第八話 サミット


  ♠


 予告なく不定期に起こるちぎりとの入れ替わりは、この十日で都合七回。大抵は昼間。学校にいるときにくるのがほとんどだ。ホームルームの時間とかならさほど影響もないのだが、授業中、とくに板書以外の説明が多い先生のときなどは困る。教わる内容にぽっかり穴が開いてしまうのだ。

 むろん向こうの先生が面白かったりためになったりすることを話してるときだってあることはある。でも大概の場合、その話を最後まで聞くことはない。なにしろ継続時間がまちまちなのだ。最初のときや今日の着替えシーンみたいに数秒で戻ってしまうこともあれば、数分以上のときもあった。




ぬしらの入れ替わり、な〉


 遅い時間の風呂上がり、麦茶を片手に部屋にもどったところでミギリが話しかけてきた。


〈アマミキョ様の記憶の海に潜るときには似たような例を探ってみたりもしておるのじゃが、いまのところは一例も見つかっておらぬ〉


 ミギリは結構空気を読んでくれる婆さんで、僕が勉強してるときとか誰かと一緒にいるときは気配を消していてくれる。それどころか、数日間まったく顔を出さないことすらある。どうやらそういうときは、マブイルリの奥底を探索しているらしい。調べているのは睡っているアマミキョの記憶。ミギリが言うには、僕と契のマブイを元に戻すにはどうしたってアマミキョの力が必要なんだとか。でも半分のままではアマミキョを目覚めさせることができない。だからふたつに割れたマブイルリと、それを元に戻したという事例を探しているのだ。


〈こちら半分の瑠璃とニジリがおる向こうの瑠璃とはどこかで繋がっておる。これはもう間違いない。そうでなくては、ふたつに割れたアマミキョ様が大きな瑕疵かしもなく健在であられる理屈が通らん〉


 今夜のミギリは長い話をしたいらしい。今日の分の勉強を終え、食事も風呂も済ませた僕が寝る前のひとときを狙ってきたのはその証拠。


〈前にダンが御尊父とともに観ておったあの番組。量子世界とやらの特集で、リサなんとかいうつ国の学者さんが予言しておった13次元の存在の話じゃ。われはアレこそがマブイルリの世界ではないかと睨んでおる〉


 面白そうな展開になりそうだっけ。


 僕は髪を乾かしていたドライヤーを止めて、ベッドに胡座をかいた。腰を据えて聞こうじゃないか。


〈お主もせんに一度体験したから覚えがあるじゃろうが、吾らが在るマブイルリの世界はそもそも空間という概念が存在せん。吾自身「潜る」と言っておるが、実際に海のようなものがあって、その水を掻いて泳いだりしているわけではない。言ってみればコツのようなものじゃ。意識を無にし、吾が仮定した方向にだけ集中することでもうひらける、そんなような感じなのじゃ〉


 なんかめちゃくちゃすげえな。達人みてえだ。オラでも訓練すりゃあできるようになるっけ?


〈常人には無理じゃ。吾やニジリレベルの巫女でもこの域に達するまでには、主らの時間で二百年以上かかったわ〉


 ミギリは笑いながらそう答えた。


〈とにかく、じゃ。この世界は主らの、そして吾らが現身うつせみにおったころの世界とは別のことわりでできておる。その理の全容、いや一部ですら、未だ吾は把握し切れておらん〉


 でもミギリは潜ったりできるんだべ?


〈それはあくまでもテクニックに過ぎん。主だって引力や慣性の法則を理解せずともバスケのシュートは打てるじゃろう〉


 確かに。


〈前に見つけたのじゃが、断面に繋がる辺りにマドカの痕跡がある。ほんの小さな、こびりかすの程度のものじゃが。おそらくその痕跡が、異次元の通路を通じて向こうのマドカと繋がっておるのじゃろう〉


 なるほどねえ。わかったようなわからないような。


 そこまで言って、僕は別の可能性に気づいた。


 ニジリの痕跡は残ってねえのけ?


 先日の入れ替わりで体験した三分間で初めてあい対したニジリとの会話を思い出したのだ。

 あのときニジリは言っていた。儂が直接ミギリと話せればもっと話が早いものを、と。


〈残念ながらそれは見当たらんかった〉


 どうやらミギリも同じ事を考えていたらしい。


〈入れ替わりに対応する目印マークが必要なことは当たりでええじゃろう。一番わからんのは、その発動条件じゃ〉


 現象を起動する装置ってことだべな。


〈そうじゃ。力のもとについては見当をつけておる。一次元空間とやらで起こっておるという弦振動トポロジカルソリトン、あれこそがマブイを動かす根源の力ではないかと吾は踏んどるのじゃ〉


 エネルギーも別次元から持ってきてるってことか。

 にしても、ミギリの情報処理、適応、応用、そして発想の能力は凄過ぎる。だって、現代に目覚めてまだ五十日足らずしか経ってない江戸時代の人なんだぜ。


〈問題は、何がその力を引き出してくる堰になっておるのか。吾ら巫女では百人おってもあんなことができる力を引き出すことはできん。アマミキョ様が健在であれば可能であろうが、今の状態ではそれも無理。現状の手札ではこれ以上の考察はかなわん〉


