第4話 ぼくたちのフネ
戦後、旧帝国海軍は海上警備隊という名称の中継ぎを経て海上自衛隊となった。
けれど発足当時は艦隊などと呼べるものは無く、米国から使い古しのフリゲート艦数隻を貰い受け、米第7艦隊の『標的』として日々を訓練に明け暮れていた。
そんなとき──実は海自の上層部は日本海軍再建計画として『Y委員会』なる秘密組織を設立していた。そこには吉田茂はじめ米国のアーレイバーク提督ら日米の錚々たるメンバーが介していた。
「いずれ洋上における補給任務は重要な位置を占めるでしょう」
昭和35年。貧弱そのものであった海上自衛隊に初の「補給艦(建造当時は給油艦と呼ばれた)」が誕生した。
基準排水量は2900トン。
全長128㍍。
最大幅15.7㍍。
旧海軍伝統の流線型を帯びた美しい船体。けれど多層構造であることが外からも目視出来る鉄柱の目立つ独特なデザインのフネだった。
前部と後部に別れた艦上構造物の中央に、ステーションと呼ばれる巨大な
わかりやすくいうと、道路を走っているクルマの隣に自走する給油スタンドが併走しながらガソリンを給油してくれる……そんなイメージだ。
それが梶田浩二や飯沼茂雄が着任した『補給艦はまな』だった。
しかしながら、
「お婆ちゃんなんだよなぁ、うちのフネ」
平原3等海曹は機関科員居住区のラウンジでコーヒーカップ片手ににへらぁ、とわらった。
ちなみにフネは『母艦』という命名から分かるとおり、神話の時代から女性とされている。だから『はまな』はお爺ちゃんではなく、お婆ちゃんだ。
「次の航海で廃艦になるんだぞ、知ってたか?」
昭和35年に建造された『はまな』。
そして今は昭和61年の秋。
若い下士官は意地悪な表情を浮かべる。
「知ってます。っていうか初めて乗るフネだから調べました」
梶田浩二が少しむくれっ面で応える。
「おれら失業するのか?」
飯沼茂雄が焦りの表情を浮かべた。
「そんなわけないだろ。自衛隊を失業するわけじゃない、また別のフネに移動になるだけだよ……たしか『とわだ』という8000トンクラスの補給艦を新造している」
「なんだ、そうか。次も梶田と一緒がいいなぁ」
……いや、おまえは機関士と同じ配属を希望だろ、と突っ込もうとして止めた。
これでは「若者をビビらせてほくそ笑むという悪辣な趣味」の平原海曹と同じだと梶田浩二は想いを飲み込んだ。
「なんだ、ぜんぶ知ってんのか。つまらん」
案の定、平原海曹とはこういう人だ。
次のワッチまで一眠りしようとラウンジ横の寝室へ入りかけたとき艦内スピーカーが緊迫の声をあげた。
「艦長より全乗員へ達する!」
前方展開する護衛艦をサポートするため出張った『補給艦はまな』は、世界でも最大級の強い流れで知られる海域を走っていた。
海水表面の早さはちょうど大人が小走りする程度の毎秒2m。
おかげで、この一帯はプランクトンの量が少なく透明度の高い深い紺色をしていた。
だから「黒潮」と呼ばれた。
沖縄県八重山諸島を起点に太平洋側に流れる本流と、日本海側へと流れていく対馬海流に分かれている。
2隻の新鋭護衛艦が疾走する遥か後方を必死について行く『はまな』は、太平洋側の暖かい海面を上らざるを得なかった。
巨大なわりに非力なエンジンが悲鳴をあげている。
海水温度が高いため冷却水の温度が下がらずエンジンや発電器などの内部温度が上昇した。これは故障の原因となるため、機関科員は冷却ポンプと冷却ポンプから送り出される水温に神経を尖らせる。
とても難儀な老齢ディーゼル艦だった。
コンピュータでシステム化された令和の軍艦なんてものは、このときの梶田浩二は想像すらしなかった。
エンジンが故障すれば流れの速い海域で補給艦が漂流することになるという、現実に恐怖するばかりだ。
しかも、それは『はまな』一艦だけの話では済まない。領海侵犯の『犯人』を追跡中の護衛艦を、腹ぺこのまま敵前へ放置することになるのだ。
補給艦の故障による航行不能は、日本の国防に深刻な事態をもたらすこととなる。
抑止力が効かなくなる。
軍事力の小さな島国にとって、これほど恐ろしいことはない。
抑止力は高くなければならない。抑止力の低い国家は他国に邪な気持ちを抱かせ、好き勝手に蹂躙され、それが国家の崩壊までつながる。
たかが水温、されど水温だ。
己が直接関わる仕事は小さい歯車のひとつであっても、それは巨大な装置を動かすための大切なひとつなのだ。
だが逆に考えれば、この苦難を乗り切るほどの「練度」を見せつければ抑止力はあがる。「日本の海防力は世界一」の称号を内外から得るべく海上自衛官たちは延々と努力を重ねてきた。
戦後日本の平和はそうやって守られてきたのだ。
もっとも底辺水兵の梶田浩二が、そこまで深く考えているはずもなかった。
「梶田1士はステーションへあがれ。洋上給油だ」
機械員長の言葉に「ああ、この灼熱地獄から抜け出せる」と、心をときめかせた。
飯沼茂雄の恨めしげな視線など気にもしなかった。
けれど彼はまだ知らなかった。
それは梶田浩二という、一介の若者が初めて体験するリアルな『戦争』だった。
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