乙女心は剣のごとくいかず……
城というものの本質は、
必然、よほど小規模なそれでない限り、内部には勤める兵たちが腕を磨くための練兵場を有していた。
ここ、ローハイムの王城とて、その例外ではない。
ばかりか、国内最大数の騎士と兵士を擁するに相応しい大規模なそれが存在するのだ。
どういうものかといえば、王城の構造は、上から見れば口の字形となっており、その中央部がそのまま、練兵場として利用されているのである。
地面には川砂が敷かれ、壁際へは、打ち込み練習に使う木偶や、矢を射掛けるための的がずらりと並ぶ。
中央部は、模擬戦や行軍練習をするための広い空間となっており、木偶などが並んだ対角線上の壁際は、馬たちが暮らす馬房となっていた。
剣術、槍術、弓術、馬術……。
およそ、武芸者として必要とされる一通りの技術が、ここで完結しているのだ。
そんな、王国戦士たちの聖地と呼んで過言ではない空間……。
その中央部が、熱を帯びていた。
模擬戦をする戦士たちが、時に練習であることを忘れ、実戦のごとく過熱するのはよくあることだが、今日のそれは、そのように生易しいものではない。
いってしまえば――熱狂。
自分たちより遥か高みにいる使い手の出現と、その者に直接剣を教わる喜びとで、中天で輝く太陽のごとき熱気を発しているのである。
「さあ、どうした? かかってこい」
戦士たちの中央に立つ男……。
周囲の視線を一身に集める人物が、穏やかな笑みを浮かべながらそう言い放った。
他の者たちがそうであるように、上半身裸という出で立ちであるが……。
今や、彼の顔を見紛う者が、この城中に居ようはずもない。
第四王子――エニク。
武者修行の旅より帰還した王子が、自ら戦士たちに訓練を施しているのだ。
その訓練が、どれほど苛烈なものであるかは、戦士たちの一部を見れば分かる。
情けなくも、地面にへたり込み……。
首にかけた手ぬぐいで汗を拭うか、あるいは、小姓が用意した水差しの中身を飲み干す……。
彼らは、先んじて王子と立ち合った者たちであった。
普段から、徹底して己を追い込み、鍛え抜いてきた者たち……。
そのことごとくが、かくも疲労困憊しているのが、苛烈さの証明というわけだ。
恐るべきは、十数名もの戦士をここまで追い込んでおきながら、エニク王子本人は疲労するどころか、汗の一滴もかいていないことだろう。
どこまでも――余裕。
このような動きなど、彼にとっては、運動の範疇でないことが感じられる。
「早くこい。日が暮れるぞ」
片手で、だらりと木剣を下げたまま……。
エニク王子が、対峙する兵士にそう宣告した。
傍目には、隙だらけにしか見えない自然体。
しかし、実態がそうでないことを、先んじて挑んだ者たちは知っている。
「はあっ……! はあっ……! はあっ……!」
若き兵士は、ただ向き合っているだけだというのに、すでに息を荒げ、緊張の色を滲ませていたが……。
それも、致し方のないことだろう。
王子からは、無形の――油のごとく絡みつく圧力が発されており、それに飲まれてしまえば、自由に呼吸することさえままならないのだ。
ただ、飲まれているだけではない。
兵士は、自分が王子の木剣で打ち据えられる光景を、何度となく幻視しているはずであった。
――上段から。
――中段から。
――下段から。
ありとあらゆる斬撃が、あるいは刺突が、己を傷めつけるのである。
どう足掻こうとも、その未来を回避する手が浮かばない。
――自由自在。
どのように仕留めるかの決定権は王子が握っており、唯一、委ねてくれているのが、いつ倒されるかという一点なのであった。
だが、それも、無制限ではない。
「こないならば……。
こちらから、いこうか」
ゆらり……と。
エニク王子がこちらに歩み始める。
それが、かえって踏ん切りをつけさせた。
「――おおおっ!」
若き兵士は、木剣を中段に構えたまま、エニク王子へと突進する。
工夫も何も無い、刺突。
ごく単純でありながら、勢いに乗ってしまえば、対処の困難な一手であったが……。
――カアンッ!
