王都

 そこから王都までの短い旅路は、順調そのものであった。

 あの魔物が襲撃してきた際、逃げ出してしまった騎士たちの馬を集め、再び街道を行く……。

 馬を集め直すのも、倒した魔物から毛皮などを剥ぎ取るのも、戦士は全て手慣れたものであり、これにはリーナはおろか、意識を戻した隊長も感心していたものだ。


 その後の道中、騎乗した騎士たちと共に前を歩く無名の戦士は、彼らから随分と質問攻めにあっていたようである。

 馬車の客席にいても、それらの会話は漏れ聞こえた。


 例えば、出身地はどこなのか……。

 それほど見事な剣を、どうやって手に入れたのか……。

 あの魔物について知っているようだったが、一体、あれはどのような魔物であるのか……。

 そのようなことを騎士たちは尋ね、戦士はそれに一つ一つ答えたものである。


 出身は、ここ――ローハイム王国。

 若き日に戦士の道を志し、腕を磨くため各地を旅して回ったそうだ。


 剣は、そうして旅を重ねた先で、たまたま出会った鍛冶師から貰い受けたらしい。

 何と、伝説として聞くオリハルコンを素材としているようで、実際に剣を触らせてもらったらしい騎士たちは、うっとりとした声で賛辞を述べていた。


 魔物――火の輪グマというらしいあの魔物については、戦士の方も困惑しているようである。

 何でも、彼の話によれば、本来なら遥か遠方の火山地帯に少数が生息している魔物であり……。

 縄張り争いなどの結果、生くる場を奪われたのだとしても、ここローハイムの地にまでやって来ることはないはずなのだそうだ。


 ――それは何とも奇妙な。


 ――お嬢様をお城にお届けした後は、王都の騎士団に協力を仰ぎ、詳しく調査しなければ。


 戦士の話を聞いた騎士たちが、力強くそう言い放つ。

 リーナの護衛を任されるだけのことはあり、三人は辺境伯家の騎士団でもそれと知られた実力者である。

 それが、成す術もなく敗れ、戦士が通りかからなければ、預かり物であるリーナを守り切れなかった……。

 危機意識を抱くのは当然であり、戦士は彼らに、その意気だと励ましていたのであった。


 それにしても、街道の様子は、あの窮地が嘘だったのではないかと思えるくらい穏やかなものであり……。

 魔物が出現することもなく、順調に旅は進む。

 王都が目前の距離までくると、行き交う旅人や商人たちの数が増えてきて、戦士は時折彼らに話しかけては、強力な魔物が出たので注意するよう促したのである。

 そして、いよいよ旅の終着点――王都へと辿り着いた。


「すごい……話には聞いていましたが、これ程までに巨大な城壁を築くだなんて……!」


 はしたなさは承知の上で窓を開け、眼の前にそびえる城壁を見やる。

 これを、壁などという言葉で形容していいのか、どうか……。

 王都を取り囲む外壁は、それ程までに長大で分厚く、高かった。

 このようなものが、人の力で生み出せてしまった事実に、感動すら覚えてしまうのである。


「さて、完成するまでには、どれほどの年月が必要となったのだったか……。

 人夫として徴収された者の数も、百や千ではきくまい」


 いつの間にか馬車の隣へ来ていた戦士が、そう言って城壁を指差した。


「幼い頃、おれがこの城壁を見上げて思ったのは、王家の威光ではない」


「では、何を思ったのですか?」


 今まさに、ローハイム王家の権威を強く感じていたリーナは、不思議な思いでそう尋ねる。

 それに戦士は、こう答えのだ。


「人々が抱く、魔物への恐怖心だ」


「恐怖心……」


「もっとも、外敵とは魔物に限ったものではないが、な」


 戦士が、外壁のさらに上――頭上の大空を見上げながら、語り出す。


「壁、というものの役割は、ひとえに安住の地を守ることにある。

 この強固な城壁を造り上げたのは、それだけのものがなければ、安心して内側に住めなかったからだ。

 あるいは、これだけのものがなければ、まつりごとの中心地を守り切れないと考えたのだろうな。

 それは、何もこの国に限った話ではない。

 各地を旅して回ったが、都市の魔物対策というものは、実に様々だった」


 その脳裏によぎっているのは、武者修行の過程で訪れた様々な国であり、都市であるのだろう。


「最も一般的なところでは、大なり小なり、このような囲いで覆うことだった。

 中には、住民の全てが戦士としての教育を受けていた国もあったし、噂に名高い魔法都市では、昼夜を問わず結界が街を守っていたな」


 そこで、戦士が視線を城壁に戻す。

