第四王子エニク

「驚かせてしまったな?

 最初、そのようなつもりはなかったのだが……。

 身の上を聞いて、少しばかりいたずら心が湧いてしまったのだ。

 まあ、おれはそのような男ということ……。

 どうか、許されよ」


 穏やかな笑みを浮かべて告げるエニクとは真逆に、リーナの方は混乱するばかりである。


「いえ、そんな……。

 わたしたちの方こそ、御身が何者であるかも知らず、大変な失礼を……」


 どうにか、そのようなことを口にするのが精一杯であった。

 何しろ、侍女であるアンナは、エニクのことを称して無頼漢呼ばわりしているし、自分もそのことを咎めたり、たしなめたりはしていない。

 王家の……それも、これから嫁ごうという相手に対して、あまりに不敬であったという他ないだろう。


「失礼……?

 おれの記憶には、そのような振る舞いをされた覚えがない。

 むしろ、単なる戦士として旅した括りが、なかなか賑やかなものとなり、嬉しく思っているぞ」


「何じゃ?

 お主たち、知り合っておったのか?」


 口を挟んだのは国王ローハイム十六世であり、エニクはそれに短く首肯する。


「まあ、その話は後程。

 ちと、気になることもありますゆえ……。

 それより、今は皆への挨拶を済ませるとしましょう」


「ふうむ、勿体ぶりよるのう……。

 まあ、よい。

 帰還したお前にとって、最初の仕事だ。

 堂々と、やり切ってみ見せよ」


「はっ……!」


 頷いたエニクが、皆を睥睨する。

 その様は、まさしく――王者。

 髪や髭を整え、正装したことにより、薄汚れた旅姿ですら隠しきれていなかった輝きが、露わとなっているのだ。


「皆の者!

 長らくの放蕩により、随分と心配をかけさせてしまった!」


 朗々たる声もまた、人の上に立とうとするならば、必要不可欠な資質。

 エニクがそれを遺憾なく発揮すると、玉座の間に集った人々はぴしりと背を正す。


「この国が陥っている窮状……。

 そして、兄上たちやその子供たちに起こった不幸の数々……。

 おれも、既に聞き及んでいる。

 また、そのような時に国を空けていたこと、後程、兄上たちの墓前にて謝罪してくる次第だ」


 エニクは、人々の顔を一人一人、ゆっくりと見回しながら告げた。

 その後、厳かにこう宣言する。


「今、この時より、おれは第一王位継承者として、粉骨砕身していく所存である!

 各地を流浪していた身ゆえ、色々と至らぬところもあるだろう。

 ここへ集った皆には、よく力となってもらいたい。

 それから――」


 そこで、ちらりとエニクがこちらを見た。

 そのまま、リーナの眼前まで歩むと……。

 ゆっくりとしゃがみ、手を差し出してきたのである。


「リーナ。

 よいかな?」


「は……はい」


 差し出された手を掴み、立ち上がった。

 そのまま、エニクの傍らに立つと、彼は再び宣言したのだ。


「おれは、ここにいるリーナを妻として迎えることとなった。

 何しろ、王家の血が絶えつつある非常事態……。

 彼女の他にも、幾人か側室を貰い受けることとなるだろう。

 おれが妻にも、おれと同等の忠誠を期待したい」


 それで、帰還の挨拶と決意宣言は終わり……。

 玉座の間が、静謐に包まれる。


 ――ぱち。


 ――ぱち、ぱち。


 と、やがてまばらに拍手が巻き起こり……。

 ついにそれは膨れ上がると、玉座の間を満たしたのだ。


「うむ」


 隣に立つエニクは、それを満足そうに受け入れていた。




--




 王の寝室は、天井に国中の聖堂をモチーフとした彫刻が施されており……。

 これは、王が教会の下で眠ることを意味している。

 確かに、王というのは絶対的な権力者であるが、それを保証するのは教会であり、ひいては精霊神なのだ。

 この寝室からは、それを王たる身に刻み込もうという祖先の心遣いが感じられた。


「いや、はや……。

 長らく流浪の旅をしていると、このように豪奢な建築物の中は、落ち着かないものですな」


 帰還した息子……。

 エニクがそう言いながら、勝手にキャビネットの中を漁る。

 そうして取り出したのは、国王パーパ・ローハイムが秘蔵としているドワーフの火酒であった。


「エニクよ。

 生まれた場所に帰ってきて、開口一番がそれか?

 しかも、人の酒を勝手に取り出しよって」


「良いではありませぬか?

