第二章19 『黎明』

「くそっ……もっと早く走れよ……俺っ!」


 十数分間、分の悪い鬼ごっこは続いていた。

 逃走者は一名で、見つかってからのスタート。ハンデに少年一人分の重荷。

 一方鬼側には、巨体による大きな一歩と、無制限の転移能力が備わっている。

 冷静に考えて、勝てる見込みなど無い。


「……アサヒ、僕を降ろせ! 森まではもう遠くない。僕も走れる!」


「テキトー喋ってんじゃねえっ! 地面が石だ。まだ街を抜けてねえんだろ? お前の足じゃ、精々街を出てからじゃねえと追いつかれる!」


 珍しく勘の良いアサヒに、レイは言い返す言葉を見失う。

 しかし、アサヒがとうに限界を迎えているのも事実であり、息が大きく乱れている。


「それにな……限界ってのは……超えるモンなんだよ……っ! 普段何もできねえ俺が、唯一お前らに貢献できる状況なんだ……! 森に着くまで、この足はぜってえ止めねえっ!」


「……そうか……十分大した奴だよ……お前は……」


 アサヒは荒い息で宣言するも、足取りはどうしても覚束無い。

 気持ちばかりが先行し、『暗夜』との距離は縮まる一方だった。


「やべえな……もうすぐそこまで、でっけえ足音聞こえてんじゃねえか……!」


「死ぬ気で走るか僕を降ろすか選べ! 共倒れなんて中途半端な結末はお断りだ。……同じ轍を踏む気は無いからね……って――」


 レイの視界にふと映り込んだに、瞳が吸い込まれる。

 しかしすぐに意識を裏返し、アサヒにもその事実を伝える。


「アサヒ……あれ、見て……!」


「……今度は何だ!? ……っておいおい……マジかよ……!」


* * * * * * * * * * * * *


「護身用のナイフなの。お兄ちゃんから預かったの」


「そんなもん急に突き出さないでよ!? 狂気よ!? あっ……だし、……どう?」


「…………ふふっ……」


「あっ! ミズカ今笑ったよね!? ねっ!?」


 呑気な光景だった。

 宛ら女子会の雰囲気だが、話題は『森の中だけど危なくないの?』という物騒なものである。

 微笑ましい光景ではある。しかし、自信に満ちたヒカリに殺伐とした視線を送り、メイは護身用のナイフを握り締めている。

 そんな最中だった。


「――お兄ちゃんが危ないの!」


「ひゃあっ!? 突然おっきな声出さないでよ〜……って、ええっ!? 危ないってどういうこと!?」


「……『暗夜』の行動に惑わされてるの。森に誘導するのが難しいらしいの……!」


 ヒカリとメイは純粋に焦りを浮かべる。

 彼らがしくじった場合、計画は全て水の泡になるため――というよりは、彼らの身の安全そのものを心配しているのだろう。


「……どうにかなりそう……?」


「わからないの……でもお兄ちゃんは、かなり追い詰められてるの……!」


「そんな……っ!」


 ヒカリは悔しそうにメイを見つめるも、それは解決の糸口を生まない。

 互いに考えを巡らせる三人。下手に動けば、却って悪い方向へ物事が進みかねない、と誰もが思っただろう。

 ――たった一人を除いて。


「私が行くっ!」


 一心不乱な眼差しが、悩み果てていた少女とメイを貫いていた。


「メイはレイの情報共有、ミズカは切り札。この状況で動けるのは私だけ、そうでしょ?」


「何言ってるの! 危険なの! 今はまだお兄ちゃんの指示を待つの!」


「――私はもう、大切な人を失いたくないっ!」


 心の底から飛び出たその言葉に、メイは圧倒された。

 ヒカリは街の方向を見つめ、立ち上がる。


「何か起こってからじゃ遅いでしょ。大丈夫、真っ直ぐ行って戻ってくるだけ。それくらいはさせて……私にも」


 メイは顔を曇らせたまま、ヒカリを引き留める言葉を抑えている。

 それを察してか、ヒカリは返事を待たずに歩き出した。


「……待って、ヒカリちゃん……!」


 少女はヒカリの背後でそっと手を握った。

 ヒカリが覚悟を決めたことは、彼女の足取りから、声から、少女が握った彼女の掌から十分伝わってくる。

 だからこそ、慰留すべきではない。それは少女が一番理解している。


「……持っていって……!」


「……っ!? そんな、ダメだよミズカ!」


 少女が手渡したのは、青い光を放つライトだった。

 『深夜』における唯一の光源。それを託すという意味を、少女は当然軽んじるわけではない。

 ただ信じる。少女を最も信頼してくれているを、少女もまた信じている。

 本気の意志は、眼差しで伝える。ヒカリが最初に示したやり方だ。


「――さっさと持っていくの!」


 ヒカリの戸惑いを、メイが横から強引に握らせた。

 絶対に手放すことのないよう、力強く。


「……絶対……帰ってきて……!」


 三人の視線が同時に交わる。

 ヒカリの覚悟も、その重いバトンを以て完成した。

 迷いの無い頷きを最後に、ヒカリは森を抜けていく。


「すご……全然怖くない。三度目の『深夜』だし、もう慣れたってことかな。……それとも、この光があるから……?」


 恐怖よりも、興奮が勝る。

 震えるより先に、脚が動く。

 その理由は、至って単純だった。


「そっか……私もう……独りじゃないんだ」


 孤児だった私は、もうどこにもいない。

 パパ、ママ、アサヒ、レイ、メイ――ミズカ、皆がいたから、今の私がいる。

 この青い光は、皆が託してくれた想い。

 応えないわけにはいかない!


 ――青い光が照らす先に、希望が見える。


「アサヒ……あれ……見て……!」


「……今度は何だ!? ……っておいおい……マジかよ……!」


 二人の声……やっと聞こえた……!

 アサヒ息切らしすぎだし、レイも動揺しすぎで、全然らしくないな〜。

 ……でも、もう大丈夫!


 青い光は、憔悴したアサヒとレイ――そして、その奥の赫い単眼の怪物を照らす。


「こっちよ『暗夜』! 私が、必ずこの夜を明かしてみせる!」

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