第二章20 『光』

「こっちよ『暗夜』! 私が、必ずこの夜を明かしてみせる!」


 高らかに宣言した声の主――青い光の救世主の姿は、紛れも無くヒカリだった。


「あいつバカか!? 何でこっちに来た!? ミズカとメイは!?」


「止まるなアサヒ! 『暗夜』はすぐそこまで来て――」


 レイの言葉を遮ったのは、邪な覇気――『暗夜』の黒き巨体だった。

 しかし、その邪気は彼らの真横を通り過ぎ、青い光が放たれている方向へ一目散に突進した。


「な、何で俺たちを無視して……」


 唐突に訪れた安堵にアサヒの膝が崩れ落ちる。乱れた呼吸を元に戻そうと、身体中の空気を何度も循環させる。

 同時にレイも地に足を着き、『暗夜』が彼らに与えた猶予の謎を考察する。

 そして、青い光が遠ざかる様を見つめ、レイは一つの結論に辿り着いた。


「……因縁ってことか……」


 嘗てレイとメイの父親が作ったそのライトはグアンへと引き継がれ、そして今はグアンからヒカリと継承した。

 しかし、先代は皆『暗夜』の魔の手が及んでいる。

 つまるところ、あの青い光は『暗夜』にとって標的の良い目印なのだ。


「ヒカリのお陰で何とか助かったけど……少しまずいことになった……」


「ハァッ……ハァッ……! まずいことって……ハァッ……何だよ……!? お前よりもあいつの方が足は速いだろ……?」


 走り去るヒカリを、レイはその眼で追う。

 すぐに『暗夜』の黒い背中が覆い隠し視認不可能になったが、それはまだ安心できる範囲だった。


「きっとヒカリは、メイから僕らの状況を聞いて助けに来た筈だ。『暗夜』の標的を移し替えることもできたし、十分な活躍ではあるんだが……」


 レイの頭から、どうしてもその嫌な予感が離れない。

 それは、アサヒと共に『暗夜』に追われていた時も感じていた違和感――些細だが、同時に重要でもある違和感。


「『暗夜』は転移する時、必ず僕らの少し前方に現れていた。だからこそ予測しやすく、街の出口までは来れた。でもきっと、転移は闇の中なら好きな場所にできる……」


「お、おい……それって……!」


 アサヒの額から、大粒の汗が滴る。

 「ああ」と一言、冷静なトーンで、反対の気持ちを抱えながらレイは返す。


「もし僕らが手加減されていたのだとしたら、わざわざ標的を変えた相手にまで同じハンデは課さない。……『暗夜』はきっと、本気でヒカリを殺すつもりだ」


* * * * * * * * * * * * *


「……手……繋ぐの」


「……えっ……!?」


「か、勘違いするななの! 暗くて何も見えないから、メイがそばにいてやるって言ってるの!」


「……そ、そっか……うん、わかった……」


 そっと握ったメイの手は冷たく、小刻みに震えている。

 明白な本音隠しではあるが、少女を思っての行動であることも事実だろう。

 レイのような眼も光源も無い今、二人はその繋がれている手でしか互いを認識できない。

 手を繋ぐという何気ない行動で、大きな安心感を得られる筈だった。

 しかし、到来する凶報は配慮などしない――


「……っ!? ヒカリが危ないかもしれないって……言ってるの……!」


「……ヒカリちゃんが……!?」


 慌てて周囲を見渡す。

 辛うじて発見した、遠くに光る青い


「……行かなきゃ……!」


「メイも行くの!」


 繋いだ手を強く握り、星を目掛けて早足で歩く。

 星の光が周囲の木々を照らし、道を示している。

 近づけば近づく程、星の揺れは明確になる。


「……ヒカリちゃん――っ!!」


 乱れた息のまま叫び、喉が一瞬にして枯れる。

 でも、それを気にかけてなどいられない。


「……ミズ……カ……っ!」


 求めていた声が聞こえた。

 しかし、呻吟するような微かな声だった。

 その声が、少女の困憊した脚を更に動かす原動力となる。

 走る。走る。少女の知る限界さえ超えた全力で、何度も踏み込む。

 そして、青い星だったそれが、例のライトの青い光へと変わる。


「……っ!? メイちゃん止まって……!」


「……崖……なの……?」


