第十四話 チーム結成(その一)

  ♥


 結局ぐだぐだで終わった通話の後、ボクは鬱々としていた。

 別に大濠が嫌いなわけじゃない。セッ……にしたって、いつかはすることなんだろうし、そのときの相手も大濠なら別にいいかも、とも思う。

 でもね、それは今じゃ無い! そんななにかの前置きみたいなおざなりなのは嫌。たとえそれが世界を救うためだとしても!


〈マドカよ〉


 はなすするボクにニジリが声を掛けてきた。

 なんだよ。さっきは全然出てこなかった癖に。


〈うぬとダンのやりとりに儂の出番なぞあるか。それにうぬはとても人の話を聞く状態では無かったわい〉


 え? そんなに酷かった、ボク。


〈酷い酷い。滅茶苦茶じゃ。うぬ、あのあとのダンの話もちぃっとも聞いとらんじゃろ〉



「身体を合わせる、って言葉には比喩も入ってら。なにしろ今こうやって話してるオラたつ自身が石そのものなんだから。気持ちを重ねる。想いをひとつにする。たぶんだけんど、それでいけるんでねえかってオラは思ってる」


 ニジリが再現してくれた大濠のその台詞は、頭に血が上ってたボクの耳には届いてなかった。


〈要は気持ちの問題、ということじゃ。知らんけど〉




  ♠


 ただいまの挨拶もせず風呂に直行した僕は、湯船に頭を沈め膝を抱えた。底につけた尻がズレ、抱えた足が浮いていく。

 あああ。契に嫌われてしまった。そりゃそうだよ。あんないやらしい話持ちかけるなんて、男として最低だ。

 鼻に水が入って咳き込んでる僕の耳元に声がした。


〈ダンよ。大義であった。くれぐれも自傷するではないぞ〉


 浴槽に座り直した僕はミギリに応える。


「いや、自傷ってわけじゃないよ。たださ、自己嫌悪が酷くって」


 口に出してそう喋りつつも、僕はちょっと救われた気がしていた。はじめてかもしれない。ミギリがいてくれて本当に良かったって。


〈それは光栄な話ではあるが、お主はさほど間違えたことはしとらんぞ。和合は、シネリキョを止めるには避けては通れぬ必須のことじゃし〉


 それはもちろんその通りなんだけど、と思いを巡らす。

 契、傷ついてないかな。


 それは吾にはわからん、とミギリは言った。

 冷静で正しい。でも欲しいのはその言葉じゃ無い。それに僕は、情けないことに契のことを心配するよりも、自分が契に嫌われる方を痛いと感じてる。


〈道理じゃ。そのようにできておるから人は生き残れる〉


 それにな、とミギリは続けた。


〈マドカにはニジリがついておる。傲慢で我が儘な婆ぁではあるが、彼奴あやつは頼りにはなる〉




  ♦♣


「オープンキャンパスをでっち上げるんです」


「って、どこの?」


「この国の最高学府、我らが日本橋大学の」


 え? どういうこと?

 具志堅には、目の前で自信満々に胸を張る中司の話した意図がまったく掴めなかった。場違いなオープンキャンパスという単語も、唐突過ぎる大学名の引用も。

 彼がいったいなにを考えているのか。なぜ今、そんな話をしだしたのか。


 具志堅の混乱を他所よそに、言葉を重ねてくる中司の声はより一層熱を帯びていた。


「全国の高二生徒を対象に事前募集していたってていで、選抜招待型の日本橋大見学会への参加資格者に当選通知を送るんです。メールと郵送で! なんなら東京までのチケットもつけて」


 当惑する具志堅は、紫のアフロを掻きあげて尋ねた。


「うちってそんなことやってるの?」


 満面に笑みを浮かべた中司が元気よく答えた。


「むろん、やってません」


「ごめんなさい。私にはちょっと意味が……」


「親御さんを説得できるネタがあればいいんでしょ」


 さらりと返す中司のひと言で、ようやく具志堅は合点がいった。目に光が戻る。

 なるほど。そんな手もあるのか。


「でもどんな仕掛けを?」


「任せてください。シナリオは俺が書きます。こういう辻褄合わせの悪だくみ、実は得意なんですよ」


 片方の口角を上げてほくそ笑む中司は、久しぶりに本来の生き生きとした貌を見せていた。




  ♦


 翌日の午後、具志堅は自分の研究室のデスクに真っ直ぐ腰かけて、呼吸を整えていた。

 正面には三脚で固定したビデオカメラ。カメラの背後に立てたプロンプターには、中司がひと晩で書き上げて送ってきたシナリオが映っている。

 二三度肩を上下させ息をついた具志堅は、隠した右手の親指でリモコンのボタンを押す。レンズ横の赤いランプが点灯した。

 とっておきのフレンドリーな笑顔で、具志堅はカメラに向かって語り掛ける。


「国立日本橋大学を目指されている高校二年生のみなさん、こんにちは。私は文学部文化人類学科考古学教授の具志堅耀子です。私たちが開催する招待型オープンキャンパスにご応募いただきありがとうございます。

