恒星教団月間活動報告書
☆パーフェクトサイエンティスト&オールマイティヒーロー☆
時計の音が正確に時を刻む。研究室の机上に置かれている、腕時計よりも少し大きなそれは、時間を確認するための道具ではない。時計というものは、どんなことが起ころうとも1秒ごとにカチ、カチと鳴る。その完璧で健気な音を聴くのが好きで、私は自作の時計を常に持ち歩いているのだ。
「あと10秒……」
私が時間の確認に時計を用いることはない。なぜならば、私はどんな時計よりも完璧に――いや、私が開発した宇宙で最も正確で頑丈で健気なこの時計と完全に同様に――時刻を知覚できるからである。
生まれつき持っていた完全無欠の時間感覚と冠前絶後の天才頭脳。2つの先天的能力が、この私、セント・ヘブンズウォーズを「定規座」たらしめている。
ピッタリと10秒が経った瞬間、横の装置から錠剤がひとつ排出される。私はそれをすぐさま指で摘むと、檻の中の実験用ラットに放り投げる。機械の正確さでラットの口に錠剤が吸い込まれると、それは一瞬驚いたような仕草をした後に……激しく七色に発光し始めた。
「はああああああ!? 何故なのです!?」
「おっ、夜遅いのに頑張ってるねえ、セントちゃん」
思い通りにならない実験結果と共に、これまた思い通りにならない来客が現れた。
エリナ・ディアード。恒星教団治安維持部隊所属であり、ヘルクレス座の星座入りであり、この私に毎日過干渉を行うふざけた女だ。
「お腹空いてない?コンビニのお寿司食べる?」
「……生魚は好きじゃないのです」
「そっかぁ、おいしいけどなあ」
そう言ってエリナは持っていたビニール袋からコンビニ寿司を取り出すと、マグロの寿司を自前のフォークを使って口に運ぶ。こいつは私の研究室にご飯を食べにきたのか?と少しイラッとした私は、彼女の痛いところを突くことにした。
「エリナ、先月締切の恒星教団月間活動報告書は持ってきたのです?」
「……あー、まあ7割、いや8割は書けたから明日こそ提出出来そう!」
そう言ってヒラヒラと1枚の紙を見せつけるエリナ。記入されているのは多く見積もっても5割だ。
「来週には今月の報告書の提出があるのですよ?今月も期限を過ぎることは確定なのです」
やだー!と大声を出しながら首を振るエリナ。それに合わせて揺れる橙色の髪の毛が視界に鬱陶しい。聴覚のみならず視覚でも五月蠅さを感じるなんて、このポンコツ以外で起こり得るだろうか?
そんな思考が、ケージの中でバタバタと暴れるラットとエリナの質問で中断される。
「ところでセントちゃん、その、すごく目にうるさいネズミさんは一体……?」
「うるせーのです! 今回の実験目的は夜桜荘がセントより先に成功させやがった錠剤の服用による即時の星座能力発現試験が主であってそれは成功したのです! カメレオン座の能力デザインはオプティカルカモフラージュ部分はとっくのとうに完成していてそれを生物が任意で発動するための調整はついでにちょっと試してみただけでセントは失敗してないのです!」
「うん」
これだから凡人は! 私はイライラを落ち着かせるために時計の音を聴こうとする。机の上の時計に手を伸ばそうとしたのと同時に、何かがひん曲がるような軋んだ音がした。
音の鳴った方向へと反射的に目が動く。視界の端で、凶暴化したラットが檻を破って私に飛び掛かる様を捉える。何が起きたかは理解したのに、恐怖と動揺が身体に命令する電気信号の伝達の邪魔をする。つまり、私は固まっていた。
「危ない!」
エリナの声が聞こえたかと思うと、ラットは姿を消した。続いて、ドン!という大きな音と共に何かが机に強く叩きつけられた。
恐る恐るそちらに目をやると、胴体の横から鉛筆3本が、それと直角を成すかのように背から腹にかけて30cm定規2本がラットを貫通していた。2本の定規は尋常ならざる腕力によって机に突き立てられていて、絶命したラットの悪趣味な墓標のようだった。
「あ……ネズミさん……」
「エリナっ、ありがとうなのです。エリナが迅速に対処していなかったらセントのボディに傷が付いていたのですよ。だからっ……」
エリナは悪くない。そこまではっきりと明言するか、それともそれは過度な慰めでむしろ彼女の心を傷付けることになるかと迷って、私は言葉に詰まった。
そのうち、彼女は無理やりに作った笑顔をこちらに向けた。
「うん。ありがとうセントちゃん。鉛筆と定規汚しちゃってごめん。私は……ネズミさんのお墓を作ってくるね」