……何をどうされたのか。
しかと握っていたはずの木剣が、宙へと弾き飛ばされた。
「甘い」
続いて、恐るべき早さで振るわれた相手の木剣が、自分の首元へと迫る。
それは、皮一枚のところでぴたりと止められる見事な寸止めであったが……。
「は……ああ……」
そこから巻き起こる剣風は、若き兵士に死を知覚させたのであった。
もし、王子が止めなければ……。
例え刃のない木剣であろうと、この首を叩き落とせたに違いない。
「まあ、精進することだ」
ぽん……と、王子がこちらの肩を叩く。
すでに、若き兵士の膝は笑っており、これ以上の立ち合いは不可能であった。
--
「少し、いじめ過ぎたか?」
練兵場の端へ設けられた長椅子に腰かけながら、エニクがそうこぼす。
「なんの、なんの……。
皆、気が引き締まったことでしょう」
隣に座るのは、好々爺という他にない人物である。
体は、枯れ木のように痩せ細っており……。
歩行の補助としているのか、杖をついている。
旅立つ前には装着していなかった眼鏡をかけているのは、視力が衰えたためだろうか?
「それで、どうだ?
ザノスの目から見て、おれの剣は?」
エニクは、隣の老人……。
王家剣術指南役ザノスに、そう問いかけた。
「どう……と、言われましても。
自分より、遥か高みに至った者の評論をするほど、恥知らずではないつもりです」
父王と並び、己へ剣術を叩き込んだ師匠が、そう言って苦笑いする。
その言葉が、エニクにはかえって嬉しかった。
「お前にそう言ってもらえて、誇らしく思う。
何しろ、旅の性質が性質だ。
土産らしきものは、何一つ持ち帰っていないのでな」
「それは、何よりの土産ですな。
悪霊たる神々にまで通じた貴方様の剣……。
我が剣が、その骨子となれたわけですから」
それを聞いて、はてと首を傾げる。
「おれが旅の目的……。
お前には、話していなかったと思うが?」
「当時の状況が状況ですから、殿下を知る者には容易く想像がつきます。
それに、昨晩、お父君からも自慢されましたしね」
「父上め。
それは、おれが自分で話したかった手柄話だ」
「はっはっは……」
そのまま……。
しばし、練兵へ励む戦士たちの姿を眺めた。
若き日のエニクを知る年輩者たちはともかく、若者らが当初、エニクに抱いていた感情といえば、侮りか……あるいは、軽蔑である。
彼らにとっては、放蕩の限りを尽くし、親族の死に目にも帰ってこなかったうつけ者であるのだから、それも当然だろう。
だが、今、時折エニクへ向けられる視線には、純粋な尊敬の念が宿っていた。
見せつけた圧倒的な実力と剣技は、確かに、戦士らの心を射抜いたのである。
「そういえば……」
ザノスが、ふと思いついたように口を開く。
「どうですかな?
婚約者殿とは、上手くやられてますか?」
「どう、と、言われてもな……」
師の言葉に、どう答えたものか迷う。
「あまり、会話などをしていない。
会食をせねばならぬゆえ、食事なども別だな」
「では、ご寝所は?」
「別に決まっている。
まだ婚約だぞ」
思わぬところから発されたやや下品な問いかけに、眉をしかめた。
「ははっ……」
ザノスはといえば、そんな自分を見て、面白そうに笑うばかりである。
「剣を扱うようには、いきませぬか?」
「まあ、相手は親子ほども年の離れた娘だ。
どう扱ったものか、分からぬのはその通りだ」
「とはいえ、兎にも角にも、ご婚約されたのです」
眼鏡を持ち上げながら、ザノスがこちらの顔を見上げた。
「血を残すためという、身も蓋もない事情ではありますがな……。
かといって、先に立ち合ったあの若者のように、まごまごとしているばかりでは、始まりませぬぞ」
「ううむ……」
そう言われては、返す言葉もない。
「ひとまず、今夜の食事は後宮で取ってみるか」
「それがよいでしょう」
かくして。
師に促された弟子は、予定の変更を決めたのである。
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