初めて共にする食事

 ローハイム城には、これと寄り添うようにして存在する建築物があった。

 石造りであることは、王都に存在する他の建物と変わらないが……。

 全体的に曲線を多用した造りとなっており、そこかしこへ装飾が施されているという、他にない外観的な特徴がある。


 どこか華を感じられるこの建物は――後宮。

 王たる者が、配偶者を住まわせる施設であった。


 入り口となるのは、王城から繋がる空中回廊のみ。

 男児の立ち入りは禁制であり、ここへ入ることができる男は、国王のみである。


 新たなる王族を誕生させ、育むための巨大なゆりかご……。

 あるいは、麗しき姫君たちの園……。

 それが、ここ、ローハイム後宮なのであった。


 そこへ、足を踏み入れし者が一人……。


「やっているか」


 空中回廊の入り口に立つ二人の兵士へそう告げたのは、他でもない……第四王子エニクその人である。

 本来、後宮へ入れるのは王のみであり、王子とて立ち入ることは出来ない。

 だが、父王パーパに子を残す力はもう残っておらず、即位前ではあったが、第一王子たる兄へと受け継がれていた。

 その兄も亡くなり、今、この後宮はエニクへと受け継がれているのだ。


「ははっ!」


「異常ありません!」


 この二名も昼間の練兵には参加しており、帰ってきた放蕩者の実力というものを、嫌になるほど思い知っていた。

 それ故、当たり前の敬礼も、何やら緊張したものとなる。


「そう、固くなる必要はない。

 だが、遠からず、ここには国の未来というものが溢れることになる。

 かつてと同じようにな。

 固くなり過ぎず、さりとて緩むこともなく、適当に励むことを期待しているぞ」


「はっ!」


「承知致しました!」


 そうは言われても、一度固まった体を解すことなど難しいのだろう。

 ぴんと背筋を立てる二人に手を振りながら、空中回廊の中を歩んだ。


(さて……ここを巣立ったのは、いくつくらいの時期だったか)


 歩みながら思うのは、幼き日のことである。

 王族の男児は、生まれてから数年はここで育てられるのが慣例だった。

 そして、いよいよ王族として教育を受け始める年齢になると、王城の方へと移り住むのだ。

 逆に、姫君の場合は、嫁ぐまでこの後宮へと住み続ける。


(母上と離れて寝なければならぬと知って、ならば女子に生まれたかったと思ったな……はは)


 甘ったれで泣き虫な末っ子の幻影と遊びながら、いよいよ後宮の門を開く。

 父王はすでに世継ぎを作れる年齢ではなく、兄も亡き今、ここを訪れる男は己のみ。

 そして、今ここには、婚約者たるリーナと、彼女の世話をする侍女たちが暮らしているのだ。


「お待ちしておりました」


 開いた門の先では、早速にもその侍女たちが集結し、己を待ちわびていた。


「うむ……」


 短く答え、促されるまま、後宮内を歩く。


(幼きエニクよ。大人になってみると、ここはそう居心地のよい空間ではないぞ)


 右も左も女人という状況に、少々のいたたまれなさを感じたエニクは、心中でそう独白したのである。




--




(旅をしていた時とは、雲泥の差だな)


 この城へ帰って以来、食事の度に抱いていた感想を、エニクはまたしても感じることになった。

 いや、この感情は、帰還してから最大のものであるかもしれない。

 眼前へ供されるのは、それ程までに――豪華極まりない料理の数々だったのである。


 ただ、食材が高価だというばかりではない。

 並々ならぬ手間暇をかけているのが、容易く見抜けた。


「まるで、何かの祝いだな」


 ナプキンを首に巻きながら、苦笑いを浮かべる。


「何しろ、久しぶりに殿方を招けるわけですから。

 料理長も、それは張り切っております」


 答えたのは、対面に座ったリーナではない。

 己の後ろへ控える老侍女長――ハサリナだ。


「何しろ、兄王子方が亡くなられてからは、この後宮も事実上の閉鎖状態。

 陛下のお情けで留まることを許されましたが、かといって、ろくな仕事があるわけでもありません。

 殿下におかれては、一刻も早く、わたくしたちを忙しくして頂きたいと思っています」


「分かった、分かった。

 おれも、これからは、なるべくリーナと食事を共にするつもりだ」


 幼き日……。

 まだ後宮に住んでいた頃、ハサリナは三十半ばであり、若い侍女たちをまとめる立場であった。

 今は、影ながらここを統べる主。

 形式上の主はリーナであるが、実際にここを取り仕切っているのは、紛れもなくこの老侍女長なのだ。


「本当に、分かっておいでですか?