 メールにありますとおり、貴方は本学部の見学会にご当選されました。おめでとうございます。私たちスタッフは、貴方の見学会参加を歓迎いたします」


 一旦間を置いた具志堅は、掌で顔の横の虚空を添えるように左手を差し上げた。


「こちらの画面と合わせて、今回ご招待する見学会の概要を説明いたします。

 まず最初に、ご招待状について。一両日中に書留便でお手元にお送りする招待状の中身は、学部施設入館証、大学宿舎ビジター利用券、ご自宅最寄り駅から大学までの往復の公共交通チケット、……」




  ♠


 一日経ってだいぶ落ち着いた。

 ミギリの言う通り、僕は必要なことを言っただけだ。身体の繋がりは一義じゃなくて、重要なのは心の一致だということも。契はただ、吃驚びっくりしただけなんだ。


〈正直、和合の条件が何なのかはわかっとらん。なにせ前例が無いからな。ただ、今のままでは完遂など無理じゃろう。吾の見たところ、お主らの心の持ちようはまだバラバラじゃ〉


 ひとがせっかく落ち着いてきたというのに、ミギリはまたも混ぜっかえしてくる。


 じゃあどうすりゃいいんだべ?


〈まずはさっさと仲直りせえ。マドカの都合なんぞ考えんでええから、こっちから通話でもなんでも仕掛けて距離を詰めるのじゃ〉



 ミギリの助言を頼りに、その晩僕は、前置き無しで契に通話のリクエストをした。呼び出し三回で繋がった。と思ったら、いきなりの罵声。


「予告無しにかけてくんな、エロ猿」


 スマホに当てた耳に契の声が響く。でも、心なしか昨日より当たりが柔らかいかも。


「ごめん。いま大丈夫?」


「大丈夫じゃなきゃ取らない」


 うん。この悪態はいつもの。たぶん大丈夫。




  ♥


 膝に置いたスマホが震えた。大濠からの通話リクエスト。

 よかった。ちゃんと来た。

 昨夜あんな終わり方をした手前、こっちからはかけられない。だからかかってこなかったらどうしようって思ってた。


 三つ数えてからボタンを押す。あんまり照れくさいから憎まれ口で始めちゃったけど、ちゃんと判って貰えるかな。


「昨日はオラの言い方悪かった。謝るよ。マジごめん」


 なんて素直な大濠。なんかホント申し訳なくなる。こっちこそごめん。


「もういいよ。真面目に話してくれてんのはわかったから。で、なんなの?」


 うわあ。なんなのこの高飛車な返事。なんでもっとフツーに返せないの、ボク。


〈ほんに面倒くさいやっちゃな、マドカは〉


 ニジリ、うるさぁい!


「昨日の話の続き、してもいいべか。まだ説明の途中だったし」


 萎縮気味の大濠に「すれば?」って反射的に言いそうになるのを、無理に息を吸って押し留める。もっと優しくしろ、ボクの口!


「いいよ」


 ボクの承諾に、待ってましたとばかりに話し始める大濠。まるで尻尾振ってるみたいに。あんたは犬か?


「誤解しねぇで欲しいんだども、和合ってのは別によこしまな話でねえんだ。下心とか、そんなんで無しに」


「わかってるよ。昨夜ゆうべニジリからちゃんと聞いたし」


 千六百キロ向こうの部屋で緊張の糸が緩むのがわかった。大濠、わかりやす過ぎ。


「昨日はオラの説明が足りなかった。本来、和合の儀ってのは、瑠璃さ入ってる意識全部をひとつにするってことで、別に身体がどうのって話ではねえ。気持ちの問題だ。肉体が伴えばそうしやすいべってだけで、別に必須なわけではねぇんだ」


 ボクは黙って聞いている。昨日ニジリが予想してた通りの話。


「それに今回は、オラたつだけでなくミギリとニジリもだから、尚更身体は関係無いっけ」


 あまりの想定通りさ加減に、ちょっと突っ込んでみたくなっちゃうのはボクの悪い癖。


「でもさ。意識合わせるのをやってみて上手くいかなかったりしたらさ、やっぱそういうことも試してみようってなっちゃったりすんじゃないの?」


 自分で話してるうちに、昨日感じてた怖いって気持ちが鎌首をもたげてきた。頭では理解してるつもりだけど、身体の呪縛は逃れられない。ボクだってそういうことに興味がないわけじゃない。でも、想像しちゃうとやっぱ無理。いくら大濠でも、男の人はやっぱり怖いよ。

 と、ニジリが横から口を出してきた。


〈マドカよ、ちょっと右手を借りるぞ〉




  ♠


 通話を示す吹き出しの下に新たなトークが現れた。


――嫌なら無理強いはせん。どうせ東京とやらが壊滅するだけじゃ。遠く離れとるうぬらには、たぶんさしたる影響は無い。儂らとてこの時代の巫女で無い以上、わざわざ手助けする義理もない。責任感なぞ先の鎮魂役で使い果たしたわ。


 え? これ、契が打ってんのけ? それともまさか!?


 僕の心の疑問に答えるかのように、契が声を荒げた。


「ニジリが勝手にボクの手を!」


 契の新たな吹き出しが、しゅぽっと音を立てて表示される。


――楽にしてやっただけじゃ。もう返すわい。


〈ニジリの奴、マドカの身体まで操れるのか。やはり天賦の才人じゃ。口惜くやしいが〉


 耳元でそう告げるミギリがさらに言葉を続けた。


ぬしら、結局のところ互いを疎ましく思っとるのか?〉


 だが、その台詞が僕の耳に届く前に、僕らは久々に入れ替わった。

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