 どうも、その目が射抜いているのは壁ではなく、その内側……。

 王都を睥睨するという王城ではないかと、リーナには思ってならなかった。


「つまるところ、貴き者に期待される役割というのは、守護者であるということだな。

 外敵の脅威のみならず、飢えや犯罪など、様々なことから民を守らなければならない。

 呼び戻されたという第四王子殿下も、きっと、そのことを心に刻み込んでおられることだろう」


「なら、わたしもよくよくそのことを理解して、補佐に努めなければいけませんね」


 リーナがそう言うと、戦士は微笑を浮かべてみせる。


「是非、その意気で臨まれることだ。

 そうすれば、きっとこの王国は豊かな国となることだろう」


 それだけを言い残し、戦士が再び馬車の前を歩き始めた。


「何と申しましょうか……。

 無頼漢扱いしておいてなんですが、不思議な気品と教養を感じさせる方です。

 普通、流れ者というものは、もっと色んなところがやさぐれていて、とてもではありませんが、お嬢様との会話など許容できないものなのですが……」


 向かい合わせの席から会話を聞いていた侍女アンナが、感心したようにそうつぶやく。


「きっと、旅先で良い出会いや経験に恵まれたのでしょう。

 だからこそ、あれだけの剣技を身に着けるに至ったのです」


 そこまで言って、ふと疑問に思う。


「あのお人柄と実力を思えば、士官の引く手あまただったと思いますが、どうして流浪の戦士として旅をされているのでしょう?」


「そうですね……。

 求道者というものは、お金や地位に興味がないことも多いですし、あるいはそういった性質の方なのかもしれません。

 もしくは……」


「もしくは?」


 推測を述べるアンナに、続きを促す。


「漏れ聞こえた会話を思えば、出身はこのローハイム王国。

 鍛え抜いた腕を祖国の役に立てるべく、帰郷してきたということは考えられないでしょうか?」


 アンナが言いづらそうにしていたのは、盗み聞きというはしたない行為を恥じてのことだろう。

 そのことは咎めず、リーナは椅子に体重を預けた。


「もし、そうなら……。

 それは、とても心強いことです。

 わたしが住まうことになる街で、あのような心強い方が暮らすことになりますから……」


 それで、会話を終え……。

 しばらく無言のまま、車窓から流れる景色を眺める。

 大城門をくぐり抜けた先は、驚くべきことに、農地や放牧地が広がっており、先に戦士が述べた言葉へ実感というものを持たせてくれた。


 おそらく、ここで働く農民というものは、この国で最も安心して仕事ができているに違いない。

 また、分厚い城門の内側へ食料生産地を抱え込むことで、単純な防御力のみならず、いざという時の継戦能力をも高めているのだ。


 そういった牧歌的な光景を抜けた先では、いよいよ都市としての王都が姿を現す。

 その景観たるや、壮観なり。

 地面には石畳が隙間なく敷き詰められ、馬車などでの通行を容易いものとしており……。

 やはり石造りの建物群は、いずれも堅牢な造りをしていて、生半可な地震などでは崩れそうもなかった。


 積み上げられた石によって構成された街……。

 それが、ここ、ローハイム王国の王都なのだ。


「では、ここでお別れさせて頂くことにしよう。

 リーナ嬢も、その他の皆様方も、どうか達者でな」


 ここまで一行を送り届けた戦士が、不意にそう言って振り返る。

 ただでさえ世話になっており、これ以上引き止めることなどできようはずもなく……。

 リーナたちは、しばし道の傍らに立ち止まり、別れを済ませることとなった。


「本当に、何とお礼を言ったらいいのか……。

 もし、何か困ったことがあったら、王城をお訪ね下さい。

 嫁いだばかりの身で、何ができるかは分かりませんが、可能な限り力にならせて頂きます」


 わざわざ、馬車を降りて告げる別れの言葉……。

 これは、リーナの身分を思えば、破格の行為である。

 実際に命を救われ、道中、様々な話に興じた騎士たちも、下馬した状態で別れを惜しんだ。


「その時は、遠慮なく頼らせてもらおう。

 ――では」


 それだけ言い残し、名乗ることもしなかった戦士が、人混みの中へとかき消えていく。


「何て、気持ちの良いお人なのでしょう……」


 草原に吹く一陣の風がごときだった男の背を、リーナたちはしばらく見送り続けたのであった。

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