エリナはラットから鉛筆と定規をゆっくりと引き抜いてから、体液が垂れないようにラットを自分の着ていた上着で包んだ。小さく「ごめんね」と呟くと、研究室の外へと駆け出していった。
「エリナ……」
私の頭脳をもってしても、星素には未解明で制御不能で不確定な部分が多い。ただの実験用ラットがケージを破壊する力を手に入れることも、想定は可能だったはずだ。だが、私がそれを怠ったことで、無用に友達を悲しませてしまった。
「……なんて、今更何を言ってるのです」
机上に溢れた血液をティッシュで拭き取りながら、私は自嘲する。エリナにヘルクレス座の
エリナの先天性能力……いや、星素が全く関わらない事象であるそれは、ただ単に才能と呼ぶべきだろう。とにかく、彼女の才能は「殺害」にあった。
5年ほど前、エリナの家に強盗が入った。世に出回りたての星素で強化した刃物は、いとも簡単に彼女の母親を殺害し、父親にも重傷を負わせた。彼女もそうなるはずだった。
だが、教団の治安維持部隊が現場に駆け付けると、死んでいるのは強盗の方だった。エリナは、母親の側に座り込んで静かに泣いていたらしい。
10代前半の少女が、痩せぎみとはいえ成人男性を数本の割り箸で殺害したことに対して、教団は興味を持った。様々な試験や観察の結果、エリナは戦闘の際にその異常なる才を見せると結論づけられた。
幸か不幸か、彼女は高いレベルの星素適合者であったため、
私が私のパパであるイオン・ヘブンズウォーズから承ったヘルクレス座の能力デザインは、最もオーソドックスな能力である身体能力強化と……
トランス状態に入った彼女は、無抵抗の人間を殺すことすら厭わない。普通の人間より遥かに強くなって、その力で他の命を破壊することに躊躇がなくなる。脳のリミッターが外れて、相手が死ぬまで止まらない。
意識があるときに実験用ラットを殺しても気に病んでしまうエリナ。今よりも遥かに幼かった私は、心優しい彼女がヘルクレス座になる意味を、全く理解していなかった。
……彼女が置いていったコンビニ寿司の隣の、恒星教団月間活動報告書を見る。「横断歩道を渡ろうとしてるおばあちゃんを助けた!」「新しく教団員になった人に施設の案内をした!」と、可愛らしい字で書かれている。
彼女がこれに記入し終わったら、私がチェックを行い、それから最後に私がデータを参照して書き加えるものがある。それは、エリナは記憶していない記録。
非星素適合者殺害数。先月は382人だった。
恒星教団がいずれ星素に適合した人間しか生き残れない世界を目指していることを知っているのは、十二星座とほんの一部の例外だけ。エリナは、知らない側の人間だ。
教団は反教団を掲げる団体に対して、治安維持の名目でエリナを送り込んでいた。暴徒鎮圧の前後、薬でトランス状態となっている彼女に記憶はない。
これは、エリナが背負うべき罪じゃない。カチ、カチ、カチ。時計の音が遠くで聞こえるような気がする。
「……セントちゃんセントちゃん、なんか鳴ってるよ!」
いつの間にやら私の研究室に戻ってきていたエリナが、私の携帯端末を指さす。その目は、やや赤みを帯びていた。ラットの墓を作るときに泣いていたのだろう。
「……この地域での犯罪者現行犯逮捕の通告なのです」
「逮捕ってことは、生きたまま無力化したんだ。星素が使えないなんて理由で殺しちゃう教団員も多いのに偉いね、その人は」
私は、エリナの目を見れなかった。目の前の端末から情報を得ることに集中するふりをする。
「蝿座だから夜桜荘地域の奴なのです。ちょうどよかった、あいつらに聞きたいことがあったのです」
「夜桜荘!? さっくんが最近通ってるところだ! 私も行っていい?」
好きにすればいいのです。私はぶっきらぼうに答える。私は輸送用ドローンを用意しながらぼやく。
「剣川朔月が通ってる時点でまともな場所じゃなさそうなのです」
「え〜、そうかなあ? さっくんもお姉さんも良い人じゃん」
「朔月はともかく満月の方はマジで言ってるのです!?」
にこにこと笑うエリナを見て、私は呆れる。まあいい。独りだと色々と考えてしまいそうな夜だ。やかましい奴が隣にいるくらいがいい塩梅なのかもしれない。
「じゃあ出発するのです、エリナ」
「うん! お寿司も食べ終わったし準備OKだよ、セントちゃん!」
私たちは研究室を出て、信号が発せられた場所へと向かう。今夜は冷えると私の完璧な頭脳は言っていたのだが、道中は不思議なことに、あまり寒さを感じなかった。
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