邪教団

「何だか、道を行く人たちの顔が、暗いように見えるわね」


 青き戦士と別れた後……。

 目抜き通りを行く馬車の車窓から景観を眺めていたリーナは、すぐにそのことへと気付いた。

 道の両脇に立ち並ぶ商店などを見れば、別段、景気が悪いわけではないと分かる。

 むしろ、店舗の数も種類も、辺境伯領のそれとは比べ物にならないほどのもので、自分が田舎出身の娘であることを、否が応でも思い知らされたものだ。


 膨大な数の店舗には、やはり膨大な数の客がおり、食料品はもとより、その他様々な日用品なども盛んに取引されていた。

 と、なれば、当然感じられてしかるべきなのが、活気というものである。


 何しろ、売る方は本懐である儲けを得て、買う方は必要としていた品を手に入れ……時には、長い年月をかけて貯め込んだ蓄えを吐き出しているのだ。

 そこには、生き生きとした人々の姿があってしかるべきであろう。

 それが、ここには……ない。


 辺境伯領はおろか、道中に立ち寄ったいかなる都市でも及ばぬ大商圏……。

 それほどの場所で、明らかに普段通り金と物が動いていながら、人間の感情というものが抜け落ちて感じられるのだった。

 この異常事態へ首を傾げるリーナに答えを示したのは、向かいの席に座る侍女アンナである。


「やはり、王家一族のことごとくが亡くなられた件について、民も不安に思っているのでしょう」


 アンナに言われて、ようやくこの空気へ覚えがあることに気づく。

 これは――喪中だ。

 今、王都では、そこに暮らす無数の民たちが、一斉に喪へと服しているのだ。


 だから――暗い顔をしている。

 自分たちの明日を照らすべき王家が、今まさにその血を絶やしつつあるのだから、なるほど、浮かれて売り買いなどできる気分ではないに違いない。


「本当に、どういうことなのでしょう?

 王家一族の方々のみがかかる、病というのは……」


 故郷であるフロレント辺境伯領は、遠い。

 距離を隔てれば、それだけ旅人などが運んでくる情報も、欠落してしまうものだ。

 故に、リーナたちが知っている情報は断片的なものになるのだが、それによれば――。


「国王陛下を除く王家の方々が、ことごとく高熱に苦しみ、息を引き取った……。

 薬師が処方する薬も、僧侶による奇跡も、一切が効果を発揮しなかったそうです。

 奇妙なのは、病のようでありながら、余人に一切移らなかったこと……。

 例えば、第一王子から第三王子までの奥方は、誰も同じ症状にならなかった。

 看病に当たった者たちもまた、同様です。

 王子たちのお子様方は、同様の症状で亡くなられたにも関わらず……」


 そこまで語ったアンナが、さも恐ろしげに自分の肩を抱き締めた。


「噂では、これは王家への呪いなのではないかと……」


「呪い?

 そんな話は、初めて聞きますが?」


 尋ねると、アンナがはっとした顔になる。


「い、いえ……。

 今のは、戯言です。

 どうか、お忘れ頂ければ……」


「アンナ?」


 もう一度聞くと、侍女が観念した様子となった。


「これは、先日立ち寄った町の宿で聞いた噂話……。

 確証のない話であると、ご理解した上でお聞き下さい」


「わたしを、無駄に不安がらせまいとしてくれたのですね?

 聞きましょう」


 促すと、アンナが溜め息混じりに語り始める。


「お嬢様が、お生まれになる以前のことです。

 当時、新たに立ち上げられた宗教の集団がありました」


「新たな宗教? 精霊神様を信奉するわけではないのですか?」


 リーナの言葉に、アンナが真顔となって答えた。


「全く異なるものです。

 彼らが信奉するのは破壊神であり、その教義が目指すのは、世界の終末なのですから」


「世界の終末……!」


 初めて聞く話に、思わず声を上ずらせる。

 そのようなものを信じ、崇める人間がいたというのは、リーナにとって想像できないことであった。


「彼ら邪教団の教義では、世界が一度、破壊神の手によって作り変えられた後、教義に従った者たちが、新たな世界――理想郷へと転生するのだそうです」


「馬鹿馬鹿しいとしか思えません。

 そのような教えを、信じる者たちがいたのですか?」


「それが、いたのです。

 しかも――多数」


 リーナの言葉に、アンナが顔を曇らせる。


「私も、当時はまだ三歳の子供に過ぎませんでしたから、あまりはっきりとは覚えていません。

 ですが、当時は不作が重なり、人々の心も不安定であったのは確かです。

 そのような状況でしたから、邪教の教えも、思いがけず広まったのでしょう」


 アンナが三歳ということは、十七年は昔の話ということだ。

 リーナも、自分が生まれるより前に、不作の年があったという話は聞いている。

 それが、民の心を揺るがしたということか……。


「王家はこれを、徹底的に弾圧しました。

 話によれば、当時はまだ王都にいた第四王子殿下が先頭に立ち、これを指揮していたそうです。

 結果、邪教団は滅ぼされた……。

 ただ、首魁たる大神官の首までは取れず、逃げられたのだと伝わっています」


「まさか、その大神官とやらが、今になって王家を呪ったというのですか?」


「考えられない話では、ないのです」


 幼かったなりに当時を知るアンナの顔は、真剣そのものだ。


「かの大神官は、破壊神のもたらす様々な神秘の力を、自在に操ったと聞きます。

 それが、野に隠れ力を蓄え、今再び教団を復活させようとしている……。

 その第一手が、王家を呪うことだとすれば、整合性があるのです」


「なら、国王陛下が健在なのはどうしてです?

 このような言い方をするものではありませんが、陛下さえ健在であれば、国を立て直すことは可能です」


「復讐かと。

 陣頭に立ったのは第四王子殿下ですが、教団を滅ぼすと宣言したのは陛下ですから。

 あえて、残すことで苦しみを与えようとした……。

 あるいは、単純に呪いの効果を跳ねのけられたのかもしれません」


 噂としては、あまりに恐ろしい話……。

 しかも、アンナの様子を見れば、一笑に付すこともかなわない信憑性がある。

 馬車の中が、重たい空気に包まれた。


「もし、それが本当だとしても……」


 だが、リーナは決然と口を開く。


「国王陛下の他に、第四王子殿下もまた生き延びられています。

 そして、わたしが嫁ぎ、お支えする……。

 王家が屈することは、ありません」


「お嬢様……ご立派です」


 御者台から声が響いたのは、そんな時であった。


「お嬢様……間もなく、王城へ到着します」


 気がつけば、これも巨大なローハイムの王城が間近となっており……。

 新たな花嫁を乗せた馬車は、その中へと飲み込まれていったのである。

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