 気づくのがあと一歩遅ければ、今頃転落していただろう。

 しかし、決して断崖絶壁という程ではない。なぜならばその崖下に『暗夜』が聳え立っているのがからだ。


「……ミズカ……ごめん。私……失敗しちゃった……」


 『暗夜』の巨大な右手に、ヒカリが握られていた。

 ヒカリの声から、その剛力度合いが間接的にに伝わってくる。


「ミズカ! 助けられないの……!?」


「……助けたい……っ! ……でも、あれじゃヒカリちゃんも巻き込んじゃう……!」


 どうすればいい。どうすればいい。

 確実にヒカリを助けられる方法はどこにある。

 呼吸がすさむ。視界が歪む。耳が鳴る。

 いつの間にか膝が崩れ落ちている。偶然掴んだ雑草は、まるで少女の涙を求めるように、皮肉にも真上へ伸びている。


「――カ……! しっ――するの……!」


 悔しい。今目の前に自分よりも苦しんでいる人間がいるのに、それでも立ち上がることができない。

 ヤコウの時と同じだ。いくら覚悟を決めたところで、自分が無力なことには変わりない。

 解っている。このまま行動しなければ、ヒカリの命は絶えてしまう。ならば最悪を選んででも、本来の目標を果たすことが合理的なことだって、解っているのだ。

 それでもできない。どれだけ理屈が正しくても、それが実行できるほど自分は強い人間じゃない!


「いい加減にするのっ!」


 少女の背後から小さな腕が回り込み、瞬時に鼻と口を塞ぐ。

 体格の割に強い力で押さえつけられ、少女の荒い呼吸の停止を強制される。

 しかし器用なもので、最低限の気道は確保されている。

 少女はすぐに理解した。過呼吸により冷静さを欠いた自分を宥めるためだと。


「――おい、ミズカ! そこにいるんだろっ!?」


 崖下からよく響く、力強い声。長時間走った後でもこの声量が出せるのは流石なものだ。


「前にも言ったよなぁ! 『ヒカリを助けてやれんのは、』って! もう忘れたのかよっ!?」


 そんなのは綺麗事だ。実際、アサヒはヤコウの魔の手からヒカリを助けたのだから。

 アサヒは情に厚い。故に、それ程ヒーロー気質なのは、どちらかと言えばやはりアサヒの方だ。


「それからこれも言ったぜ! 『どんな理由があったってお前は、ヒカリを悲しませるような真似はしねえ』ってなぁ!」


 そんなの当然だ。だってヒカリは自分の……


「もう大丈夫だよ、アサヒ。そんなに言わなくたって、ミズカは既に気づいている筈だ」


 レイの声はこの状況下でも落ち着いていた。

 たとえレイでも焦る時はある。それなのにどうしてそこまで冷静でいられるの? ヒカリの命なんてどうでも良いの?


「ヒカリがそんなに大切なら、ヒカリを失望させるような真似はするななの! さっさと立ち上がるの!」


 違う。この三人は、ヒカリの身を顧みていないわけじゃない。

 想像してすらいないんだ。がヒカリを殺してしまう未来を。

 レイの言う通りだ。確かには気づいている……


「……ミズカ――!」


 再びヒカリの声を聞いた時、自分でも立ち上がっていたことに気づかなかった。


 ――私は……ヒカリちゃんと離れるのが……嫌っ!


 あの時誓った。

 ヒカリを護ると、分でめた――


「……メイちゃん……ナイフ貸して……!」


 『貸して』などとは名ばかりに、メイの胸元から強引にナイフを抜き取る。

 標的は崖下――簡単に辿り着ける。


 少女は振り絞った力を足先に込め、躊躇無く飛び出した。

 これしきの自由落下に怖気付いてなどいられない。既に覚悟ナイフは、首筋に添えている。


 もう目は背けない。

 忌避し続けてきた自分の中の呪い。

 死を拒み、死を生みだす黒い『』。

 今だけでもいい。の大切な人を護るために、力を貸して――!


「――絶対……助ける……っ!!」


 少女は首筋の引き鉄を引いた。

 ほんの一瞬、熱を帯びたと錯覚するが、それは当然幻。


 死の決意と引き換えに、が今、顕現する――

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