしくれとはわけが違う代物ぞ。生涯に一度触れればみっけもんの宝珠じゃわい〉


 耳元の声に気圧されて、僕は黙り込む。

 や、ここまでも喋ってはいねんだが。


〈いずれにせよ、主たちが落としたマブイがこの瑠璃に収まった。そこまではわかる。わからんのは何故瑠璃が割れたのかじゃ〉


 いや、やっぱ納得いかん。いくらなんでも簡単過ぎるっけ、マブイ落ちるの。


〈まだ言うとるか!〉




  ♥


〈ただしからだが強うなったりはしとらんぞ〉


 耳の横で脳内居候のニジリがそう続けていたが、ボクはさっきニジリが言った意味の方を考えていた。


 いくらボクがオカルト好きだからって、契約も願い事唱えたりもしてないのにいきなり身体と魂が別々になっちゃうなんて。しかも、魔法少女にすらなれてない……。


 そこでボクは気がついた。


 ニジリはユタなんでしょ!

 ユタって、言ってみれば神様に仕える巫女だよね。村人の落したマブイを拾ったり戻したりするのもやったことあったりすんじゃないの?


〈舐めるなよわらし。マブイ戻しなんぞ朝飯前ドゥーヤシムンじゃ。小石を拾って棚に置くくらいのこと〉


 自信満々にそこまで言ったところで、ニジリの声は急にトーンダウンした。


〈じゃがな、マブイだけの今の儂では、そんなドゥーヤシムンなわざも叶わぬ願いなのじゃ〉




  ♠


〈とにかく、じゃ。マブイ落としなぞそんなものぞ〉


 冷静さを取り戻したミギリは、事も無さげにそう言った。


〈誰でもあまねく、というほどでも無いが、まあむらにひとりふたりくらいなら毎年のように落としよるわな〉


 マジか、と僕は驚く。


 そったなカジュアルにマブイ落としてしまうのかよ、琉球人。


むらごとにユタがおるのはそのためと言っても過言では無い。というか、ユタはそれ専門を生業にしておると言ってもええ。むろんじゃが、マブイ戻しなぞわれらノロにおいても簡単なことではあるが……〉


 できるのけ?


〈今となってはできん〉




  ♥


オラたち、どうやら魂落っことしてしまったみてぇだ」


 大濠はうなだれた顔でこっちを向いた。どうやらボクと同じことをミギリさんに聞いていたみたい。

 そうみたい、とボクも頷く。


「でさ、綺麗に割れたこの半分ずっこの光る石っこ、ミギリはマブイルリっつってらんだけど、こん中にオラたちは納まってらって」


 大濠が差し出す石の断面は、信じられないくらい鋭利な刃物で一刀両断されたみたいに滑らかだった。ボクも手元の石を確かめる。やはり同じようにスパッと切れている。持ち上げて大濠のと同じ面を合わせてみた。一切の欠けもなく完璧に真っ二つ。


「こっちにはボクとニジリ、そっちには大濠とミギリが入ってるってわけか」




  ♠


 凸凹でこぼこのソフトボールを半分に割ったみてぇなサイズの碧く光る石っこ。そン中に、何百年前かのノロ、ミギリと僕のマブイが収まってる。

 今僕は自分の目で石を見てるんだっけ、これを見てる僕自身はこの石っこの中にいる。なんかエッシャーのだまし絵みてぇだな。


〈お主らのマブイよりも、割れた理由が先決じゃ〉




  ♥


 ミギリの弁を復唱する大濠に、ボクは思い切り抗議した。


「石が割れたのなんて古いからに決まってるじゃん。そんな石のことより、未来あるボクらを戻す方がずっと大事だよ!」


〈この大馬鹿童が! なぁんもわかっとらんくせに自分事ばっか言いちょん〉


 耳元でニジリが怒鳴った。


 そんな近くで怒鳴るな! アタマが痛くなる。


 ボクの抗議など関係ないとばかりにニジリは言葉を続ける。自分事ばっかは自分じゃん。


〈そもそもが、じゃ〉


 そう言ってニジリは声を落した。


〈アマミキョ様の行方がまだわからんのじゃ〉




  ♠


「アマミキョ様?」


 ミギリの言った聞き慣れない単語、たぶん固有名詞、を僕は復唱した。


〈そうじゃ。奥の奥で深ぁくねむっておられたアマミキョ様が、ふたつに割れてしもうた瑠璃るりの中でどうなっておるのか。それが皆目わからんのじゃ〉


 たぶんニジリさんと、石の修復と自分のマブイ戻しの順番について大騒ぎしてるちぎりが多少なりとも落ち着くのを見計らって、ミギリが僕に話しかけた。


〈あのアマミキョ様が、容れ物に過ぎぬ瑠璃が割れた程度で亡き者になどなる筈も無いのじゃが。もしも悪しき姿で目覚められでもしたら、現身うつせみを持たぬ今の吾ひとりではどうにもならん〉


 それってどういうこと?




