第二章17 『決意』

 『暗夜』様が消えると、無限の夜は明ける。

 闇のみで構成される『深夜』も当然消え、太陽の照らす街が戻る。


 しかしそれは、絶対に起こり得てはならない。

 夜の明けないこの街だからこそ、護れる命があるのだ。

 夜を照らし続けさえすれば、悪人の突く隙など存在しなくなる。唯一目をつけるであろう『深夜』こそ、『暗夜』様が悪人を罰する機会なのだ。


 あの夫妻は良いことを教えてくれた。

 しかし、彼らと私とでは目的も価値観も違った。

 必要な犠牲だ。否、『暗夜』様の贄になることを、犠牲などと言い表してはならないな。

 彼らもまた、街の平和に貢献してくれたのだから。


「――自警団本部で見つけたヤコウの手記だよ。『暗夜』を殺せば、この街の夜は明ける。僕らはそれを実行するつもりだ」


 手渡された手記と共に、レイの想いの強さが掌へと伝わってくる。


「父さんと母さんが成し遂げられなかった悲願を叶える……僕がを持って生まれたのも、きっとそのためなんじゃないかって……」


「メイもお兄ちゃんと同じ気持ちなの」


 この兄妹の決意の強さは本物だと、その場の誰もが疑わなかった。


「もう言いたいことは分かってるだろうけど……それでも言わせてくれ。僕たちと一緒に、この夜を明かしてほしい――!」


 レイは唇を強く噛み締め、深々と頭を下げた。

 余りある誠意が込められたその態度に、三人は同時に衝撃を受ける。


「得体の知れない怪物に挑むんだ……危険なことに巻き込むのは承知の上だ……頼む……!」


「メイからもお願いなの……!」


 普段の二人からは想像もつかない姿だった。

 少女は含まないにしろ、ヒカリとアサヒに対してこの二人が下手したてに出ることなど未だかつてなかったのだから。


「おう、そうか。じゃあ何すりゃいいんだよっ?」


 厚い掌が兄妹の後頭部に乗り、そのままわしゃわしゃと掻き回す。

 二人が思わず顔を上げると、口角を上げたアサヒが映った。


「お前らの父ちゃんと母ちゃんが行方不明になったのは団長のせいだったみてえだしな。勝手にカタキ討っちまった俺が、断れるわけねえだろっての。……ま、それ抜きにしても、答えは変えねえけどな?」


「……そうか…………助かるよ。ありがとう、アサヒ」


 レイが素直に礼を伝えるのは珍しい。特にその対象がアサヒとなれば、余程その気持ちは本物なのだろう。


「感謝はしてるの。……でも、この手はさっさと離すの――!」


「ちょっ!? おま――ッ!!」


 しかし、やはりメイにはアサヒがどうにも気に食わなかったらしい。

 メイに手首を掴まれた直後、アサヒは情けない声と共に、兄妹の背後へと盛大に合気を食らっていた。

 その吹き飛び様は見事なもので、後に続いて名乗り出る者の席を空けたのだった。


「二人に頼まれなくたって、私は絶対に協力するっ! 私だって……パパのこと忘れたわけじゃないから……っ!」


 ヒカリも進んで前へと踏み込む。

 揺らぐことの無い、芯の詰まったその足先が次に向いたのは――


「ミズカ、どうする?」


 三人の視線と、彼らの背後で起き上がったアサヒの視線が、一斉に少女に重なる。


「……今言うのも憚られるけど、今回の作戦にはミズカ……君が必須なんだ」


「……私が……必須……?」


「見たよ、ヨサメさんの事件記録。話を聞いた時からもしかしたら……とは思っていたけど、予想以上だった。ミズカになら……いや、ミズカに、『暗夜』は殺せない……ッ!」


 レイの声は平静を保っている。

 しかし、血の走った瞳がその本気を示していた。

 レイは少女の内の存在を利用する気なのだ。悍ましくてならない、を。

 確かに少女にしか不可能な方法――だが同時に、少女が最も畏怖する方法だった。


「……私が……あれ……を……」


 今でも鮮明に思い出せる。いや、勝手に蘇ってくる。

 たった四度の経験は、漏れなく全て少女に絶望を与えた。

 迫り上がる吐瀉物を吐き出す余裕さえ無かったあの感覚。脳裏によぎるだけで、唇は震え、手足が凍る。


「――こーらっ! ま〜た思い詰めてる!」


 温かい。

 自然と落ち着くこの温かさの正体は、少女が一番よく知っている。


「ミズカは私を守ってくれたでしょっ!? 忘れたの〜?」


 ヒカリの柔らかな腕が少女を包んでいた。

 気づけば少女の唇も手足も元に戻っている。


 そうだ、は人を惨殺するだけの殺戮者じゃない……


「――私が……皆を護りたい……っ!」


 少女の見つめる先には三人がいる。

 そして、すぐそばに彼女がいる。


「……んふふっ……ありがとっ、ミズカ!」


 不意にヒカリが少女を抱き寄せ、子犬を愛撫するように頬擦りを始める。


「――公衆の面前でイチャつかないでほしいの。よろしくやるなら他所でやれなの」


 少女の戸惑いが、メイの鋭い言葉で加速する。

 ヒカリ自身もどうやら無意識だったようで、「どひゃあっ!?」と声を裏返すとすぐに後ずさった。

 ……少し頬が赤いのは、ヒカリの頬擦りのせいにすることにした。


「まあ……兎にも角にも、全員賛同してくれたわけだ。漸く本格的に作戦を練られる」


 レイは携えていた街の地図を目の前に広げた。

 既に無数の矢印が乱暴に書き込まれており、費やされた時間が嫌でも伝わってくる。


「すげぇな……何が何の何なんだ……? 理解すんのに一週間はかかりそうだぜ全く……」


「悪いけど、そんなに時間は掛けられない」


 アサヒの半冗談を、レイの真顔が一蹴する。

 そして、少女とヒカリにも改めて向き合って告げた。


「――作戦実行は、次の『深夜』だ」

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