第二章18 『朝日』

 ――まず始めに、アサヒの足と僕の眼で『暗夜』を街の外まで引き離す。


「……にしても……マジで何も見えねえじゃんか……。正直、お前が居てもビビっちまうな……」


「当然だよ。でも安心してほしい。僕には全部。僕の指示通りに走ってくれれば、必ず『暗夜』を誘導できる」


 『深夜』に覆われたアサヒの視界は闇だけを捉え、選ばれた瞳を持つレイの声だけを頼りにしていた。

 アサヒがレイを背負い、レイの持つ灯火のようなランプで、最低限の目の前だけ照らす。

 『暗夜』のルートは既に頭に叩き込まれている。残された行程は、その怪物があらわれた時、全速力で走り出すだけ。


「ああ。……頼りにしてるぜ、天才少年ッ!」


 ――次に、三人が近くの森で待機して、僕たちが『暗夜』を連れてくるのを待つ。


「いや〜、このライトが近くにあれば『深夜』でも怖くなくて助かる〜! ちょっと眩しすぎるのが難点だけど……」


「……でも、アサヒくん……本当に大丈夫なのかな。……レイくんがついてるけど……それでも本人は暗闇の中を走るわけだし……」


 奇しくも男女で別離したもう片方は、さながら焚き火を囲った野営のようだった。

 互いに目の前が視認できる状況ではあるが、されど場所は森の中、自然と不安は付き纏っていた。


「大丈夫じゃなくてもライトを渡すわけにはいかないの。最終的に『暗夜』と対峙するのがミズカな以上は、アサヒに我慢してもらうしかないの」


「そうそう。何よりアサヒあいつは、人を疑うことを知らない大バカだから。絶対大丈夫よっ!」


 ヒカリが少女の腕を組み、隣で笑顔を見せつける。

 緊張していない筈などないのに、それでもヒカリは少女を励ましてくれる。


「……うん……そうだね。……ヒカリちゃんもそばに居てくれるし……ちょっと安心した。……ありがとう」


 少女が微笑んで礼を言うと、ヒカリは少し意外そうな顔をしてそっぽを向いた。


「……ミズカ……私が男じゃなくてホント良かったね……」


「……どういうこと……?」


 一連の流れをメイが忌避するような目で見ていたことにすら、少女は気づいていないのだった……


* * * * * * * * * * * * *


「……来るよ……アサヒ」


「大丈夫だ、覚悟はとっくに決まってらぁ。俺たちがしくじっちまったら何も始まらねえ。指示は頼むぞ、レイ!」


 音はしない。見えもしない。

 しかし、確かに近づいているあの存在――『暗夜』の気配がじりじりと皮膚を炙る。

 身の毛がよだつ、不快で不可解な存在。それが今、眼前にあらわれる――!


「今だっ……走れっ!!」


 耳が鳴るような本気の合図と共に、アサヒは大きな一歩で地を駆ける。

 赫き単眼は獲物を発見すると、それよりも巨大な一歩で後を追う。


「俺はまだまだ……こんなもんじゃねえぞ……っ!」


 歩数が増加するにつれて、アサヒの脚は加速し続ける。

 少年一人分の重荷など、アサヒにとって日々のトレーニングよりも軽い。

 気づけば『暗夜』との距離は、走り始めよりも広がっていた。


「よし、このままいけば……」


 レイはそう口に出してから、自身の言葉が浅はかだったことに気づいた。

 相手は『深夜』の生還者を何としても許さない、人智を超えた怪物。その肩書きを持ち合わせていながら、全力で走るだけで撒けるというのは、どうにも納得し難い話である。

 そして、警戒を常に怠らなかったその特殊な眼は捉える。

 ――に立ち塞がる『暗夜』の姿を。


「――っ!? 戻ってアサヒっ!!」


「はあっ!? ……いや、オーケーだ!」


 火花さえ散りそうな急ブレーキに、靴裏がすり減る。返した踵の反動で、ひび割れた石タイルが欠ける。

 レイの咄嗟の指示を、アサヒは一切疑わなかった。


「考えが甘かった……! 『暗夜』は決まった時間に決まった道を通る。でもそれは、あくまで時の話だ。ミズカとヒカリの背後に突然出現したという例外を、僕は聞いていたのに……!」


 レイは拳を強く握り締めた。

 しかし、そこに溜まった自分への怒りを発散することもままならず、渋い顔で静かに拳を解く。


「僕の責任だ……もう少し綿密に計画を立てていれば、こんなことには……!」


「――思い詰めてるとこわりいけど、それって何の問題があんだよ?」


「何の問題って……! もうプラン通りにはいかないんだぞ!? このまま無闇に走り続けたって、いつかは捕まる!」


 再度走り出した方向に、まだ怪物の姿は無い。

 しかし、目標の三人が待つ森からは徐々に遠ざかるばかり。

 このまま走り続けようにも、必ず限界が訪れる。


「――だったら今すぐ練り直せっ!」


 アサヒの叫びが、闇の中に響き渡った。


「できんだろ、お前なら!? あんだけ地図に矢印書いといて、通る道は一つしか考えてねえなんて言わせねえぞ!? お前と違って、俺にはその『暗夜』は全く見えてねえんだ! お前が頼りにならなくてどうする!?」


「……そうか……僕は……」


 先の見えない暗闇の中を、ただ一人の言うことをだけ信じて走る人間がいる。普通に考えれば『安全』のリミッターが外れた馬鹿だ。

 しかし、そんな馬鹿アサヒを導くことができるのは……

 この絶望的な状況を覆せるのは――


「僕が合図を出すまで、そのまま直進。その後は細かく左右を指示するから、聞き逃すなよ?」


「ハッ、言ってくれるぜ……! こっちは最初から、お前の声しか頼りにしてねえっ!」


「そりゃ都合がいい話だね。きっと長期戦になる。ペース配分、間違えるんじゃないぞ……!」


 危機的状況にも関わらず、二人は笑みを浮かべていた。

 全ては森で待つ三人にバトンを託すため、二人は『深夜』を奔走する――

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