 そこでじゃ、とミギリは話を僕に振ってきた。


〈ダンにはインターネットで沖縄の案件を片っ端から検索抽出してもらいたいのじゃ。気になる記事ならなんでもええ。選択と抽出の指示は吾が出す〉


 言われるまでもなく、「沖縄」や「琉球」の検索なら修学旅行以降ずっと続けてる。ミギリの出自やマブイ落としのことを調べたり。その所為で、最近はSNSでもやたらと沖縄関連のニュースが表示されるようになっていた。

 僕は今日ブックマークした記事のリンクを叩いて、スマホの画面に表示させた。


『大学の発掘チームが沖縄本島で光る石を発見』


〈それじゃ!〉


 食いつくミギリに促され、それらしい考古学研究室のサイトまで見に行く。が、そこの新着ニュースに続報はなかった。ただ研究室ブログの方に気になる記事がひとつ。

 『バナナはお菓子に入ります?』と題されたそのブログの更新日は六月末。男女数名の大学生が推しのお菓子をカメラに向けてる画像に、来月上旬の定例沖縄合宿準備風景というの説明書きがついている。


〈ダンよ、そのサイト、ヲチしとけ〉


 ミギリ婆さん、ネットスラングに慣れ杉。




  ♥


 大濠との入れ替わりもかれこれ十数回を数える。

 ボクもアニメは好きだしマンガも小説もかなり読む方だから入れ替わりを扱う創作物を摂取したことが無いわけじゃないし、それらを観る(もしくは読む)際に「自分だったら」とシミュレーションしたことだって幾度となくある。その上で感じてるのは、数多の物語とは違ってボクらの入れ替わりにはできることが異常に少ないってこと。

 まず、決定的に時間が足りない。

 これまでの十数回で入れ替わっていた状態の持続時間を考えてみると、ほとんどが十秒以内。三十秒以上続くのはまれで、最長のでもだいたい三分、それも一回だけ。

 さらに発生タイミングについても規則性が感じられない。

 日中がほとんどとは言え、午前中のこともあれば真っ昼間や夕方のこともある。ニジリの話によれば、深夜のも一度だけあったらしい。

 気温やら湿度やら月齢やらと照らし合わせてもみたけれど、そこに意図みたいな物はまったく見出すことができなかった。要するに、再現性に乏しいのだ。

 これでは相手の石の巫女コンシェルジュとの情報交換にしても、相手の生活環境や個人情報などの探索にしても圧倒的に時間が短か過ぎる。また、発生はいつも前触れ無しのいきなりだから、事前になんの準備もできやしない。


 せっかく入れ替わりなんて滅多にない面白そうなことになってんのに、こんなんじゃイイコトもワルイコトもなぁんにもできやしない!

 蛇の生殺しだよ。


〈どれどれ。うぬの考えるワルイコトとやらを、ちと覗いてみるか〉


 わーっ! 見るな~!


〈ふん。冗談じゃ。同居人にそこまでのことはできんわ〉


 ふう。

 考察の方に戻ろう。


 入れ替わりはボクと大濠のそれぞれの意識の完全な交換だから、大濠の身体に入ってるボクとボクの身体に入ってる大濠との意思疎通もまるでダメ。

 大ヒット映画のように一日ごとみたいな規則性と余裕があれば交換日記も可能なんだけど、ボクらのヤツでは規則も時間もなさ過ぎてほぼ無理。十秒とかじゃ文章考えてるだけで終っちゃう。

 もっと、直接話することってできないのかな。


〈お主が親御さんや妹君いもうとぎみとの連絡で使っとるLINEとやらはできんもんなのか?〉


 LINE……?

 それだ! その方法があるじゃん!




  ♠


 暑苦しい教室に戻ってきても、夏休みの諸注意をくどくどと語る担任の話は続いてた。


 契んとこは涼しかったっけ。


 今しがた三十秒ほど滞在した彼女の教室は、エアコンが効いていて実に快適だった。


 いいよなあ、名門女子校。下敷きを手離せねぇうちの教室なんかとは天地ほど違う。オラもああいう環境で勉強してじゃあ。


 溜め息を吐く僕の視線は、開きっぱなしになっていたノートに縫い止められた。余白の真ん中に細く硬質な筆蹟で走り書きされていたのは、見覚えのないURLだった。




  ♥


 ――ダンダダンと友だちになりました



「マンガかよ」


 そう呟きつつスマホを見つめるボクは、ディスってる台詞とは真逆に興奮していた。石垣島の洞窟から約二か月、やっと大濠の中身と繋がることができたのだ。


 しゅぽ、という軽い音と共に、ダンダダンこと大濠団からの最初の便りが送られてきた。

 クマが鮭を振って挨拶している動画のスタンプ。

 よろしく。




  ♠


 学校からの帰り道。無人駅を降りて林の中を突っ切る近道を、スマホ片手にどきどきしながら歩く。と、返事はすぐに返ってきた。

 契からの最初のメッセージ。



 ――お待たせ。やっと繋がった。



 僕の胸にじわじわと嬉しさが湧いてくる。

 契自身にはこの二週間でもう何度もなってるし、環境も容姿も概ね判ってはいる。けれど、こうやって直に本人とやりとりできるのは石垣島以来。


 やっぱ格別だじゃあ。


 午後の山道に立ち止まって、僕は返信の文面を思案する。


 なんて返そうか。

 ご無沙汰してます。……違うわ。

 元気にしてますか? ……元気なのは知っとるし。

 暑い季節ですね。……ってお見合いか?!