  ♥


〈ええか童。少しは落ち着け〉


 抗議を再開しようとしてるボクの出鼻を制して、ニジリは低い声で諭すように話し始めた。

 

 聞くよ。黙って聞けばいいんでしょ。


〈まずは儂もミギリも各々おのおのに自分の状態を調べるところからじゃ。おのれの現況がわからぬままではなにも始められん。なにしろマブイルリが割れてしまうなんぞ前代未聞のことじゃからな。

 それと一緒に、アマミキョ様の様子も探らねばいかん。アマミキョ様が損なわれでもしておったら、それこそ一大事じゃ。

 どうやって元に戻すかを考えるのその上でのこと。石も儂らもうぬらも、じゃ〉


 いくら頭に血が上ってるボクでも、ニジリの言うことはわかった。要は時間が欲しいってことだよね。


〈幸運なことに、うぬらは別々の石に入っておる。それぞれが半欠けの石を持ち歩けば、動き回るのにもさほどの不自由はないじゃろう〉




  ♠


「ってニジリが言ってた」


 各々が自分のマブイ入りの石を身に着けとけば、普通に暮らしても問題ない。

 契が代弁するのはそういう話だった。


「大事なことがわがんねえ間の緊急避難って奴だな。ミギリさんも最善は尽くすって言ってくれてるっけ、すばらくはそうすっしかねぇべな」


 そう応えて溜息をひとつついていたら、どこかで呼出し音が鳴りだした。




  ♥


 ビビったぁ!


 突然、岩壁に響き渡る着信音。ここの反響凄過ぎでしょ。心臓が止まるかと思ったよ。


 着信音は鳴り止まない。


 ん? このメロディはボクのだ。


 見回すと少し離れた岩の影で強弱してる光があった。


 あそこか。


 膝付きでいざり寄ったボクは、地面に投げ出されたまま明滅してるスマホを拾い上げる。画面には見慣れない名前。


 誰だっけ? あ、同じ班のギャルか。


「あー、出た出た。やっと出たよ」


 うわ。でかい声。スピーカーにしてるわけでもないのに、洞窟中に反響してる。ギャルの通話、ヤバいよ。大濠、こっち見んな。


「チギリーさあ、今どこにおるん? そろそろ天文台見学も終わるけど、どぉすっと?」


 なんか応えなきゃ。


 咄嗟の反応が苦手なボクは、こういうとき吃音どもってしまう。そうでなくてもギャルの圧は苦手なのに。


「ほ、ほら、雨が降ってきたでしょ。だから、と、途中の洞穴ほらあなで雨宿りしてて……」




  ♠


「雨? あー雨な。あんなんすぐ上がったばい。てかやるやんチギリー。おとなしか顔ばぁしてバックレるとか」


 漏れ聞こえるどころじゃない女子のでかい話し声は、音の無い洞窟内だとコンサートホールと見紛うくらいよく通ってる。反響に狼狽えてるちぎりは、僕に対してとは全く違う弱気な返事を繰り返していた。


 そういえばここに入ってどのくらい経つんだろう?

 次の予定はカヌー体験だった。あれ、何時集合だったっけ?


 急に気になってきた僕は、スマホを探し出して待ち受け画面を開いてみた。




  ♥


「やば。メール着てたっけ」


 後ろでいきなり大濠の声。

 馬鹿。声出すな。聞こえちゃうだろ。


「なに? 今オトコの声したと? ちょー、密会とかしてんの。やるやんチギリー。ウケる~」


 大濠の馬鹿、馬鹿! やっぱ聞こえちゃったじゃん!

 もう、戻ったらイジられるの確定だよ。あー、このままどっか消えちゃいたい。


「なんでもない。なんでもないの。ホントすぐ行くから」


 会話の途中をぶった切って、ボクは縄梯子に飛びついた。

 とにかく早く合流しなくちゃ。


「ごめん。行くわボク。また連絡する」


〈童! 儂を、石を忘れるでない!〉


 あ、そうだった。


 ニジリの声で思い出したボクは、梯子から一旦飛び降りてさっきまで座り込んでたところで淡く光ってる石をひっ掴んだ。無理矢理ポケットに押し込むと、そのままの勢いで縄梯子を駆け上がった。もう後ろなんか見てる暇無い。


 集合場所は、確か坂上がってすぐの天文台。


 洞窟を飛び出したボクは、濡れたアスファルトの坂道を一目散に駆け上がっていく。ギャルの言う通り、空は快晴だった。




  ♠


〈あの娘、最後は竜巻のようじゃったな〉


 脇目も振らずに飛び出していった契を穴の底で呆然と見送っていた僕は、ミギリの声で我に返った。


 んだ。オラも行かねぇと。体験カヌー逃すどころか、下手すりゃ飛行機にもおいてかれる。


 握っていた石っこを尻のポケットに押し込んで、僕も縄梯子を上った。


〈封印せぇとまでは言わんが、せめて蓋くらいは閉めておけ〉


 登ってきた縦穴の蓋を閉めた僕は、繋ぎ目が見えないよう足でならした。なんとなくだけど、今後はミギリの忠告に従っておいた方が良いような気がしたのだ。


 洞窟の出口が明るい。あの雨は、いわゆる局地豪雨って奴だったのかな。そんなことを考えながら、僕は坂を駆け下りていった。集合場所は降りてすぐの駐車場。

 走りながら洞窟でのことを思い出す。


 他校の眼鏡女子と偶然出会い、一緒に洞窟を探検して光る石を見つけた。その石を掴んで気を失ったと思ったら、突然不思議な婆さんの声が聞こえるようになって、マブイを落したとかアマミキョが見つからないとかなんとか言われた。あれは本当にあったことなのか?


 尻のポケットに石が入っていることを確かめる。


〈夢ではないし、吾も幻ではないぞ〉


 耳元でミギリが言った。

 やっぱりアレは現実だった。改めて僕はそのことを思い知る。


 そういえば、と思い当たった。


 ちぎりさん、連絡するっつってらったけど、オラたちなぁんも交換とかしてねえぞ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る