 いいえ、分かっておいでになりませんね」


「何だ? 人のことを決めつけて。

 おれは、分かったと言ったからには、きちんと理解しているつもりだぞ?」


「本当に分かっておられる方なら、帰還した初日……。

 それが難しかったとしても、翌日の朝食は共に食べられていたはずです」


「うぬ……」


 痛いところを突かれてしまい、閉口するしかない。

 実際、師の忠告を受けなければ、今夜も別の貴族と会食していたはずなのだ。


「リーナ様は、本当によく出来たお嬢様です。

 これだけの方を婚約者に迎えて、寂しがらせるようなことがあってはなりませんよ」


「……今度こそ、本当に分かった。

 亡き母にも誓おう。

 だから、そろそろ飯を食わせてはくれぬか?」


 叱られた犬そのものといった気分で言うと、くすりとした笑い声が漏れる。

 声の主は、食卓を挟んだ向かい側に座る人物……。

 自分の婚約者――リーナであった。


「すみません。

 何だか、おかしくて……」


 非礼を詫びながらも、しかし、ご令嬢の顔から笑みは消えない。


「あれだけ恐ろしい魔物を一振りで倒したエニク様が、今はこれだけ縮こまっているものですから……」


「ふ……。

 おれとて、かなわない相手はいくらでもいる。

 このハサリナなどが、代表だ。

 おれにとっては、第二の母とも呼べる相手なのでな。

 後宮を出た後も、父上は本気でおれを反省させたい時、こやつを呼んでくれたものだ」


「おかげで、週に一度は王城へ参じることになりましたとも」


「嘘をつけ。

 せいぜい、月に一度くらいだったろう?

 ……多分な」


 後ろからの声へ言い返そうとするが、最後には自信がなくなってしまう。

 自分という人間は、もう少し己を省みた方が良いようである。


「ふふっ……。

 仲がよろしいんですね」


 そんな自分を見て、リーナがますます面白そうにした。


「わたしにとっては、後ろに控えているアンナが姉のような存在ですが……。

 エニク様にとっては、ハサリナがそういった存在なのですね」


「ふ……。

 いつもうるさく言われているだけだ」


「ご自覚があるなら、うるさく言わせないで下さいまし」


「ほらな」


 おどけた様子を見せると、リーナばかりか、給仕のため控える侍女たちからも笑みが漏れる。


「と、いつまでもこんな話をしていては、せっかくの料理も冷めてしまう。

 そろそろ、頂こうか」


「はい」


 互いにシルバーを手にし、食べ始めた。

 そのまま、しばらくの間は、かちゃり……かちゃり……と、自分たちに代わって、食器が音を立ててくれていたが……。

 やがて、リーナが口を開く。


「ところで、なるべく食事を共にして下さると言って頂けたばかりで、恐縮なのですが……。

 実は、明日の夜にハロネク公爵家で開かれる夜会へ招待されまして……」


「……ほう。

 ハロネク公爵家にか?」


 ――ハロネク公爵家。


 出てきたその名前に、思わず尋ね返す。

 それは、エニクにとっては、理由あってのことだったが……。

 何も知らぬリーナは、少しもじもじとしながら願い出るばかりだ。


「その……。

 せっかくにも、ご招待頂きましたので……」


「ああ。

 かの公爵家で開かれる夜会ともなれば、さぞ豪勢なこととなるだろう。

 お前にとっても、友達などを得る機会となるやもしれん。

 遠慮をすることはないから、楽しんでくるといい」


「ありがとうございます」


 リーナが、顔を明るくする。

 そこからは、生家のため、少しでも王都貴族との繋がりを深めようという貴族家令嬢らしい考えが汲み取れたが……。

 エニクは、そんな彼女の考えを利用しようという企みを感じていたのであった。

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