第12話 歓迎と寿司
「じゃあ、今日からうちに住もう!」
僕の返事を聞いた天ヶ瀬は、気味が悪いくらいに一人で盛り上がっていた。
お湯で温まった身体を拭き、休憩所の椅子に腰を下ろす。
天ヶ瀬がいなくなったと思ったら、コーヒー牛乳を二人分持ってきた。
自販機で見つけてすぐに買ってきたらしい。
「やっぱりお風呂上がりにはコーヒー牛乳だよね~」
はい、と天ヶ瀬はもう片方のコーヒー牛乳を僕に渡してくる。
手渡す前に瓶の蓋を開けてから渡してくる手際のよさ。
それは、僕のことを子ども扱いしているのか。平均的な気遣いなのか。
渡されたコーヒー牛乳を飲むと懐かしい味がした。
ほんのわずかな珈琲と優しい牛乳の味。
子供のころ銭湯へ行くと、母がかならず買ってくれたっけ。
「とりあえず、うちの空いてる部屋で寝てもらって~」
うん。
「布団は来客用あるし、気になるなら新品買うし」
うん、そうだな。
同居の話がどんどん進んでいく。
天ヶ瀬は細かい話を進めてくれているが、現実味がない。
僕はコーヒー牛乳をちびちび飲みながら二つ返事で会話をした。
酒瓶で溢れかえったごみ屋敷に住もうが。
トラウマになった男の家で同居しようが。
どうせ僕の人生に大した影響はないし、何も変わらない。
「これで何も心配ないね! そうと決まればやろうか、引っ越し!」
上機嫌の天ヶ瀬はとびきりの笑顔で言い放った。
さすがの僕も、入浴後に引っ越し作業をするとは思ってもみなかった。
そもそもが冗談みたいな提案だから、今更驚くこともないけれど。
日曜の午後三時。
銭湯を出て、また来た道を歩く。
明日は仕事だろうに、この男は貴重な休日をなぜ僕に使うんだろう。
「おじゃましまーす」
僕の家に着くやいなや。
天ヶ瀬は、ごみだらけの自宅に入ってこようとした。
僕は体力が無いなりに
「ちょっと待て! 自分の荷物取ってくるから、そこで待ってて」
え?、と首を傾げる天ヶ瀬。
今日玄関の先がどうなってるか自分の目で見ただろ。
「人が! 入るような場所じゃないから!」
本当にすぐに戻るから待っててくれ。
そう言い残して、僕は中に入り玄関の扉を閉めた。
何日も放置してあるごみが部屋の中を埋め尽くしている。
カビも、埃も、人体によくない。
一泊二日分の介抱をしてくれた人間をここには入れられない。
必要最低限の服と身分証明書。
市販の睡眠薬。
痛み止め。
これらを何年も使っていないキャリーケースに入れて部屋を出た。
「おまたせ」
天ヶ瀬はスマホから顔を上げる。
そして僕が持っているキャリーケースを見た。
「えっ、荷物それだけ? それとも業者さんに後から全部運んでもらう?」
もともと僕に物欲はあまりなかった。
服はパターンを作って着まわしているし、趣味も特にない。
引っ越し先に持っていきたいものはこれといって思いつかなかった。
「段ボールとか色々持つつもりでついてきたんだけどな」
段ボール。
言われて、ひとつだけ思い出した。
「ならひとつ頼まれてもらえるか?」
頼られたことが嬉しかったのか、天ヶ瀬はにこりと笑った。
「もちろん!」
僕は母から送られてきた段ボールを天ヶ瀬に持ってもらった。
中には仕送りの缶詰やレトルト食品が大量に入っている。
そこそこの重さのはずだが、天ヶ瀬は特に気にする様子もなかった。
引っ越し、とは言ったものの徒歩圏内の距離。
さほど歩かずに荷物を運び終えたものの、身体は限界だった。
僕は天ヶ瀬の家に着いてから床に倒れこむ。
「才!??」
急に倒れた僕を心配する天ヶ瀬。
あたりまえだろ。
陽キャの体力についていけると思うな。
「動きすぎて疲れただけだから…」
昨夜の宅飲み、泊まり、銭湯、引っ越し。
会社で倒れてから昨日まで引きこもっていた僕には、荷が重いスケジュールだった。
「そうだよね、ごめん! 疲れたなら寝てくれていいから!」
言うが早いか、昨夜寝たソファにまた寝かされる。
運ばれることに文句をつける気力はもうなかった。
寝て、動いて。動いて、寝て。
まるで人間みたいだ。
普通の人間のそばにいれば。
僕も普通の人間らしくいられるんだろうか。
寝ている間、夢の中の僕はそんなことを考えていた。
やけに現実みたいな夢だ。
そんなふうに夢の自分を見ていると、やがて目が覚めた。
「なんじ........?」
あたりまえのように傍にいた天ヶ瀬に聞く。
「九時」
ごはんにしよっか。
そう言って、天ヶ瀬はテーブルに並んだ食事を手で示した。
「引っ越しおつかれさま! 今日は、歓迎会の寿司パーティーです!」
いつの間に注文したのか。
桶いっぱいに光沢のある寿司が敷き詰められている。
それもパッと見ただけで上等だとわかる寿司だ。
「才はどのネタが好き?」
これも夢の続きだろうか。
でも、これが夢なら悪くないかもしれない。
ソファから起き上がり、浮かれている天ヶ瀬とテーブルについた。
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