第13話 金と寛容

 天ヶ瀬の注文した寿司は、メニューの中で一番高いにぎりだった。

 しっかりと脂の乗ったトロの隣には、厚みのある肉が乗った寿司。

 僕にとって引っ越しで食べる祝いものはそばくらいのものだったが、金銭の格差を見せつけられた気がする。


 ここまで一方的に奢られると申し訳ない。

 天ヶ瀬には、銭湯も寿司も金を支払おうとしたが断られた。


 俺が払いたいだけだから。

 そう言われたが、実際は休職中の人間に払わせるわけにもいかないからだろう。


「家の中の説明を軽くしておくね」

 

 天ヶ瀬は、漬けのマグロを咀嚼そしゃくしてから口を開いた。


 一階はリビングとキッチン、和室がひとつ。

 奥には、風呂とトイレ。


 二階は和室がふたつ。

 来客用の部屋がひとつ。

 奥には、洗面所と物置部屋。

 

 僕は二階の和室をひと部屋使わせてもらうことになった。


「家の備品は勝手に使ってくれていいし。なんなら当面足りないものあれば俺の貸すよー」


 着替えや布団、電化製品。

 もろもろは、もし必要であれば天ヶ瀬が購入してくれるらしかった。


 休職中の身とはいえ、さすがにそこまでしてもらうのはいたたまれない。

 もし多少なり生活に不便があっても、僕は何も言わないだろう。

 とりあえず形だけ「ありがとう」とは伝えておいた。


「友達と暮らすのは初めてで実は今浮かれてる! これからよろしく!」


 アルコールを一切飲んでいないのに、妙にテンションが高い理由はそういうことか。

 

 僕はサーモンを口に運び、味わう。

 目の前にごちそうがあって、共有できる人間がいる。

 美味しい。楽しい。この生活がつづくなら幸福なのかもしれない。


 高級な寿司をたらふく食べた僕は、満腹感でまた気絶するように眠った。

 

 翌朝。目を覚ますと見慣れない天井が目に映る。

 布団から身体を起こして、思い出す。

 そういえば、天ヶ瀬の家で同居することになったんだ。


 まだ覚醒しきっていない頭で部屋を出て、廊下を歩く。

 下へ降りてリビングを見ると、天ヶ瀬の姿はない。

 代わりにテーブルの上にはメモが残されている。


『仕事行ってくるけど、自由に過ごしてていいから! 宝』


 メモの傍には、ラップのかかったサンドイッチが置かれている。

 僕が起きなかったから朝食を置いてくれたのだろう。

 リビングにある時計は、もう昼過ぎであることを示していた。


 僕一人だけの室内は静かだ。

 家自体が広いので、尚更静かに感じる。


 僕は顔を洗って、歯を磨き、用意されたサンドイッチを食べた。

 フィリングされたたまごとハムが挟まれている。

 出勤前によくこんなったことができるもんだ。


 休職の件を上司に話してから会社とやり取りする回数は減った。

 もっと頻繁に連絡が来ると思っていたから拍子抜けだ。

 アパートの解約と住所変更手続きは、今度天ヶ瀬が一緒にしてくれるらしい。

 

 つまり、今の僕にはやるべきことが特になかった。


 サンドイッチを食べた後、皿を洗う。

 処方されている薬を飲む。

 部屋でテレビを流す。

 また寝る。


 昼寝から目覚めると、時計の針が進んでいた。

 そろそろ天ヶ瀬が会社から帰ってくる頃だろうか。畳の目を見つめながら考える。


 ........これって、ひょっとしてヒモなんじゃないか?


 数日で睡眠負債を消化して冷静になった僕は我に返ってしまった。

 金も身の回りのことも、すべてにおいて天ヶ瀬に任せきりになっている。

 これは同居ですらない。ヒモだ。


「ただいま~」


 天ヶ瀬が帰ってきた。

 僕は必死になって階段を降りようとする。

 どうにか早く解決しないとこのままじゃ絶対にいけない。


 気持ちが先走った僕は足元が見えていなかった。

 階段を夢中で駆け下り、段差を途中で無視して滑る。

 足を踏み外した僕は大きな音を立てて背中を打ち付けた。


「え!? 大丈夫!??」


 天ヶ瀬が無様に転んだ僕を見て、手を差し出した。


「ごめん、話したいことがあって、気持ちが先走った」


 僕は天ヶ瀬の手を掴んで、身体を起こしてもらう。


「同居の件について改めて話したいんだけど」

 

 すでに僕の言いたいことを察していたのか、天ヶ瀬は「いいよ」と事もなげに返事をした。


「たぶんお金の話でしょ」


 気にしなくていいって言ったのに。

 天ヶ瀬はそう言って、リビングに移動する。


「この家は譲ってもらった家だから家賃いらない。諸経費も仕事復帰したらでいい。それでいいじゃん」


 本当にこれといって気にしてなさそうな顔だから余計に困る。

 僕とおまえが友達だったとしても、そこまでする義理はないだろう。


「でも」


 でも、なんだろう。

 なにか言いたいのに、言葉が出てこない。


「それに当面の生活費どうするの? 貯金は?」


 生活費。貯金。どちらも雀の涙ほどしかない。


「休職期間だって正確にわかるの? 復帰の目処は立ってる?」


 医者にだってわからないし、僕にわかるはずがない。


「いろいろ考えなきゃいけないことあるだろうから、今はゆっくり休みなよ」


 大丈夫、俺こう見えて高給取りだし!

 天ヶ瀬が笑顔で放った一言がとどめになった。


 僕は部屋に戻り、安定剤を規定よりも多めに服用する。

 ぐらぐらとした頼りのない意識は、布団に潜ればすぐに無くなった。

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