第17話 敗北と自問

 負けた。


 受賞者の一覧に天ヶ瀬の名前を見つけたとき、そう思った。


 勝負をしていたつもりはない。

 どころか、僕はこれまでの人生において勝負に出られたことなんてない。


 だから、初めて自分の意思でやりたいと思ったことに納得がいけばいいと。

 ただそう思っていただけだったのに。


 僕は受賞者の一覧を見ている最中に倒れてしまった。

 意識を失ってしまった僕を、天ヶ瀬は部屋まで運んで寝かせてくれたようだ。

 僕の身体は布団で寝かされていて、きっちり掛け布団がかぶせられている。

 

 目が覚めると朝で、窓の隙間から陽の光が差し込んでいた。

 いつも見ているはずの光がやたら眩しく感じてまた目を閉じる。

 目を閉じると何も見えず、瞼の裏には暗闇が広がっているだけだ。

 このまま視界に何も入れたくない、誰にも見られたくない。


 消えたい。


 ふっと湧いてきた。

 この感情にふさわしい名前があることを僕は知っている。


 天ヶ瀬宝。

 僕が持っていないものを持っていて、僕が経験してきた痛みを知らない男。


 あの男はなんでも持っている。

 人に好かれるルックスに、高い年収の就職先。

 金のある実家、そつのない器用さ、健康な身体。

 そして、才能。


 それだけは負けたくなかった。


 閉じている目から涙があふれる。

 もし、自分があいつだったら。

 そんな意味もないことを考えてまた涙がこぼれた。

 流れる雫の量がいくら増えようと感情がなくなることはないんだろう。


 冷房の機械音がやたらうるさく聞こえる。

 頬にまた一筋涙が伝った。

 どうすればおさまるだろう、どうすれば。

 

 今の僕には何もない。

 金があるわけでもない、働けもしない。

 一緒にいて笑い合える友人はどれくらいいるだろう。

 なにもかも人の倍以上こなさないと人並みになれない不器用さで。

 僕はこのままどれくらい生きていかないといけないんだろうか。


 似たようなことをぐるぐると考えている。

 頭の中で言葉が踊りつづけて、どれくらい経っただろう。

 下から「ただいま」の声が聞こえる。

 天ヶ瀬が仕事から帰ってきた。

 意識が戻ってから、眠れないまま夕方までさいなまれていたようだ。


 階段を上ってくる足音が聞こえてくる。

 足元の主は廊下を進んで、僕の部屋の前で止まった。


「才、起きてる?」


 部屋の前に天ヶ瀬がいる。

 僕は返事をせずに寝たふりをした。


「昨日ケーキ買って帰ってて、冷蔵庫に入ってるから食べれそうなら食べて」


 長方形の箱の中身はケーキだったのか。

 きっと小説の受賞結果が出るから、それで…。


「あとさ」


 おまえという人間は、どこまでも。


「俺、才の小説が一番好きだったよ」


 天ヶ瀬はそれだけ言い終えると、部屋の前から離れていった。


 冷房の音だけがする部屋で目を閉じながら考える。

 何もない僕を拾ってくれて、人並みの幸せを与えてくれて。

 僕のことを尊重しようと気遣ってくれる。

 見返りを求めずに、僕を助けてくれているのは天ヶ瀬だ。

 そして僕が傷ついている原因も、他でもない彼自身だ。


 これまで触れてこなかった心の柔らかい部分に問いかける。


 二十数年、生きてきてそれなりに幸せだったと思う。

 今だって僕よりも恵まれない人は世界中にいるだろうし。


 けれど隣に自分の不幸を証明しつづける存在がいるから、僕は膝を折るしかなくなる。

 地面に這いつくばることしかできない無様な生き物でいるしかなくなってしまう。


 僕はいつ消えたっていい。

 どうせ生きていても何者かになれる気もしないから。

 でも、その前にひとつだけ。

 一生に一度の悪あがきをさせてほしい。


 目をひらく。

 畳の目をなぞってみる。

 身体に力を入れて起こしてやる。

 すると数ヶ月見ていた部屋の景色が新しく感じる。

 昨日までより鮮明で、感じたことがないくらい美しい気がした。


 天ヶ瀬宝と話そう。

 

 部屋の戸を開けて、廊下へ出る。

 階段を下りると、テーブルに天ヶ瀬の姿があった。

 

 よかった、決心がついて。

 まだ力の入りきらない身体を歩かせて、天ヶ瀬を見遣みやった。


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