第二章15 『夜行』

「――だから、自警団が怪しいの」


 メイから告げられた話は、理に適っているようで納得のし難い話だった。

 この兄妹の両親が『深夜』の怪物の存在を確認したならば、街の安全を努めている自警団にそれを相談していないわけがない。

 しかし、団員のアサヒだけでなく、自警団全体がその情報を有している風に見られない。

 この矛盾の原因が単なる憶測によるものであれば問題無いが、仮にそれが自警団側にあった場合、アサヒを交えての会話をすることでさえ危険な可能性がある。


「……いやまあ言いたいことはわかるけどさぁ。だからってこんな裏路地まで来る必要あった……? なんかオバケとか出ないよね、ここ……?」


 人目に付かない場所ではあるが、街灯の光もあまり届いていなければ、囁き声が響いて聞こえる程度には静まり返っている。ヒカリが少女の腕を離そうとしないのも無理はない。

 しかし、本来こういった推測を立てて語るのはレイの役回りのはずが、どうして寡黙なメイがそれを担っているのか、少女は些か疑問だった。


「……でも、それを伝えるだけなら……わざわざレイ君と別れる必要はなかったんじゃ……?」


「それはお兄ちゃんが……」


 言葉がそこで止まると同時に、メイの表情は一転し、何かを訴えかける眼差しを少女とヒカリに向けた。


「――今すぐ逃げるの! 危ないのっ!」


 メイが何に感づいたのかはまるで定かではない。しかし、その純粋な危険信号に嘘偽りが無いことは、その場の全員が理解していた。

 メイを先頭に、元来た道を辿る。そして、裏路地を抜ける瞬間だった。


「――何だ……兄の方は一緒じゃなかったか。こりゃ面倒な誤算だな……」


 メイの細い首を掴み、軽々と掲げて見せた高身の男――自警団団長のヤコウだった。


「ああ、そこのお前たちも下手なことをするなよ。少しでも動けばこの娘の首を折る」


 メイは両拳でヤコウの右肩を攻撃するも、まるで怯む様子が無い。それどころか、反撃の度に絞首に力が入り、メイの拳を握る力が失われていった。


「な、なんで……ここに……!? メイの話は本当だったの……!?」


「昔ここを根城にしていた犯罪者がいてな。図書館の近くで秘密の相談をするならばここしかない。しかし、やはりこの兄妹から話は聞いているのか。親子揃って勘のいいことだな……」


 全てお見通しだ、と言わんばかりにヤコウは三人に嘲笑を浮かべ、少女とヒカリの方へ距離を詰めていく。


「……わ、私が……人質になります……! ……だから、メイちゃんを――」


「黙れ。自分でもわかっているだろう? 俺がお前を警戒しないわけがない」


 図星だった。よりにもよって、相手は自警団の団長であり、少女の起こした事件を知る数少ない人間の一人なのだ。

 犠牲になるのが少女自身でない以上、最悪の手段を選ぶことができない。

 メイを死なせるなど、言語道断である。


「この街の為、『暗夜』様の存在を公にするわけにはいかなくてな。答えろ。こいつの兄は今どこにいる。答えなければ――」


 ヤコウは余っていた左手でヒカリの頭頂部を鷲掴みにし、少女を見開いた眼で覗き込んだ。


「この娘の命も無い。猶予はこの瞬間だけだと思え」


 ヒカリは瞳を潤ませ、唇を震わせていた。

 この男は、多種多様な犯罪者を知っている。それ故に、誰よりも狡猾な手口を理解しているのだ。


 憎い。己自身の力だけでは何もできない自分が憎い。

 所詮は非力な存在なのだと思い詰める度に、未だに立っていられる自分の脚を折りたくなる。

 レイの居場所は何となくしか知らない。仮に呼べたとしても、きっと人質が増えるだけ。いや、集まった瞬間皆殺しにされるかもしれない。


「どうした。答えられないのか?」


「……許して……ください……」


 どうしようもない。

 今この場に、この男を抑えられる人間はいない。

 許しを乞う。それだけが、少女に残された唯一の選択肢だった。


「……話にならんな。全く……面倒続きで嫌になる……!」


 ヤコウの左手の筋肉に急激に力が込められ、同時にヒカリが激しい頭痛に喚き叫んだ

 ヒカリが咄嗟に腕を掴んで反抗するも、その直後にメイの嗄声が大きくなる。


「……お願いっ、やめて……! 二人をこれ以上苦しめないでっ!」


 少女の切実な願いは、当然受け入れられることはなかった。

 下手にヤコウに抵抗すれば、二人への拷問がより激化するかもしれない。そう考えただけで、少女の脚の震えは止むことを忘れていく。


 ……やめて、やめて、やめて、やめて、やめてやめてやめてやめてやめてやめて……!


 ……やめろ。


「――もうお前に……人は殺させねえよ……!」


 少女が我を失いかけたその瞬間、ヤコウの胸部――その心臓を、小さな銀の刃が貫通していた。

 血液の循環を管理する器官を欠いたためか、その出血量では尋常ではなく、刃の先端から、根から、そしてヤコウの口から際限なく溢れ出る。


「……その傷で……ここまで……。どうやら俺は……お前を見くびっていたらしい……な……」


 ヤコウが瞬く間に倒れ伏せ、同時にヒカリとメイもその手中から解放される。

 そして、ヤコウの背後から現れたのは、腹部が血に染まったアサヒだった。


「大丈夫か……お前……ら……」


 アサヒは笑いかけるも、即座に膝を着き表情を崩した。

 少女が先に、遅れてヒカリとメイも、呼吸を整えつつ駆け寄った。

 どうやら自身に刺さっていたナイフをそのまま用いたために、出血が悪化していた様子だった。


「……アサヒくん……!」


「わ、悪ぃ……ちょっとばかし無理しすぎたみてえだ……けど……無事で良かった……」


 そう言い残して、アサヒは意識を失った。

 とても浅いが、呼吸はしている。決して死んだわけではない。

 三人は同時に顔を見合わせ、険しい顔を緩ませた。

 だが……


「――『深夜』が……来る……!」


 安堵が訪れたのも束の間、倒れていたヤコウの乾いた笑い声が背後から響いた。

 その一言は、単にヤコウのしぶとさを示しただけでなく、三人に恐ろしい事実を告げた。

 付近に時刻を確認できる物は無い。しかし、ヤコウの言葉は嘘ではない。三人が同時に感じていた、背筋を凍らせる悪寒が、何よりの証拠だった。


「――『暗夜』様が……来るッ!!」


 心臓を失った瀕死の人間の声量とは思えない程強い叫びが路地裏に響くと、瞬く間に視界が黒く染っていく。

 時刻を確認せずとも解る。一度はその身で体感した、あの奇々怪々とした空気……


 ――それは、『深夜』の訪れを意味していた。

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