第十二話 破戒神

  ♥


〈最近はめっきり入れ替りが減ったな〉


 風呂上がりでだらけ切った格好のボクも気づいていた。ここ数日は一度もない。その所為で、今も含め生活態度に緊張の糸が切れかかってる。

 スマホを見ると、大濠からのLINEトークが着いていた。日刊で届く明日の時間毎行動予定。入れ替った際の目安にしてくれ、とかって。律儀な奴だよね。こっちはいつも通りと返す。

 これで互いに彼氏彼女とかいたらラブコメみたいで面白い、いや面倒なんだけど、幸か不幸かボクも大濠もそういうのは無縁。いや、ボクはともかく、大濠なんかモテそうな気もするんだけど。真面目だし、見た目も悪くないし。と言って、ボクの周囲には他に男子なんていないから、比べようもない。

 そういえば、と思い出し、引き出しから名刺を取り出してみた。

 中司大なかつかさひろし。美術館の駐車場で声を掛けてきた青年。

 この人もマブイ落としたのかな?


〈おそらく。展示室におったのはその証拠じゃろう〉


 ねえニジリ、とボクは話を振ってみた。


「シネリキョのマブイルリにはあんたたちと同じように誰か入ってたりしたのかな?」


〈はて、どうなんじゃろ。儂らがアマミキョ様にあたっておる最中にシネリキョ封印の知らせは受けたが、人柱を立てたかどうかは聞いちょらん。なにせこちとらはアマミキョ様への祈祷で手一杯じゃったからな〉


 ニジリはボクの想像通りの返答をしてきた。

 思うに、神様はきっとアマミキョとシネリキョだけじゃなかったはず。一番強力だったのはその二はしらだったんだろうけど、他にも細かいのが時勢に乗って暴れてたんじゃないかな。そしてそれらを治めるために多くの巫女達が瑠璃を持って対処した。そんな図式が想像できた。

 生け贄は必須じゃ無かったんだね、きっと。




  ♣


 コミュニケーションを取れる気がまるでしない。

 福岡での初日、突如脳内に現れた彼(?)は、あの地震以降その存在感をどんどん大きくしている。なにか、たぶん邪悪な何かを指向してるような感じはするんだが、その目的や理念がまるで想像できない。そもそも、彼の登場とあの地震に関係はあるのか?

 ただひとつ間違いないと思えることがある。

 彼が目覚めたのは、眼鏡の少女が手持ちの瑠璃を取り出して、俺と繋がってる蒼い瑠璃の前に突き出したあのとき。


 発掘中の比嘉森洞窟の隠し祠で偶然見つけた蒼く光る瑠璃。あれを手にした瞬間から、俺は俺でなくなってしまった。離れると幽体離脱した肉体のように植物状態になってしまうこの身体の所為で、俺は瑠璃の展示にフルタイムで帯同しなければならなくなった。展示の際はもちろん、今のように移動しているときでさえ。

 だが、俺だけだと思ってた瑠璃を、あの少女も持っていたのだ。

 彼女の話が聞きたい。なんとなくだが、あの少女は俺よりも多くのことを知ってるような気がする。




  ♣


「最近、具合はどうなの?」


 発掘現場での事故以来、具志堅ぐしけん教授の電話はいつもこのひと言からはじまる。それこそ判で押したように。なので俺も、いつものごとく定型で応じる。


「はあ。身体の方は健康そのものです。頭の中のご仁は変わらず居座ってますが」



 福岡での展示を終えた翌日の午後、撤去作業の陣頭指揮で訪れていた教授は美術館に併設されたカフェでこう言っていた。


「君の頭に同居してる何者かのことなんだけど、思うにそれは、沖縄の創造神アマミキョかもしれない」


 アマミキョ。

 二百年以上前の文献に記述された琉球大禍で猛威を振るった沖縄の主神。元々は、沖縄・八重山諸島を独力で創り出して繁栄に導いた豊穣の女神だ。だが長い歴史の中では、稀に災厄を呼び起こすという。

