第二章16 『取り戻すため』

「ミズカ! メイ! 大丈夫!?」


「……う、うん……!」


「一応は……なの……」


 どれだけ目を見開いても、瞼を閉じているかのような錯覚に陥る。手元に光源が無い限り、視覚はまるで仕事をしなかった。


「と、とにかく……安全な場所に……! えっと……アサヒ……いた……!」


「……それ……メイの手なの。あんなゴツい手と間違えないでほしいのっ!」


「えぇっ!?」


 偶然起こった暗闇の寸劇に笑いかけていられる程の余裕は今は無い。

 落ち着きを取り戻そうと深呼吸を繰り返すが、真の暗闇の恐ろしさはとても拭えたものではなかった。更には怪物の魔の手が迫っているのだと想像すると、呼吸は寧ろ荒くなるばかりである。


「ど、どうしよ……!? とりあえずどっか屋内……? で、でも見えないし……どうしたらいいのぉ!?」


「――待つの」


 動揺する二人とは反対に、メイの声は至って冷静だった。


「……ここで待つの。下手に移動しちゃ駄目なの」


「いやいやいや!? 確かに何にも見えないけど、このままここに居ちゃ危ないって……!」


 ヒカリは当然の反応を返すが、メイの言葉には確かな自信があった。

 メイのこの声の調子は、つい直前に似たものを聞いた。

 確かそう――ヤコウが来る時の……


「――お兄ちゃんが、来てくれたの」


 メイのその言葉と同時に、路地の奥でが煌めいた。

 三人のが反対へと伸び、逆光の中見えるシルエットに大きな安堵を覚える。


「急いで!! 早くこっち――!」


 レイの声が路地に響くと同時に、アサヒの左肩を担ぐ。右肩はヒカリが既に担っていた。青い光を正面に受け、「任せて」と眩しい笑顔が少女に向けられる。


 以前の『深夜』とは大きく違う。誰より信頼できる皆が側にいるという事実が、少女の足先に強固な力を込めていた――


* * * * * * * * * * * * *


「……んんっ……? ここ……図書館か……?」


「……あっ……み、みんな……! アサヒくん……起きたよ……!」


 傍らで包帯を握って正座をしていた少女と、血で汚れた包帯を運んでいる最中だったヒカリが、目覚めたアサヒの視界に映った。


「普段から体力を余してるくせに寝すぎだよ。傷だって少し深くはあったけど、命に別状は無いんだ。全く手間取らせて……」


「そんなこと言いつつ、誰よりも先に駆け寄って傷の状態を確認したのはお兄ちゃんだったの」


 遠くの円テーブルの上で、レイとメイが声だけをこちらへ届けた。地図を広げて何か作業をしていたらしいが、メイの余計な一言によりすぐさま滞ることとなった。


「……アサヒくん……その……ありがとう。……私たちを助けてくれて……」


「助ける……ああ、そっか……俺、ヤコウ団長を……」


 アサヒは自身の右手を握り、窓の外の闇を見つめた。

 アサヒらしくもない陰った表情を見るに、自分が倒れて以降の経緯を凡そ察したのだろう。


「……ははっ……実感湧かねえな」


 握った拳を開いては握るを繰り返し、アサヒは俯いた。

 人に死を至らしめるのは、少なくとも良い気分ではない。少女もそれはよく理解していた。


「でも、『助けた』……か。確かにそうしなきゃと思って、必死に団長の背中を追いかけてたけど……手にかけようだなんて、そん時は思えてなかったぜ?」


「……どういうこと……?」


「俺は団長をことしか考えてなかった。団長は多分、あの場でお前らを殺そうとは思ってなかったハズだ。俺が殺されずにいたのが、何よりの証拠だろ」


 落ち着いて状況を整理できる今となっては、アサヒの言葉は納得のいく話ではあった。


「……でもアサヒくん……『もうお前に人は殺させない』って……」


「――あれはお前に言ったんだ」


「…………えっ……? ……私に……?」


 アサヒの言葉の衝撃に、少女ははっとする。

 ヤコウに歯向かうどころか、小さくなって震えることしかできなかった少女が、アサヒにどのように映ったというのか。


「あん時一瞬だけ見えたお前の顔……『二人を助けるためなら手段は選ばない』って顔してたぜ? これ以上お前の重荷を増やすわけにはいかねえ、って思ったら……いつの間にか引き抜いちまってたんだ……」


 アサヒは包帯が巻かれた自身の腹部を軽くさすって言った。


「……私……そんな……」


 殺す気など無かった。すぐにそう断言するつもりが、喉が詰まった。

 思えば、メイと人質を交換してくれと頼んだ時から既に自分は……


「――起きてすぐにそんな暗い話すんなっ!」


 少女を見ていたアサヒの頬に、鋭い平手打ちが放たれた。


「いってぇ!? ヒカリお前っ! 怪我人は丁重に扱えよ!」


「私とミズカだって心に大きな傷負ってます〜!」


「どの態度で言ってんだよお前……!」


 間もなくして始まったヒカリとアサヒの喧嘩は旧態依然、以前と何も変わらぬ勢いだった。

 ヒカリが進んで破天荒な行動を取る時は、決まって少女が考えすぎている時の合図。


 ヒカリの厚意を無下にするわけにはいかない。

 少女は二人を助けたかった。

 それだけ。それだけでいいのだろう……


「――アサヒが起きたなら、さっさと本題に入っていいかな。時間もあんまり無いんだ」


 レイが鋭い瞳で睨むと、ヒカリとアサヒの喧嘩は中止され、二人は大人しく縮こまって正座した。

 少女もその隣に座り、レイとメイは三人と向かい合う。


「単刀直入に聞かせてもらうよ。三人は、と思う?」


「……はぁ? 太陽を……取り戻す……?」


 アサヒの疑問顔に、レイは少し呆れた表情で返す。


「四人がヤコウと対峙している間、僕は自警団本部を調べていた。ヤコウがいなかったのは好都合だったけど、床が一部血に塗れていたのは流石に危機感を覚えた。そのことをつもりだったけど、上手く立ち回れたのかな?」


「ちょっとだけ遅かったの! 危うくメイもヒカリも死んじゃうとこだったの!」


 怒るメイを、レイ以外の三人はきょとんとした顔で見つめていた。

 その顔に気づいたレイは、何やら額に冷や汗を浮かべていた。


「……も、もしかしてメイ……言ってなかったのか? お前がこと……」


「……の? 言わないと駄目だったの?」


 メイのこれまでの謎の言動に全て合点がいった。

 自警団を怪しいという考察、ヤコウの訪れ、レイによる救助――それら全て、レイの思考を元にしていた言葉だったのだ。


「メイってば……! 昔から口数少なすぎなのよ〜! もっとその可愛い声普段から聞かせなさいっての〜!」


 ヒカリはメイの頬をぐにぐにと揉み始めた。

 怒っている仕打ちの割合は……恐らく少ないだろう。


「まあ……もういいや。話が脱線しても困る。今度はもっと分かりやすく尋ねさせてもらう」


 レイは長いため息を吐き、再度全員と目を合わせて言い放った。


「『深夜』の怪物――名は『暗夜』」


 ――あれを覚悟はある?

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