第15話 報告と決着

 あれから、ずぶ濡れになった僕らは三十分ほど歩いて帰宅した。

 家に帰れた安心感でアドレナリンが切れてしまい、玄関を閉めた途端二人して倒れ込む。

 電池が切れてしまったようにそのまま玄関で意識を失った僕らは、浅い眠りから目を覚ました後にシャワーだけ浴びてもう一度眠った。

 

 泥のような眠りにつき、夕方。

 頭が覚醒しきらないままリビングに降りると、宝がテーブルで珈琲を飲んでいる。


「おはよう」


 珍しく宝も疲れ切っているようで、あまり元気がない。

 宝も寝起きだろうか。

 心なしか、まだ眠たそうに珈琲を啜っている。


「有休は取れた?」

「問題なさそうだったよ。ゆっくり休めって」


 まさか会社も昨日溺れかけていたとは思ってもいないだろう。

 僕もまだ「あれは夢だったんだよ」と言われてしまえば納得してしまいそうなほどに衝撃的な夜だった。

 



 特に会話があるわけでもなく、かと言って気まずくもない。

 宝がつけてくれた薪ストーブの火がパチパチと鳴る音が室内に響く。

 僕らはお互いに同じ空間を共有しているだけのごく自然な時間を過ごした。

 宝はテーブルでスマホを見ながら珈琲を飲んでいるし、僕はソファにもたれてぼーっとしている。

 

 なんやかんやで宝と暮らし始めて一年近く。

 衝突もなしに、会話もせず、何かするでもなくといった過ごし方は初めてかもしれない。

 この一年近くで僕らの関係性はずいぶん変わったみたいだった。


「珈琲、飲む?」

「........飲む」


 スマホから顔を離した宝が話しかけてきた。

 僕もそろそろ頭を覚醒させたかったので、ありがたく珈琲を入れてもらうことにする。


「はい、どうぞ」


 「ありがとう」と受け取ると、宝は僕の隣に座ってきた。

 ふかふかのソファが深く沈み、一人分の間を空けて僕と宝が並ぶかたちになる。

 急な距離の詰め方に戸惑うものの、変に身構えることもないだろう。

 警戒して強張こわばる身体を、深呼吸で落ち着かせてやる。


 僕は受け取った珈琲を一口飲んだ。

 宝の入れる珈琲は変わらずに美味い。

 同時に、今の自分に珈琲の味を楽しむ余裕があることに驚いた。

 隣に座っている宝も納得のいく味だったのか、満足そうな表情だ。


「その.......さ」

「なに?」

「実は黙ってたことがあるんだけど、いい?」


 いいもなにもない。

 宝が話したいのなら、僕は聞く気でいた。


「才の小説、特別審査員賞で受賞してたんだよ」

「え!!!????」


 思いもよらなかった言葉を聞いて、僕は珈琲を器官に詰まらせた。

 ゲホゲホとむせる僕を、宝は少し迷う素振りをした後に背中を擦ってくれる。

 

「かなり見つけにくいとこに書いてあったから最初は分からなかったけど。一緒に選考結果見た数日後に、才が選ばれてたこと知ってて黙ってた」


 ごめん、としっかり頭を下げて謝られた。

 自分より体格の大きい男に頭を下げられても、僕はリアクションに困る。

 

「気にしてない、って言ったら噓になるけど。とりあえず顔は上げてくれないかな」

「ほんとにごめん」

「もう謝らなくてもいいから」


 宝は𠮟られる前の子供のような顔で僕を見ていた。

 僕はこれまで何でもできる完璧超人だと思っていた相手の、これまた無防備な表情に吹き出してしまう。

 笑い始めた僕を不思議そうな顔で宝が見るから、それすらも可笑しく思えてくる。


「ちなみに、なんで選考結果のこと黙ってたの?」

「才が賞に選ばれてたって知ったら、新しい話書かないかもしれなかったから」

「なんだよそれ。自己中だなあ」


 要は、お互いの芝生が青かったんだ。


「僕は宝に小説で勝ちたかったから、一緒に賞へ応募しようって誘った」

「.......才、俺と勝負したかったの?」

「そうだよ」


 そのための小説で、そのために筆を取った。

 .......これも僕のエゴに過ぎなかったな。


 宝は考え込むように静止して、何かを思い付いたような顔をした。


「せーの、じゃーんけーん」

「え? え??」

「ぽん!」


 咄嗟に出した手はグー、宝はパーだった。


「.......もう一回やる?」

「馬鹿にしてるのか?」

「まあ、こういうことじゃないんだよね」


 宝はスマホの画面をつけて、僕に見えるよう近付けてくれる。

 表示されているサイトは、一緒に結果を確認した賞のホームページ。

 画面をスクロールして、かなり下の方に書かれている「審査員特別賞」の文字を見つけた。

 宝の言うとおり、そこには「伊能才」とあって一気に目を見開く。


「ほんとに、僕が選ばれてる」

「そう言ったでしょ」


 今まで生きてきた中でも、選ばれる側に立つことの少ない人間だった。

 その僕が、それも小説という分野で結果を残せた事実が何よりも嬉しい。

 

「講評コメントはもっとすごいよ。「文章に粗はあるが光るものがある」「間違いなく鬼才である」「彼の作品は紛れもなく文芸界の宝になる」.......すごくない?」


 昨日の悪い夢のような出来事よりも、こっちの方が信じられない。

 人は大きな幸福がやってくるとその大きさに驚いて、素直に受け取ることができないと言うけれど.......僕にとっては分かりやすい不幸の方が受け取りやすかった。

 

「才はね、最初から勝ってたんだよ」


 俺は佳作だったし、と付け足される。

 もう賞の大きさなんてどうだっていいし、気にもならない。


 今まで負けることばかりだったから。

 こんな瞬間が人生にやってくるなんて、思いもよらなかったよ。


「教えてくれてありがとう」


 僕は最大級のニュースを知らせてくれた友達に感謝を伝えた。


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