 中でも二百五十年前の被害はとくに甚大だったらしい。アマミキョをはじめ琉球世界を司る神々が一斉に害を為しはじめ、琉球や八重山群島を壊滅の危機にまで追い込んだと云う。文献によるとその危機は、ときのノロやユタが総出で出動することで、なんとか封じ込めに成功したとされている。


「君が見つけた瑠璃は、二百五十年前の琉球大禍の際にアマミキョを封じ込めたマブイルリだと思うのよ。洞窟で見つかった他の遺物から推測された埋葬年代も一致するし。ただ、その瑠璃が君の心や身体とどうリンクしてるのかについては、まだ想像の域を出ないんだけど……」



 教授の意味深な台詞の記憶に、電話の声が重なった。


「例の娘さんから連絡はまだ? 私もあのあとずっと考えていたんだけど、彼女の持ってた瑠璃ね、あれはシネリキョを封じたものだと思うの」


 電話先からのその言葉を聞き、俺はまだ学部生だった頃に教授の講義で教わったシネリキョの解説を思い出した。



「島に恵みをもたらす女神アマミキョに対し、その身体の一部からつくられた男神シネリキョは主に破壊を司る神様とされています。いわゆる破戒神ね。繫栄し、ぬるま湯に浸かった琉球世界に冷や水を浴びせ、新たな創造を促すのがその役目。琉球世界の社会や文化の階段型進歩を促すスクラップ&ビルド。シネリキョはそのスクラップ担当ってとこかしら」


「アマミキョの伴侶としてのシネリキョは基本奔放に暮らしてるけど、最終的にはアマミキョに頭が上がらないの。『沖縄は女がよく働く』の故事通りね」




 現実のスマートフォンから聞こえてくる教授の声が、俺を回想から呼び戻す。


「地震が起きる直前にこっちの瑠璃と彼女が持っていた瑠璃が共鳴するように光ってたって話からして、あの地震は向こうの破戒神シネリキョの仕業である可能性が極めて強いと思うわ。有感エリアの規模の狭さと震源直上だった美術館での震度の大きさのアンバランスさも普通じゃ有り得ないし、地揺れと沈下がシネリキョの所業だっていうのも文献にもある。眼鏡っ娘の瑠璃が地震の引き金トリガーで間違いないわ」




  ♦


 幼少期はがたくさんいた。祠の奥だけでなく、庭木の陰にも物置の隅にも海岸の岩場にも。

 年嵩が増し、学校に通うようになって随分と薄れてきてはいたものの、本土の大学に進学するまでは、折につけとの交感は続いた。学友と仲違なかたがいした悩み、好きになった想いの表現しがたい気持ち、都会への憧憬。はそのどれに対しても、なにひとつ明確な答えなど示してくれない。でも彼らとの交感は、常に私に癒しを与えてくれた。


「ヨーコよ。お前は儂の血を一族で一番濃く宿しておる。のちは、さぞかし立派なユタになるだろうよ」


 幼きころ聞かされたおばあの琉球言葉は、父や母、先生や学友たちが話すのと随分違って難しかった。それでも意味だけは解った。

 いつかはおばあのように、むらの人たちを陰で支える存在になりたい。ううん。きっとそうなる。


 ベランダに出た耀子は、眼下に広がっている無数の街の灯りを見回した。東京の夜景。無秩序にばら撒かれた光なのに、意図して描かれているかのような美しいバランスの偏在。人口の集積。人工の軌跡。

 もう長く住んでいるけれど、今夜のように石垣島での記憶を思い出す夜は、とくにそう思う。

 故郷の風景とは全然違うね。


「ようやくおばあの血を人のために役立てるときが来た」


 紫のアフロが風になぶられ、庭木のベンジャミンのように揺れた。




  ♠


 毎朝弁当持参で県立図書館に向かい、夕方遅く腹が減るまで勉強する。合間にときどき外に出て、駅ビルの本屋で立ち読みする。そんな代わり映えのしない日々を淡々と過ごすうちに、マブイのことも地震のことも真夏の夢だったのかと思うようになる。

 契へのLINEも、定例化している一日の予定表を送る他は朝晩の挨拶を交わす程度。入れ替わりが無くなった今は、友だち未満の只の知り合い。



「なんか平和だっけ」


 遠く岩手山を臨む駅前広場の植え込みに腰をかけて弁当を広げる僕に、ミギリが話しかけてきた。


〈ダンよ。お主、このままでもいいとか思うてはおらぬか〉


 え? んだな、ちょっと消化不良だっけ。でも、なに話せばいいかわがんねし。


〈誰もお主の恋路など聞いておらんわ〉


 しまった。これは誘導尋問か?!

