第22話 呪いのような言葉。

 その日は意外とそれ以上事件が起きないまま放課後を迎え、無事帰路に付いた。俺に容赦ようしゃないとはいえ、平さんを送ることは忘れない。


 平さんのマンションまでの道から伊勢はるかが通う上総女子が見えた。見えたからといって何も起きない。


 上総女子は超が付くほどのお嬢さま校。恐らく全員送迎されてるのか、上総女子の制服は見た覚えがない。


 いや、この間のはるかとの不意の再会の時までは。


「何を黙ってるのですか。良い言い訳でも浮かびましたか?」


 俺に合わせて自転車通学の平さんは自転車を押して歩く。あの時、神の救いとも呼べるチャイムに救われ事なきを得た俺だが、平さんの機嫌がなおったかは微妙。


 時間が解決してくれるさという、都市伝説を今は信じたい。


「源君。ご存じですか?」


「何を?」


「たいしたことではありません。柔道には腕挫十字固うでひしぎじゅうじがためという技があるのです」


 細川君。よりにもよってなんて技教えてくれたんだ。俺、現在進行形でひじがたいへんな状態なんだけど。


 そもそも、腕挫十字固うでひしぎじゅうじがためって護身術になる? わかんないけど、そんな技かます時間あったら逃げた方がよくない? 寝技してる場合じゃないだろ?


 いや、違うわ。平さん護身術じゃなくてって言ってたわ。もう、彼女ったら俺専属の拷問官目指してないか。


「試したいの?」


「あら、流石お付き合いしていると以心伝心ってあるのですね。素敵なことです」


 俺は彼女が素敵という意味を本当に理解しているか心配になった。


 ***

 平さんのマンションの部屋に入るのはこれで何度目だろうか。


 最上階ワンフロア全部が平家たいらけが所有しているので、以前感じていた誰かに見られたら平さんの迷惑になるのではという意識は薄まった。


 逆にまったく人の気配がしない。用事がない限り、マンションの住人ですら最上階のボタンをエレベーターで押すことはない。


 平さんが寂しいと言っていた意味がわかる。いや、平さんの寂しいという言葉は人の気配がないことを指している物ではないか。


「源君。私に提案があります。聞く心の広さはありますか」


「いつもなら内容にもよると言うところだけど、無条件で聞く準備がある。その意味ありげな笑顔の理由を聞かせてくれたならという条件はあるが」


「あら、無条件と言っておきながら条件をつけるのですね。おかしな方です。いいです、ここはどうでしょう。お互いに妥協だきょうしませんか?」


「妥協の方向性による」


「あらあら、そこまでいけずをおっしゃるなら、わかりました。わたくしこの交渉のテーブルを、ちゃぶ台返ししてもよろしくてよ?」


「そうか、じゃあ俺はこの扉を閉じて一目散に自宅に帰るとしよう」


「まぁ、なんていけず。仕方ありません、ここは私が折れましょう。ひとまずケンカはやめませんか。お互いに言い分があるとは思いますが、それ全部言ってたらこの週末はそれだけで終ってしまいます」


「それは、そうだと思う。じゃあ、ひとまずお互いを非難しないという基本的な方向性は決めないか?」


「はい。ではそうしましょう。ここで立ち話もなんですので上がりませんか。麻呂も退屈してるでしょう」


「そうだな、麻呂を抱っこして最近のとした日々を忘れたい」


「あら、ケンカ再開ですか? それでしたら根掘り葉掘り掘り返しますが、今日のことを」


 なんなんだ、この聖女さまの皮を被った戦闘民族は。堂々巡りもめんどくさい。ここは平さんが望む方向に話を振るか。


「そう言えばさっき提案があるって言ってたな」


「はい、聞いてくださいますか?」


「さっきも言ったけど内容にもよる。その俺が除外したい内容を先に言う。それでどうだろう」


「なるほど、聞きましょう」


 俺はてっててと駆け寄ってくる麻呂を抱き上げ頭をでる。拾った頃より栄養状態がいいのか、お腹がぽっこりと小さくふくれていた。


「交友関係。具体的に言うと、三浦と蕗と話すなとかはナシだ。あとファミリー関係のことで、この間みたいに疑う様な話も聞きたくない。今のところはってことで、この先ずっととかじゃない」


「えっと、逆に聞きます。三浦さんと海野さん、それにファミリー関係の話以外なら聞いてくださいますか?」


「あの、高校生なので高いものは買えんぞ? その辺りは常識じょうしき範囲はんいな?」


「いえ、金銭の掛るおねだりはしませんよ。あの、言いにくいのですが」


「うん」


「この間、最初の日です。私がその……舞い上がって過剰かじょうな、おもてなしをしようとした日がありましたよね」


「その、無理やりシャワーを浴びさせようとした?」


「あ、あれは他意はないのです。傷口を清潔に――」


「それはわかってる。悪い。話の腰を折って。気にせず続けて」


「はい。大変言いにくいのですが……覚えてますか、黒のスウェット」


「あぁ、着替え用に買ってくれたってヤツか。それが?」


「その、お着換えしませんか? その、制服ではおズボンにしわが。それと、落ち着くと思うのです。私だけ着替えるというのも、気が引ける部分がありまして、どうでしょうか」


 平さんは何故か顔を真っ赤に染め上げ、座っていたソファーの上で手をモジモジさせていた。よく見ると耳まで真っ赤だ。


 そんな恥ずかしいことは言われてないが……


「そうだな、せっかく用意してくれてるんだから、着替えようか」


「はい! ではご準備しますね! 脱衣所をお使いください。わたくしはこちらでお待ちしております」


 そう言われ、俺は脱衣所に向かった。締め切った脱衣所の中は何も音がしない。俺の家は戸建てなので何かと近所の生活音がする。


 うるさいとは感じないが、その環境に慣れている俺からしたらここは静かすぎる。最上階ということもあるのだろう。


 脱衣所に置いてあったカゴの中には、黒のスエットが丁寧に畳まれていた。触った感じ購入後に洗濯をしてくれたようだ。もちろん平さんが洗濯してくれたのだろう。


 黙っていたら、本当の聖女さまなんだけどなぁと思いかけて、軽く首を振り平さんの言葉を思い出した。


『私はその呼び方が嫌いです』


 この呼び方は取りようによっては幾つかの意味を持つ。平華音かのんの容姿がまるで聖女さまのようだからと、額面通りの受け取り方。


 聖女さまのように振舞って欲しいという、他者による願望。クラスの男子が口にした言葉。


『目をさましてよ』

『誰に聞いてもそう言うよ』


 言った方は深い意味はないのだろうが、言われた方はまるで呪いのような言葉だ。


 それを考えると、仮に暴力女子だとしても俺にだけにしか見せない素顔は貴重で尊いのだろう……


 なんて言えるほど、俺は大人じゃない! 痛いもんは痛いんだ。危うく情に流されるトコだった。ヤバいヤバい。

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