守護者
――死。
万人へ平等に訪れる……しかし、年若き乙女にとっては、あまりに無惨な形となったそれを、覚悟と共に待ち受ける。
しかし、しばらくの間を置こうとも……。
この胸を貫かれる感触や、あるいは、喉を切り裂かれる痛みが訪れることはなかった。
「………………?」
そっと、まぶたを開く。
すると、頭上で展開されていたのは、まさに思いがけなかった光景だったのである。
「あなた……何のつもり?」
苦痛に顔を歪めながら、カレルがそう問いかけた。
それも、そのはずだろう。
短剣を手に振り上げられていた彼女の腕は、あと少しでリーナの胸に突き立てられるというところで、横合いから伸びた手に掴み取られていたのだ。
――ミシ。
――ミシ、ミシ、ミシ。
ばかりか、掴まれた腕からは、筋肉と骨のひしゃげる音が響いているのである。
「………………」
凶行を阻止せし者……。
それは、この場に集まった邪教徒の一人であった。
他と違い、両手のメイスは捨て去っているが、身にまとった法衣も顔の仮面も同様のものである。
従って、仮面の下に隠れた表情をうかがい知ることはできなかった。
ただ一つ確かなのは、確固たる強い意志でもって、リーナの死を阻止せんとしていること……。
――ミリ、ミリ、ミリ。
掴まれた腕から響く音が、徐々に力強さを増していく。
「は、離して……!」
あまりの苦痛にカレルはそう叫んだが、邪教徒は決して手を離さない。
――メキリ!
それどころか、さらに握力を強め、ついに、掴んだカレルの腕から破壊的な音を響かせたのである。
「う……っ!? ぎあっ……!?」
ようやくにも手を離され、カレルが無様な悲鳴を上げた。
同時に、手放された短剣が床へと落ちる。
邪教徒たる娘の右手が、あらぬ形に折れ曲がっているのを、リーナからもうかがえた。
「以前から、思っていたが……」
リーナの死……ひいては、この儀式そのものを阻止した邪教徒が、ようやくにも口を開く。
仮面越しゆえに、ややくぐもった声音となっているが……。
それは、確かに聞き覚えのある……温かさと包容力のある声だったのである。
「貴様ら悪魔神官の格好は、互いに見分けがつかな過ぎる。
それゆえ、このようにあっさりと潜入を許してしまうのだ」
「き、貴様は……?」
折れ曲がった右手を抑えながら、カレルがその邪教徒を睨みつけた。
彼女だけではない。
この儀式を遂行するべく集まった悪魔神官たちが、仮面越しでもそれと分かる殺気立った視線を向ける。
だが、邪教徒は臆することがない。
ただ、悠々と仮面を外して見せたのであった。
露わになった、その顔は……。
「第四王子……エニク……!?」
そう、第四王子エニクその人だったのである。
「ど、どうやって……!?」
破壊神とて、神は神。
どうやら、その信奉者には精霊神の僧侶と同じ癒やしの力が授けられるらしく、カレルが魔法の光で右手を治療しながら尋ねた。
「どうもこうもない。
貴様らが、儀式の準備で慌ただしくしている中……。
密かに潜り込んで一人打ち倒し、装束を拝借しただけだ」
エニク王子が、自らの法衣を掴みながら説明する。
そして、そのまま法衣を脱ぎ捨てた。
法衣の下に着込んでいたエニク王子の服……。
それは、初めて会った時と同じ、青を基調とした旅装束だ。
そして、腰に携えしはオリハルコンを鍛えたというあの宝剣……。
完全なる戦の態勢……。
エニク王子は、王都に巣食いし邪教徒たちを一掃すべく、自らここへ乗り込んできたのである。
「王都に破壊神の信奉者がいることは、薄々と察していた。
それも、かなり高位の貴族がそれであるとな。
さもなくば、十七年前、大神官ゴーハが逃げ出せたことにも、あやつが遠き雪原から、この王都に住むおれの親族を呪えたことも説明がつかぬ。
決め手となったのは、貴様らが召喚した火の輪グマだ。
ここ、ローハイムには生息せぬ魔物が突如として出現し、おれに嫁ごうという娘を襲った。
あまりに、偶然が過ぎるではないか?」
じろり……と。
エニク王子が、悪魔神官たちを見回しながら淡々と語った。
しかし、その奥底には、激しい怒りと戦意が感じられたのである。
「ゆえに、王都へ帰還したおれは、密かに内偵を進めていた。
結果、浮かび上がった貴族の一人が、ハロネク公爵だ。
――仮面を脱げ。
このように十把一絡げな姿では、誰がそうだか分からぬぞ?」
王子に促され、悪魔神官の一人が仮面を外す。
カレルの隣に立ったその人物は、紛れもなくハロネク公爵その人だ。
もっとも、上品な笑みは消え去っており、その顔には憎しみの色しか浮かんでいなかったが……。
「それでいい。
貴様とその手下共は、かつての日に教団と通じ、大神官を逃した。
そして、昨今においては、ゴーハが行った儀式の中継役となり、おれの親族たちを呪い殺した……」
エニク王子が、腰の剣を引き抜く。
無数の神聖文字が彫り込まれしオリハルコンの刃は、薄暗い大広間を照らし出すかのように輝いた。
「もはや、容赦はできぬ」
剣を構えたエニク王子が、厳かに告げる。
これは、王となる者による処刑宣告だ。
「ふ、ふん……!
飛んで火に入る夏の虫とは、まさにこのことよ!
貴様一人で乗り込んだところで、何ができようか!?」
両手のメイスを構えたハロネクが、勝ち誇ったように叫ぶ。
だが、王子はそれにひるまない。
「おれが、一人で来たと誰が言った……?
すでに、この屋敷は包囲されている」
王子がそう告げるのと、物々しい音が広間の外から響いてきたのは、同時のことであった。
「な、何事だ!?」
狼狽したハロネクが、周囲に向けて叫ぶ。
だが、答えたのは悪魔神官たちでなく、エニク王子だ。
「おれの手配した騎士たちが、ようやく踏み込んできたのだ。
長々とお喋りをしてみせたのも、これに呼応するためよ」
外の騒動は、徐々にその音を増していく。
音の正体が、剣戟や怒号であることを、戦に縁のないリーナでも察することができた。
「しかも、今回は、久方ぶりにザノスも出陣してくれているぞ。
貴様の軟弱な配下共が、果たしてどれほど持ちこたえるかは、見ものだな」
「お、おのれ……!」
ハロネクが、悔しげに歯をきしませる。
そして、開き直った末にこう宣言したのだ。
「ならば、そやつらが踏み込んでくる前に、貴様を亡き者としてくれるわ!
そうすれば、今度こそローハイム王家はおしまいよ!」
その言葉に呼応し……。
他の悪魔神官たちも、次々と両手のメイスを構え始めた。
同時に、大広間の中を邪悪な魔力が満たし始める。
「やってみるがいい……」
エニク王子が、愛剣をゆっくりと持ち上げ、顔へ寄り添わすようにした。
そして、かちゃりという音を立てて、これを構え直したのである。
「やれるものならな」
戦いの火蓋が切られた。
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