第29話 心変わりも恋のうち。

「平さん、海野うんのさん。申し訳ないんだけど、この後信哉しんや君を貸して欲しいの」


 重苦しい空気の中、その中心にいるはるかが口を開いた。ここにいる誰にも伝わらないとは思うが、この行動は小さな1歩ではない。


 超お嬢さまの遥は絵を描く以外すべて周りが空気を読んだ。欲しいもの必要なものは遥が口にする前に準備される。


 それと同じように不必要なモノは、遥本人がそう感じる前に家族が先に排除はいじょしてしまう。そのひとつが俺。


 いずれ俺は遥の芸術活動の邪魔になる。遥の感情を揺さぶる存在になる前に遠ざける事が、伊勢家の才能の成長に有意義だと彼らは信じて疑うことはない。


「えっと、それはどうしてですか。ちょっと意味がわからないです」


「そうですよね、わからないですよね。じゃあ、例えば平さんが私と同じ立場ならどうですか」


 平さんは困った顔をしたが、不快な感じではない。遥が何を言おうとしているか辛抱しんぼう強く観察してる感じ。


「えっと、その。親御さんの事を言われてるのでしょうか」


「はい、それもあります。ありますが、私はあなたや海野さん、三浦ほど恵まれてないのです。何が言いたいかわかりませんよね……もし今日ここで何の約束もなく信哉君と別れたら、もしかして一生会えないかもって不安。おふたりにありますか? ないですよね、確実に月曜学校で会えますよね」


「伊勢さんにはそれが――不安があるんですか。師匠と連絡取れないんですか。連絡……監視されてるんですか」


 自問自答じもんじとうみたいな形で蕗の言葉は途切れた。


 言葉を口にしながら自ら答えを見つけた。そして言葉を飲み込んだ。遥と俺が置かれている状況が理解できたから。


「信哉君と別れた時……別れさせられた時、新しいスマホを与えられました。新しい番号、真っ白なアドレス帳。写真1枚もないアルバム。上総女子へは基本送迎されます。この間は私が美術予備校の帰りだったから、偶然信哉君と出会えた。でも、きっと美術予備校の帰りに待ち合わせても、いつかバレます。そしてまた取り上げられる。今は平さんが信哉君の彼女で彼を支えてくれてるのはわかります」


 そこまで言って遥は不意に会話を切る。そして遥はあろうことか、平さんの座るソファーの前の床に正座した。


「よせ、遥。それは違う」


 俺は慌てて立ち上がった。


「そうよ、それはダメ。華音ちゃん、私はの肩も持つつもりないけど、遥って土下座ここまでする娘じゃないの。それくらい――」


 平さんはアンディの言葉を首を振ってさえぎる。


「私だって、土下座そこまでさせる娘ではありませんよ。わかりました、この後信哉さんを御貸しします。私と海野さんはここで帰ります」


「待ってください。私の土下座は『貸してください』の土下座ではありません。なのでちゃんと土下座します」


「どういう意味です? 伊勢さん先程『貸して欲しい』と」


「はい、なので土下座しようと。なんて言いましょうかです」


「心変わり、ですか。ちょっと意味が飲み込めないのですが」


「そうですか、わかりませんか。ではここは正々堂々と。可能であれば、いえ。全身全霊をもって信哉君を取り返したいと。その手段が例え駆け落ちになるとしても。なので、平さんはのご迷惑をお掛けするかと。ですので、土下座くらいは必要かと思いまして」


 思ってたのと違う。そんな顔して平さんは俺の太ももをつねる。頬をぷーっと膨らませて。いや、俺が悪いの? 


 実際俺もびっくりな発言なんだけど。やっぱ芸術家の発想には付いて行けんな。


 ***

 最寄り駅のコンビニ前。


「それにしても、平さん。よく許しましたね、私なら無理ですよ絶対」


 結局のところ、華音はめちゃくちゃ信哉にクギを刺してふたりでの行動を許可した。もちろん駆け落ちしない約束をさせて。


「仕方ないじゃないですか。あそこで駄々だだをこねたら、私嫌な女子じゃないですか。さすがに駆け落ちはしないでしょうし」


「それはそうですが、かもですよ。彼女の許可が出た訳ですし」


⁉ いやいやいやいや、そんなぁ事はないでしょ! だ、だだだだ……だって私たち高校生ですし、ほら! ここここ、こんなにも送り出した彼女をですね、裏切ったりしないでしょ! 第一、許可なんかしてないもん!」


「あの、こんなこと言ってなんなんですが、平さん『こころよく』って本気で言ってます? それとも『こころよく』って言葉の意味知ってますか?」


「そこまでおっしゃるなら海野さん、私のどこが『こころよく』なかったかお答えくださいな!」


「いいですけど。そうですね今時『指切りげんまん』はどうなのでしょう。あれ程鬼気迫る『指切りげんまん』見たことないですよ。ホラーですよ、男子的には。師匠の小指折れるかと思いましたよ、実際」


「で、でも! こちらの必死さをお伝えすることでですね、最悪の事態を回避かいひ出来るというものではないですか⁉」


「そうですかねぇ、いえこれは私見なんですけど師匠、源君は追い込むと最悪の事態を回避するのではなく、のではと思う次第でございます」


 その言葉に華音の頭の血が一気に引いた。


(あの人ならあるあるかも……)


 高校の聖女さまとは思えない唸り声を上げながら、コンビニの前で頭を抱え込む華音を蕗は少し迷惑そうな目で見ていた。

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