 そこまで考えたところで、ふと思いが及んだ。




  ♥


 ――思ったんだけどさ。あんな長いURLじゃなくても電話番号でよかったんじゃね? ショートメッセージだってあるし。



〈LINEの他にも手があったのかえ?〉


 画面に届いた大濠のトークを読み、ニジリがすかさず反応してきた。


 この婆あ、文字読むのも自由自在か!?


〈誰が婆あじゃ! この罰当たりが〉


 ニジリの文句をスルーして、ボクは咄嗟のいいわけを考える。

 これは主導権の危機だ!



 ――男子にカンタンにTEL教える軽いオンナだと思うな(怒)



 ヤバ。思いつかんかったよその手は。

 電話なんてずっと使ってなかったから、存在自体すっかり忘れてた。




  ♠


 ――そんなことよりミギリはどこよ? 今日そっち行ったときに見当たらなかったんだけど


 契からの質問に、僕は一瞬口籠った。

 こんなに早くに本題に入るなんて、心の準備ができていなかったのだ。


 でもま、そりゃそうだっけ。

 別にきゃっきゃうふふすっためのLINE交換じゃねえんだしな。


 一気に熱の冷めた僕は、少しぶっきらぼうに短い返信を送った。



 ――潜ってったんだ、石の奥に。


 ――なにしに? てかできんの、そんなこと



 そりゃオラたちにはできねっけど、ミギリは実際やってるし。現に今日も朝から、まるっきり繋がらなくなってらし。



 ――入れ替わりの原因探りに行ってるはずだよ。アマミキョのとこへ。




  ♥


 ミギリがアマミキョに聞きに行ってるんだって。入れ替わりの原因を。


 ボクが意訳する意識にニジリの声が被さってくる。


〈ミギリの考えそうなことじゃな〉


 アマミキョさんって、寝てるんじゃないの?


〈寝とる。だが、記憶をなぞる事ならできんでもない。……かもしれん〉


 なんか煮え切らないなあ。

 要するに、ニジリはミギリに先を越されるのが嫌なのね?


彼奴あやつなんぞ手掛かりでも掴んだんじゃろうか?〉




  ♠


〈ダンよ。戻ったぞ〉


 プール目当てで登校した補講帰りの汽車の中、ひさしぶりにミギリの声が聴こえてきた。かれこれ六日ぶり。

 独り言にならないよう気をつけながら、頭の中で尋ねてみる。


 お帰り。お疲れさん。今回は随分と長かったね。で、なにか解ったの?


 取り立てての特別感も無さ気に装って、僕は軽い挨拶を返した。報告を聞くよりも先に教えたかったのだ。契とのホットラインが開設されたことを。

 しかしミギリは、まったく想定外の重い口調で言葉を返してきた。


〈ダンは憶えておるか、前に聞き及んだ琉球での石発見の話を。先日から続いておる入れ替わり現象は、その発見が原因やもしれんぞよ〉


 琉球での石発見の話? もしかして、前にネットで見つけた発掘ニュースのことっけ?


 僕の返答を否定しなかったミギリは、明確な答えをせずにこう尋ねてきた。


〈ダンよ。マドカと話はできぬか?〉




  ♥


 ――今夜、通話してもいい?


 夏休みに入って五日目の午後、大濠からトークが届いた。


 え、なに、通話って?

 もしかして告白とか来ちゃうの?

 そんな! まだ心の準備が……。


〈おおかたミギリが還ってでもしたんじゃろうて〉


 わ、判ってるよそんなこと。一寸言ってみただけなんだから。

 ボクの抗議をニジリが鼻で笑った。


〈ふん。この色呆けが〉




  ♠


「契は沖縄本島での石発見のニュースったら知ってるけ?」


 なにそれと返す契。さっきからなんとなく機嫌が悪そう。

 とは言っても、そもそも契って子はそんな感じだろう。考えれば初めて遭った二ヶ月前も、機嫌良さげな顔なんて一度も見せてなかったし。


「日本橋大学の考古学研が沖縄本島の古いウタキで光る石を発掘したって話」


「知らない。いつの話?」


「正確な日時は不明なんだが、今月の初め頃」


「それって……」


 やっと契が乗り出してきた。


「んだ。たぶん期末試験の時期」


 僕と契が初めて入れ替わった日。スマホの向こうで息を呑む気配がした。


「今日の昼、ミギリが帰ってきたっけ。先々週に記事見つけてっからオラも結構追っかけててや。ミギリが言うには、これはもうひとつのマブイルリだって」


 契の反応は早かった。


「入れ替わりがそいつの所為せいだってこと?」

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