策謀の舞踏会
公爵家ともなれば、その権威も財力も絶大なものがあり、ハロネク公爵家の邸宅は、それを表すに相応しい豪邸である。
昨日の昼間に案内された庭園は、腕利きの職人たちにより、色とりどりの花が咲き乱れる華やかな世界が広がっており……。
屋敷内には、百人以上も収容可能なほどの大広間が存在していた。
そして、今宵、その大広間は、天井に吊るされた巨大なシャンデリアによって照らされており……。
礼装姿の客人たちを、高貴な光で更に輝かせていたのである。
「本日は、お招き頂き、ありがとうございます」
約束通り、王城へ遣わされた馬車に揺すられて参上したリーナは、そう言って今夜の主催者たちへとお辞儀をした。
「こちらこそ……。
リーナ様をお招きできたこと、光栄に思います」
返礼してみせたのは、ハロネク公爵家のご令嬢であるカレル……。
そして、彼女の傍らに立つのが、当主たるハロネク公爵その人である。
「今宵は、舞踏会の形式と致しました。
どうか、当家自慢の楽団が奏でる音楽を楽しみながら、踊り明かして頂きたい」
にこやかな笑みを浮かべる公爵は、四十そこそこの男性であり、口元に蓄えた髭もよく整えられていた。
年輪を重ねると共に、高貴さも増してきたかのような……。
貴族として、一種、理想的な年の取り方をしている人物である。
「何しろ、辺境伯領という田舎から出てきました身ですので、上手く踊れるかは分かりませんが……。
皆様のお邪魔にならないよう、努めさせて頂きます」
「ははは、そう気負うこともありません。
あくまで、今宵は皆で楽しもうというのが趣旨……。
気楽に参りましょう」
笑顔でそう告げた公爵が、それから広間の中央へと歩く。
そして、彼が高らかに夜会の開催を宣言すると、隅に控えていた楽団たちが、おごそかな音色を奏で始めた。
その演奏に導かれ……。
集った客たちが、それぞれパートナーと共に踊り始める。
本来、リーナはエニク王子と踊るべきであったが、パートナー不在のため、主催であるハロネク公爵がその役割を努めてくれた。
舞踏会形式とは聞いていなかったため、やや面食らう形となったが、これならば問題はないだろう。
できる限り高位の貴族と顔を繋ぎたいリーナとしては、かえってありがたい状況であるかもしれない。
「お上手ですよ。
いや、はは……こんなおじさんが相手をさせてもらえるというのは、光栄ですな」
「ご謙遜を。
公爵様は、まだまだ若々しいと思います」
ゆるりとした足さばきで踊りながら、そのような会話を交わす。
そうしながらも、ちらりと周囲の様子を窺うことは、忘れない。
今宵の客層……。
カレル嬢から誘われたので、若年層を中心としているかと思いきや、思いのほかに年かさの者が多かった。
特に、圧倒的多数を占めているのがハロネク公爵と同年代の男性貴族たちで、これはどうやら、自身が属する派閥の人間を集めたのだろうと推測できた。
と、なると、カレル嬢の誘いは彼女本人の意思ではなく、父親の意を受けてのものであると考えられる。
公爵が、あらかじめ自分を誘うよう言い含めておいたのだろう。
その目的は、容易に予想がつく。
自分の派閥へリーナを……というより、その父親であるフロレント辺境伯を取り込もうと考えているのだ。
さて、どのように振る舞うべきか……。
どの程度の距離感をもって接するべきか……。
公爵と踊りながらも、リーナは足さばき以上に、そのことへ頭を悩ませていたのであった。
そんなことを考えながら踊っている内に、一曲目は終了し……。
「お嬢さん、次は私と……」
「はい、喜んで」
「お次は、私でどうかな?」
「こちらこそ、わたしでよろしければ……」
慣例に倣い、曲が終わるごとに相手を変えていく。
最初はパートナーと踊るのが、これも慣例であるが、その後に誰と踊るかは、自由なものだ。
そもそも、舞踏会を開く目的は交流を深めることにあるのだから、色々とうるさいことを言ってそれを制限してしまっては、元の木阿弥なのである。
かくして、今宵のリーナは、実に様々な男性と踊ることになった。
同時に、他愛もない……それでいて、相手の機嫌を伺いながらの会話を交わしていると、疲れも溜まるもの。
「失礼……少し、休憩を取りたくて」
「おっと、それは残念」
だから、曲が終わった節目で丁重に誘いを断り、一度、広間の壁際にまで下がったのである。
「お嬢様、こちらを……」
流石、公爵家の使用人といったところか。
リーナの喉が乾いているのをすぐに見抜き、純銀製の盆から飲み物を差し出してくれた。
「ありがとうございます」
これは素直に受け取り、喉を潤す。
ありきたりな果汁水は、踊りで火照った体と、会話の応酬で披露した頭に染み入るようだ。
「リーナ様、楽しんで頂けてまして?」
そう声をかけてきたのは、今夜、ここへ誘ってくれたカレル嬢である。
「ええ、皆様にもお手を差し伸べて頂き、おかげで退屈せずに済んでおります」
「それは、何より……。
ふふ、何しろ王位を継承することになった王子のご婚約者ですもの。
殿方たちも、リーナ様と踊る栄誉に預かりたいのでしょう」
「皆様方に優しく先導して頂けたことは、エニク殿下にもよくお伝えしておきます」
「あら?
そんなことをしたら、嫉妬を買うのではなくて?」
「わたしのごとき田舎娘を、場に馴染ませてくれたという美談ですもの。
エニク殿下は、そういったところを取り違える方ではないと思います」
自分でも、やや意外だが……。
こればかりは、はっきりと断じることができた。
だが、初めて会った時の優しい態度といい、自分が連れてきた騎士たちに見せた鷹揚さといい……。
エニク・ローハイムという人物が見せてきた懐の深さを思えば、これは当然のことであろう。
「信頼なさっているのですね。
エニク殿下のことを」
「はい……きっと、深く」
まだ、出会って四日しか経っていない。
なのに、これほどまでに信頼を寄せられるのは……。
それを語る際、自覚できるほど頬が紅潮してしまうのは……。
恋する乙女の心が成せる業であると、そういうしかない。
「ふふっ……。
素晴らしいこと」
カレル嬢が、上品な笑みを浮かべる。
それは、自分とエニク王子の前途を、心から祝福してのものと思えたが……。
「だからこそ、贄に相応しいのです」
次に彼女が口にしたのは、全く思ってもいない言葉であった。
「贄……?
うっ……!?」
瞬間、異変に気づく。
足が、がくがくとして、震え……。
視界が定まらず、まるで大地震の中にでも放り込まれたかのようだ。
明らかに、単なる疲労とは異なる症状。
その原因は……。
「まさ……か……」
思い当たった原因……右手のグラスを見ようとする。
だが、右手は痺れて使い物にならず、これを床に落としてしまった。
「ふふ……勘のよろしいこと」
カレル嬢が笑う。
それは、先までと性質の異なる……恐ろしいほどに冷たいものである。
しかも、同種の笑みを、他の参列者たちまでもが浮かべているのだ。
「一体……何を……」
「教団に伝わりし妙薬は、無味無臭にして、絶大な効力を誇ります。
今は、しばし、お休みなさいまし」
もはや、立っていることもあたわず……。
どさりと、リーナはその場に倒れ伏した。
最後の力を振り絞って見上げると、カレル嬢が冷たい笑みのまま、こちらを覗き込んでいたのである。
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