第二章12 『あなたしかいない』

「……はっ……? ……殺……した?」


 アサヒの反応を一々確認している時間は無い。

 一度吐露してしまえば、それ以降を話すのは簡単だった。


「……ヒカリちゃんが……きっとまだ家で泣いてる。……今励ましてあげられるのは……


 自分で話していても、無責任だと感じる。

 しかし、そうする他無い。ヒカリは自分を憎んでいるのだから。


「……わっけわかんねえ――!」


 アサヒの厚い掌が、少女の華奢な肩を掴んだ。


「……励ましてあげられるのは俺しかいない? ミズカも面白い冗談言うようになったじゃねえか。言っとくけどよ、俺はアイツのこと何も知らねえ!」


 アサヒの怒声が街中に響いた。

 彼が根の熱い人物であったことは知っていたが、これ程怒鳴る姿は未だ見たことはなかった。


「お前のことだってまだ何にも知らねえんだ! でも、んな俺でもわかる。ミズカは何の理由も無く……いや、どんな理由があったって、アイツを……ヒカリを悲しませるようなことはしねえ! 俺でさえ知ってることを、アイツが知らねえわけねえだろ!?」


 彼の声量が大きいせいだろうか。

 どうしてこんなに耳が、頭が――心が痛むのだ。

 どうして彼の手を振り払おうとさえ思えないのだ。


「もしお前が本当にヨサメさんを手にかけたんだとしても、それはアイツを一人にしていい理由にはならねえ! バカな俺でも気づいてる当然のことを教えてやる! アイツを助けてあげられんのは……!」


 ――大切な人を失った時は……誰かがそばに居てあげないとダメなんだ。


 レイがどうしてこの言葉を少女の目を見て言ったのか、たった今はっきりと理解した。


 ――私しか……いない……!


 少女自身が気づく前に、少女は踵を返し、走っていた。

 自分が不要な存在だと、ずっと信じて止まなかった。

 必要な存在でないと発覚した時、傷つくのが怖かったから。

 でも今はもう違う。そんな事実あり得ない。

 アサヒよりも、誰よりも……


 ――彼女ヒカリのことは、私がよく知ってるんだ。


「ヒカリちゃん……!」


 去ってから数分も経っていない。あの悍ましい光景は何も変わっていない。

 しかし、それを悔やむ必要も、正当化する必要も無い。

 私はそれを、一生背負って生きていくと決めた。


「……な、何で……何で戻って来たの!? 来ないでっ! いなくなってよっ!」


 再会したヒカリは、右手に母親の持っていた包丁を携えていた。

 少女を見るなり、その凶器をこちらに向けてくる。

 しかし、熟考する必要はまるで無い。

 少女はらしくもない大きな歩幅で、容赦無く距離を詰めていく。


「来ないでって言ってるでしょ!? ……この……人殺しっ!」


 近くに行けば行く程明確になる。ヒカリは手も声も震わせている。

 解っている。ヒカリも辛いのだ。

 一時的とは言え、ヒカリをここまで不安定にさせてしまった自分の罪は重い。

 この行動が正解かどうかは解らない。でもきっと、優しくて大雑把な彼女ならば、私のどんな答えにだって花丸をくれるはずだ――


「………………えっ……?」


 ヒカリの持っていた包丁が、手から抜け落ちる。

 ことが、相応に予想外だったのだろう。


「……嫌」


「……な、何して……るの……」


「――私は……ヒカリちゃんと離れるのが……嫌っ!」


 少女も知らない強い声が、少女の心の底から叫び出た。


「……嫌なことには嫌って言う……ヒカリちゃんが言ったんだよ……?」


 ヒカリの荒い吐息が振動し、少女の肩が濡れていく。

 万が一でも突き放されたら……などという思考は、やはり徒労だったようだ。

 ヒカリが震える手にことが、何よりの証拠だった。


「……他人のために生きるの、嫌いなんじゃなかったの……? ……私を庇おうとしたりなんかしちゃって……」


「――るっさいバカぁ……! だって……ミズカのために生きるのは……嫌じゃないんだもんっ!」


 ヒカリの涙声は、予想通り幼児のようだった。

 抱き返す力も強くなり、とても離れられそうにない。

 望んでもないことだ。少女とて、離れる気は無い。


「……ミズカ……ごめん。私……頭がめちゃくちゃになっちゃって……あんな酷いこと言っちゃった。ミズカは私を……ママから庇ってくれたのに……」


「……ううん……そうなって当然だよ。……私こそ……ヒカリちゃんに……隠し事してた。……ヒカリちゃんの本当の気持ちに……すぐに気づいてあげられなかった……」


「うん……私が許すまで、絶対離れちゃダメだから」


 ヒカリはすっかり泣き止んだが、拗ねた幼児であることには変わりなかった。

 子供を慰めるのだから、当の本人以外が泣いてはいけないだろう。そう思って……堪えていたのに……


「……ちょっと……! 何でミズカまで……っ!」


 少女の安心は許容量を超え、ヒカリと違って静かに溢れていた。

 しかし、数秒後にはその背後で噴水のような涙がまた流れ出していた。

 互いの肩を、互いの想いで染めていく。そうして、今一度理解した。


「……ヒカリちゃん……私には……」


 ――

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