第2話 ボーイズ・ビー・アンビシャス
無事にタクシーへ乗れてよかったねぇ……と、自衛隊を知らない貴兄はお思いだろう。
けれど自衛隊には門限というものがあった。
高校・大学を卒業した二十歳前後のいい歳した若者に門限を化すのは、日本では自衛隊と宝塚くらいだろう。
梶尾浩二と飯沼茂雄の不幸は、その片方の自衛隊であったということだ。
ちなみに補足しておくと、自衛隊でいう『大人』は階級が
年齢は関係ない。
たとえば下っ端
逆に、たとえ大学院を出ている年長のとっちゃん水兵であっても、結婚するか幹部候補生として江田島でエリート教育を受けなければこの限りではない。
自衛隊用語の『ちょんがー』つまり独身平社員は大人として扱ってもらえないのだ。
だから「幹部なんて責任重い役職は嫌だから暢気に水兵生活を堪能しよう」などと勘違いしてやってきた
「高卒のガキ共と一緒はいややぁ」
と結局、
つまり全国の保護者ご父兄に対して「たとえどんな馬鹿息子ぐうたら娘であっても安心して自衛隊に御子息をお任せ出来ます」というシステムとなっているのである。
そんな門限まであと10分を切る危機的状況だったのだと、梶田浩二が察したのは、若きエリート士官の機関士が
ちなみに階級は
「うわ、やばいじゃん」
飯沼茂雄が人ごとのように呟く。
「やばいなんてもんじゃない」
梶尾浩二は震え上がった。
機関士の顔は引き攣り、目は充血し、愛用の懐中時計と睨めっこしている。
聞けば京都大学を卒業したインテリらしい。
なのに江田島の段階から防衛大の生え抜きエリートとは区別され、差別され、希望する護衛艦にも乗れず場末の補給艦で初級幹部なんかやらされている。
いろんな感情を吸い込み過ぎて最近はパンパンに膨らんだ水風船状態らしい。はたして誰が『爆発』させるか、それが機関科員たちの間で密かな話題になっていた。
昨今、バブル景気という浮かれ気分な世情にあって民間企業は自衛官のヘッドハンティングに余念がない。
特に技術者集団でもある3分隊を預かる機関科トップで
沖縄巡航前に入渠したとき、機械員長(機関科下士官のトップ・パトレイバーのおやっさん相当)がメーカーの幹部から接待を受けたと聞いたときの狼狽ぶりは梶田浩二も印象深く覚えている。
結局、員長は「定年まで面倒見てやるから心配すんな」と今も機関科員たちへ檄を飛ばしている。
だが民間企業が歓迎するのは、なにもそんな至宝の方々ばかりではない。
「
これには機関長だけでなく、その部下である機関士も困っていた。
せっかく仕入れた旬な食材が、次々横から掻っ攫われるのだ。
たまったものではないだろう。
事実、はまな乗艦から一ヶ月程度で辞職した梶田浩二の同期は実在した。
まだドックに入渠中で、海にすら出ていない段階での接待攻撃だった。
今は中東へ赴任し、パイプラインを設計する仕事で大金を稼いでいるらしい。
機関士はみるみる若白髪を増やしていた。
京都大学の工学部でがっつり学んだのに、江田島では防衛大から邪険にされ、希望した最新鋭の護衛艦ではなく老齢の補給艦へ乗せられ、機関長から毎日小言を言われ、そして水兵風情に振り回され……お疲れさまです。
「わかってんなら、おれを安眠させろ」
「はい、ギリギリセーフでした」
じろりぃ、と睨まれる梶田浩二。
「もっと余裕持って帰ってこい。
どう言い訳しようか直立不動で目を白黒させていると飯沼茂雄が「アキバ、楽しみっすね」と素っ頓狂なことを言った。
梶田浩二は顔を真っ赤にして「ばかやろう、今そういう事を言ってる場合じゃ……」と𠮟ろうとして「アキバかあ、横須賀入港は一週間後だな」と意外なことに機関士が応じた。
心なしか口元に笑みまで漏れている。
……ほへ?
「停泊中に東京まで行く許可を員長から貰いました。おれ広島の田舎者なんで楽しみなんですよ」
「そうか、飯沼
「横須賀の街でぶらついてました。分隊長が厳しい人で、一人で東京まで行くのはダメだと許可を出してくれなくて」
「術科学校も初級課程だとそういうものか。ところで……」
と、機関士と飯沼茂雄は良い雰囲気で舷門を入っていく。
まるで『ふたりの世界』だ。
梶田浩二はひとり取り残され唖然としていたが「梶田
「はい、すぐに」
機関士と飯沼茂雄がパソコン仲間だったことを知るのはこの後だった。
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