夜会への誘い
婚約者たる第四王子エニクと顔合わせしてから、三日……。
その間、リーナがしてきたことといえば、これは、顔合わせの一言に尽きるであろう。
リーナの生まれたフロレント辺境伯家は、その名通り、王国の南部……国の中心地から離れた一帯を統治する家系である。
何しろ、広大かつ
しかも、領土の端は、他国との国境線でもあった。
これを任せるに当たって、王家が辺境伯家に与えた権限は、当然ながら極めて強大なものである。
言わば……小さな王。
通常の貴族家とは一線を画した存在――それが、辺境伯という地位なのだ。
が、いかに裁量が大きかろうと、財政が豊かであろうと、地方の田舎領主であるという点は何も変わらない。
中央部の……それこそ
それを……埋める。
これこそ、父オルトから、暗黙の了解でリーナに授けられた使命であった。
第一王位継承者の婚約者という、最高の箔を得た状態で王都に住まうのだ。
可能な限り多くの貴族家と顔を繋ぎ、とりわけ、有用な者とは近付いておくことが、リーナには求められている。
貴族社会というのは、生き馬の目を抜く世界……。
特に今は、王国貴族たちの勢力図が、目まぐるしく変化していることを、遠き辺境伯領からでも見て取ることができていた。
原因は、言うまでもない。
王家一族たちの死である。
貴族社会の勢力図……その根幹を成すは、王家を除いて他にない。
王位を継承する者は当然として……。
その他の王族も、当然ながら
そう、存在していた、だ。
頭である王族が亡くなった以上、それら勢力は分解を引き起こしてしまっていた。
その上で、ともかくも抜けた穴を埋めるべく、国王ローハイム十六世は各役職に適切と思える大貴族を指名したのだから、これはもう大混乱が巻き起こる。
国の一大事であり、ちゃちな権力争いに目を向けている場合ではない。
国王の人事は、良くも悪くも実力主義的なものであり、本来ならば、三番手か四番手の立ち位置にいた者たちの名も散見されたようだ。
こうなると、貴族たちも思うところがあった。
王家に不満を抱き、やや距離を置こうと考える者……。
新しく台頭した者へ、早速にも取り入ろうとする者……。
表向きは一致団結して王家を支えると唱えつつも、内情では、実に様々な反応を見せているのである。
この流れに、フロレント辺境伯家も乗り遅れるわけにはいかない。
生家の役に立つべく、リーナのすべきことが、顔繋ぎであった。
激動の世で、父がどのような選択をするかは、分からない。
しかそながら、何をするにしても、足場を固めるための材料が必要不可欠であり、リーナがしているのは、それを集めることなのである。
だから、今日、ハロネク公爵家の茶会へ招かれたのも、そういった活動の一環なのだった。
「どうでしょう?
リーナ様が王都へいらしてから、もう三日……。
こちらでの暮らしには、慣れまして?」
自分より、二つか三つは年上のご令嬢……。
カレル・ハロネクが、カップをソーサーにおいてそう尋ねてくる。
このような定型句を受けて、淀みのあるリーナではない。
「まだまだ、様々なことへ戸惑っています。
例えば、このお茶……。
辺境伯領においては、香草を用いたものが一般的なのですが、こちらでは茶葉を使い、ミルクなどを混ぜますから……」
リーナが言った通り……。
カップの中に存在する茶は、故郷のそれと全く異なるものだ。
王国北部は山岳地帯であり、そこから産出される清らかな水は、茶葉を育てるのにまこと適しているのだという。
そこで育てられた茶が、この地へと流入しているのだ。
産出地と反対方向にある辺境伯領では、高級品である。
そのため、あちらでは生育が容易な香草による茶を主体としていた。
「お口に合いませんか?」
「いえ、とても美味しく頂いています。
ただ、何事にも違いがあり、これを我が物とするには、幾ばくかの時間がかかるとは思います」
食べ物の違いとは、代表的なもの。
習慣や服飾など、辺境伯領とここ王都では、様々なところの差異がある。
そこをすり合わせ、王都の貴族に……ひいては、王家の嫁として相応しくなる。
これもまた、リーナに課せられた喫緊の使命であった。
「正直ですこと」
カレル嬢が、上品な笑みを浮かべる。
そこに、田舎娘を馬鹿にする意図はなく、言葉通り、リーナの正直さを好ましく思っているのが感じられた。
「色々と勝手が違うこともあると思いますが、何かお困りのことがあった時は、是非、力にならせて下さいましね」
「ええ、その時は、頼りにさせて頂きます」
これは、一種の儀式めいた社交辞令だ。
こうすることにより、次の機会というものを生み出しているのである。
貴族同士の付き合いというものは、うんざりするほど細かな接近を繰り返し、その上で、旨味をすくい取る作業であった。
「そういえば……」
そこで、ふと思いついたように、カレル嬢が話題を変える。
「第四王子殿下とは、上手くいっていらして?」
これも、聞かれて当然の質問。
答えは、用意してあった。
「エニク殿下は、まだ王都へ帰還したばかりでご多忙の身……。
婚約という形にはなっていますが、まだまだ、あまり接点はありません」
額面通りに受け取れば、上手くいってないとも取れる言葉。
これも正直に告げたのは、少し考えればすぐに分かることだからである。
「殿下は、様々な要職の方とお話をせねばなりませぬし、亡くなられたご一族に墓参りなども、予定されています。
今は、わたしごときにかまけている場合ではないのかと……」
帰還して以来……。
第四王子エニクの多忙ぶりは、リーナごときのそれとは比べ物にならないようであった。
それまで、放蕩の限りを尽くしてきた末の王子が、にわかに国を継ごうというのだ。
そこには、実に様々なすり合わせというものが必要となる。
特に、
多くは父王から受け継ぐことになるとはいえ、犬や猫のような簡単に譲渡のきくものではないのである。
「まあ、それは仕方ないとはいえ、お寂しいこと。
そういうことでしたら、夜なども予定が空いていらして?」
「そうですね。
わたしが今、すべきことといえば、様々な勉強くらいですから」
「でしたら」
カレル嬢が、両手をぽんと叩いた。
「実は、明日の夜、当家で夜会を開きますの。
急な話ですが、リーナ様も、よろしければご参加されてはいかがでしょうか?」
渡りに船とは、まさにこのこと。
リーナとしては、多くの……しかも、自分の年齢では通常会いにくい人物らと顔を繋げる夜会は、絶好の機会である。
「まあ……何と嬉しいお誘いなのでしょう」
だから、二つ返事で承諾したのであった。
「当日は、お迎えの馬車を王城に遣わしますわ。
ご承諾頂き、感謝致します。
きっと、他の参加者も喜ぶことでしょう」
そう言うカレル嬢の顔は、いかにも善良な……。
損得勘定と駆け引きが感じられる、貴族令嬢のそれだったのである。
そこに更なる裏を見い出せるほど、リーナはすれていなかった。
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