 いや、そうじゃない。ミギリが尋ねているのはシネリキョのことだった。

 僕はあらためて質問に答えた。


 このままでいいか、ってことだっけ。

 そう思ってるとこあるかも。ミギリが居るのも慣れてしまったし、事件が起こる様子もとくにねえしなぁ。


 ミギリは、うつけが、と吐き捨てた。


〈お主が勉強という名の現実逃避をしとる間に、吾はひと潜りして探ってきたぞ〉


 塩の利き過ぎる焼き鮭をお茶で飲み込んだ僕は聞き返した。

 探るって、何を?


〈お主ら若い男子おのこが大好きな『和合』のことじゃ〉


 茶を噴いた。

 お、オラ別にそったらこと考えてねえし。


〈ほれ。額に汗が浮いておるぞ〉


 ミギリが煽ってきた。




  ♥


「大濠はさぁ、ボクのことどう思ってんのかな」


 予備校の宿題がひと段落したところで、不覚にもボクは独り言を呟いてしまった。むろんだが、それを見逃してくれるニジリではない。


〈お、お。色気づいたかこのわらしが〉


 ち、違う! そーゆーんじゃなくて。


 ひとりきりで、まるで誰か相手がいるかのように手を振って否定してる姿は、我ながら痛い。


 ほら、今月アタマまでは入れ替わりとかして、隠し事も何もあったもんじゃなかったじゃん。自分の境界線とかソーシャルディスタンスとかもぐちゃぐちゃになってたワケで。それがすっぱり無くなっちゃったから、今はどんな気持ちでいるのかなぁって。

 それだけだから!


 最後のひと言に力を込めるボクに、ニジリは薄笑いで応えた。




  ♠


〈たしかに和合と聞けば、ねやの睦言を思い浮かべるのは道理じゃ。まして年頃の男子おのこ、そのように考えん方がむしろ怖いわ。われの時代の男衆なんぞ、元服前からそればっかりで……まあそれはええ〉


 ミギリさん、何が言いたい。


〈要は、じゃ。ここでの和合は斯様かようなえちぃことを指しておる訳ではない、ということじゃ〉


 えちぃって……。


〈身体を重ねるのも和合には違いないが、そもそも吾らには重ねるものがない。ここで言う和合の儀は精神の同調が主題じゃ。お主とマドカ、吾とニジリの全員のマブイが全き同調に達すれば完遂できる、ということじゃ〉