 この酒を飲むに足るだけの成果は、挙げてきたつもりです」


「ならば、聞くとしようか」


 パーパが促すと、エニクはグラスを二つ取り出す。

 そして、それぞれに酒を注ぎ込むと、片方をパーパに手渡したのである。


「まずは、兄上たちの鎮魂を祈って……」


 椅子を使い、差し向かいとなった息子が、そう言ってグラスを掲げた。

 ひょうひょうとしたところのある男だが、今ばかりは、極めて痛ましい顔である。

 おそらく、己を責めているに違いない。


「あやつらのことは、残念だった。

 それで、どうだ?

 大神官ゴーハは? 邪教団は?」


「ゴーハめは討ち取り、復活していた教団も再度壊滅させました。

 それだけではありません。

 あやつは死の間際、自らの命と引き換えに破壊神を呼び出しましたが……。

 交戦の末、打ち倒すことに成功しました」


「おおっ……!」


 待ち望んでいた吉報……。

 それを聞き、ようやく体に生気が戻ったのを感じた。

 思わず、グラスの酒を口にする。

 喉を通った熱い酒気が、体中へあっという間に回り、冷え切りつつあった体へ熱を入れてくれた。


「父上、もうお年なのですから、あまり無茶な飲み方をするものではありませぬよ?」


「年寄り扱いをしてくれるな。

 久しぶりに、酒を飲んで美味いと思えたところなのだ。

 お前の兄や、孫たちが死んで以来、な……」


 パーパの言葉に、エニクが沈痛な表情となる。


「そのことを思えば、悔やんでも悔やみ切れませぬ。

 おれが、もう少し早くあやつらの拠点を突き止め、打倒できていれば……。

 皆、死なずには済んだことでしょう」


「お前は、よくやってくれた。

 最善を尽くしてくれたと言えよう。

 もう、十七年にもなるか……。

 落ち延びたゴーハを討ち取るべしというわしの密命を帯び、王子という身分を捨て、各地を彷徨い続けたのだからな……」


 これこそは、秘中の秘。

 パーパの他には、呪い殺された兄王子たちしか知らぬエニクの真実であった。

 逃しておけば、必ず災いを及ぼすであろう大神官を打ち倒すため……。

 エニクは、これまでの半生を費やし、追撃へ当たっていたのである。


 身分を隠し、一介の戦士として行う旅は、どれほど過酷なものであっただろうか……。

 また、その道中、邪教団が放ってきた刺客や魔物との戦いも、熾烈を極めたに違いない。


 今のエニクは、旅立った当時とは――別人。

 人間的にも分厚くなり、剣技も身体能力も桁外れの向上を果たしていることが、パーパには察知できた。

 だからこそ、顕現した破壊神を打倒したという話も、すんなりと飲み込むことができたのだ。

 今のこやつならば、決して不可能なことではあるまい。


「お前の兄たちや、他の一族も、決してお前を悪くは言うまい……。

 その上で、言おう。

 問題は、これからだ」


 息子の成長を嬉しく思いつつも、あえて厳しい顔となる。


「一族のほとんどが死に絶えたことで、今、民たちの心は王家から急速に離れつつある。

 邪教団壊滅という大仕事を果たしたばかりだが、お前には、国を立て直すため懸命に働いて欲しい」


「それで、嫁ですか?」


 自らもグラスを傾けたエニクが、そう言ってこちらの顔を覗き込む。


「当然のことだ。

 お前自身も言っていたように、側室も取ってもらうぞ。

 ともかく、一族の数を増やさねばならん。

 血を残すことは、まつりごとに並ぶ使命と思ってもらうぞ」


「ある程度、種馬のごとき扱いとなるのは覚悟していました。

 いましたが……しかし、あのお嬢さんは、いくらなんでも若すぎる……いや、幼過ぎるのでは?」


「何だ? 幼妻は嫌いか?」


「程度があります」


 問いかけると、エニクが渋い顔となった。

 だが、これは国王として、決して譲れぬ線である。


「国内の有力貴族と結び付きを強めるは、この危急における必然。

 諦めて、良い夫婦となることだ」


「……まあ、努力はしてみます」


 ちびりと火酒を舐める息子の姿を見て、そういえば、聞きたいことがあったのを思い出した。


「そういえば、お前……。

 リーナとは、既に顔見知りだったようだが?」


「ああ……。

 実は、ちょっとした事件がありまして。

 そのことについても、父上へ相談したいのです」


 それから……。

 エニクが話したのは、街道へ出現した魔物からリーナを救ったなどという、単純なものではない。

 もっと、奥深い危機についての話……。

 この国そのものへ潜む病根についてのものだったのである。

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