 変に想像してしまった分、僕はなんか拍子抜けしてしまった。


〈別に、マドカとしとねを共に、でもええんじゃがな〉




  ♥


 平穏な日々は、しかし長くは続かなかった。

 夏休みの最終盤、スマホの待ち受け画面に浮き上がったその速報は広島市内の地震を伝えてきた。震度五の直下型。

 ただ幸いなことに揺れた範囲は狭く、怪我人も市内最大の百貨店で三名出たものの、人的被害はそこまでで済んだ。

 ボクらにとって問題なのは、百貨店最上階のイベントスペースで開催されていたのが大沖縄展だったということ。



「ニジリ、ニジリ! どうしよう。また始まっちゃったよ!」


 昼休みにニュースを知ったボクは、そのあとの講義に出ることができなかった。フラッシュバックによるパニック症候群で呼吸がおかしくなり、手の震えが止まらなかったのだ。


〈落ち着けマドカ。ゆっくりと息を吸え。今のうぬの居る場所は安全じゃし、儂もおる。大丈夫じゃ。なにも問題はない〉


 抑揚を抑えたニジリの声で手の震えは少し治まった。言われた通りのゆっくりしたペースで呼吸を繰り返す。うん。だいぶ落ち着いてきた。


 ボクの鼓動が平常に戻ったタイミングで、ニジリが声を掛けてきた。


〈マドカよ。今夜、ダンと話しをするのじゃ。儂らは悠長に構え過ぎておった〉




  ♠


「ごめん大濠。ボクの顔色が悪くって」


 解像度の低いスマホの動画通話では、ちぎりが言うほどの顔色の蒼さは目立たない。でも憔悴してるのははっきりと見てとれた。


「大丈夫。いつもの偉そうな顔してるっけ」


 なによそれ、と返す契は弱々しく笑った。

 おいおい。今日の契、妙に可愛いくね。


〈なんじゃ。やる気になったのか?〉


 そんなんじゃねえって!




「ねえ契」


 しばらく聞き役に徹していた僕は、契の表情が多少戻ってきたのを見計らってひとつの提案を始めた。呼びかけになにかを感じ取ったのか、姿勢を正し、顎を引く契。


「名刺の中司さんと連絡を取るべ」


 カメラ越しの契が真っ直ぐ僕を見据える。


「ただの高校生でしかねぇオラたつでは、わかんねえことが多過ぎだ。情報はネットだけだし自由に動ける金も時間もねえ。こうやってコトが起こっちまってから初めて結果を知るのが関の山だじゃ。シネリキョの瑠璃がどんな具合になってんのかもわがんね」


 後ろ向きにも聞こえる僕の台詞に、契が顔を伏せる。

 契からのサミット要請が届いたあと、僕はミギリと話し合った。今後起こることの可能性、僕らが知るべきこと、そして、僕らの役割を。

 ミギリが示唆し僕が同意した僕らの結論を、契と、その後ろを守ってるニジリとも共有する。その短い言葉を、僕は契に伝えた。


「んでもな。シネリキョアイツを止められるんは、やっぱオラたつだけだ」


 小さな画面の中で、契が再び顔を上げて僕を見た。契の瞳に光が灯った気がした。


「今のオラたつはアイツのことを知らな過ぎる。だから連携すんだ、現場の人と」




  ♥


 新学期が始まった。

 中司さんの名刺は生徒手帳に挟んで常に持ってるし、メアドも電話番号もスマホの連絡先に登録してある。でもボクは、電話をできずにいた。



 夏休み最後の夜のサミットで大濠が伝えようとしたことはよくわかってる。ボクたちが居るマブイルリが、もっと正確に言えば、その中で真っ二つになって睡ってるアマミキョこそが、今後シネリキョが引き起こすであろう大災害を食い止めることができる唯一の鍵なんだ、って。

 でもね。ボクは怖いんだよ。

 中司さんに連絡して、結局のところ何ひとつ役立つことができないってことを思い知ってしまう未来が。もしもそうなってしまったら、その先はもうなにも手が無くなっちゃうじゃないか。



 もうひと月近くにもなるというのに、大濠は催促して来なかった。LINEは今まで同様、予定と挨拶、あとは少しばかりの雑談。高校での面白話とか、勉強のこととか。

 ひと言も急かすことなく、変わらぬ日常を続けてくれている。それだけが救いだった。


 次の大津市では公開五日目で地震があった。震度は四。その三日後に、今度は震度三。


 更にその次の開催地、静岡では初日に発生した。震度五。今回も死傷者は出なかったけど、展示品の一部に破損が出たために公開は一時中断となってる。




 静岡での地震があった日の深夜、ボクは独りで考えた。展示室に居続ける中司さんの身を自分に置き換えて。

 彼はボクらとは違う。案内役の巫女も、一緒に悩んでくれる同胞もたぶんいない。一瞬の印象だけだったけど、おそらくは善良で普通の青年。でも地震の原因が自分の石にあることは気づいてる。

 心細いよね。きっと、何処の誰よりも。


 真っ暗な部屋の中で、ボクはスマホを手にした。

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