第二章10 『見出す希望』

「……ねえ……ママ……!」


「……嘘よ……嘘に決まってるわ……!」


 ヨサメは酷く絶望した顔を浮かべ、テーブルに肘をつき、頭を強く押さえている。その手は小刻みに震えていた。

 その原因は、彼女の傍らに置いてある大きなライト――『深夜』が明け、街灯が外を照らし始めてすぐに探索に出た時に拾った、唯一グアンが遺していた物だった。


グアンあの人はまだ生きてる……絶対に生きてる!」


「私だってそう信じたい……! 後でまた探しに行く! でもその前に……教えてよ! 『深夜』見たあれ……何なの……?」


「……ヨサメ……さん……」


 あの後、結局『深夜』のうちに帰宅することはその性質上叶わず、十数分ではあったものの、闇中あちこちを逃げ惑うこととなった。だが、『深夜』の恐怖から逃れたのも束の間、即座に家中に満たされたのは重苦しい空気。

 大量の疲労も顧みずに探索して得られた成果はこのライト一つのみ。詳細は知らないが、その異常な光量から察するに恐らく『深夜』を徘徊するために作られた特殊なライトなのだろう。


「……違う……違う! どうして……あの人が……!?」


 ヨサメの充血した瞳は、二人をまるで見ようともしなかった。


「……ミズカ……私、もう一回パパを探しに行ってくる」


 ヒカリは憔悴した歩幅で玄関の扉を開き、切なそうな目でヨサメを見やった。


「……ま、待って! ……私も……」


 今のヨサメを独りにするのは心が痛む。しかし、ヒカリも放っておくことはできない。


 ――ヒカリとて、父親を失った哀しみは同じなのだから。


* * * * * * * * * * * * *


 しかし、結果は知れていた。

 どこを探し回っても、あの逞しい背中は見つからない。疲労はとうに限界を超えているというのに、それに見合う対価は全くもって払われない。

 散々動かした脚は休ませざるを得ず、今は図書館の外にあるベンチに座っている。

 ヒカリも隣に居てくれるが、その顔が晴れる目処は未だ立っていない。

 どうしたらいい。どうすればいい。

 どうしたら……この家族を救えるのか……


「――こんな早くから随分暗い顔してるが……どうした? 寝不足か?」


「少なくとも、寝不足なんかでこっちの金髪はこんなやつれた顔は見せないよ。何かあったんでしょ、どうしたのさ?」


「メイも一応心配しとくの」


 狭くなっていた視野は、その声を聞いた途端に心做しか明るくなった気がした。

 図書館前で休憩することにしたのは、彼らに相談を持ちかけるためでもあった。アサヒまでいたことは予想外だったが、何にせよ好都合である。


「アサヒ……レイとメイも……! お願い、聞いて!」


 藁にもすがる思いなのはヒカリに限ったことではない。

 立ち上がったヒカリの隣に並び、少女も律儀に頭を下げた。

 あの時見た事実を簡潔に伝えるには難儀なものだったが、今はそれに文句を言っている暇も無い。


 掻い摘んで説明すると、アサヒは分かりやすく血相を変え、普段冷静なレイとメイも今回ばかりは目を見開いていた。


「そ、それ……マジか!? だとしたらヤベぇ……俺、ちょっくら街全部見てくるぞ!?」


 アサヒは少しの迷いも無く、持ち前の有り余る体力に着火し、そのまま全速力で駆け出した。


「……グアンさんが行方不明……か。……まあ、あの足があればこれ以上二人が苦労することはないでしょ。本当は僕らも探しに行ってあげたいところだけど……その前に言わなきゃいけないことができた……」


 レイはもう一つのベンチに座ると、少女とヒカリを元居たベンチに視線で誘導した。メイはいつの間にやらレイの右隣の席を奪っている。


「――君たちが見た化け物だけど……多分僕も何度か見たことがあるよ。完全な黒を纏った巨体に真っ赤な一つ目……仮に無二の存在なら、僕が見たものと同一で間違いない」


「えっ!? 見たことある……って……まさかレイ、『深夜』に……」


「――二人は疲れてるだろうから合の手は要らないよ。安心していい。ヒカリでも理解できるように説明してあげるから」


 本来のヒカリならば、ここで反論の一つや二つしただろうが、その余裕はどうやら今の彼女に残っていないらしい。

 ヒカリは手すりを掴み、身を乗り出してレイに耳を傾けている。


「まず……そうだな。ミズカには言ったことなかったよね。信じるかどうかは任せるけど、僕は『深夜』でも目が利くなんだ。きっと君たちは明かりが無ければ目の前も見えないだろうけど、僕は違う」


 それは本来容易に受け入れられる事実ではない。

 しかしこの言葉を信じるならば、いつか聞いた『目が見える』の意味が漸く理解できる。

 何より彼はこの切迫した状況下で無意味な虚言を吐くような人間ではないと知っていた。


「それでまあ……ミズカと図書館で会って以来、僕は家の窓からずっと『深夜』を眺めていた。僕が初めてその化け物を見たのはこの時だ。当然驚いたさ。人間どころか、生物かどうかさえ怪しい巨体の何かが、家の前を通り過ぎていくんだから。……まあでも、そのお陰で一発で分かった。『深夜』が危険な本当の理由が……ね」


 レイがこの情報を伏せていたのは、余計な混乱や誤解を招くのを防ぐためだろう。

 特にヒカリに聞かせてしまえば、当然未知の恐怖に怯えて『深夜』に眠れなくなり、その影響は共に暮らす少女にまで飛び火しかねない。レイの底知れない思慮深さは最低でもそれが思いつくレベルだ。


「その日から今日までその化け物を観察した。案外収穫はあったよ。例えばそれは、『深夜』のうちの特定の時間に同じ方向から出現する。僕らの家の前だけに現れている可能性もあったけど、二人も見たというなら成り立つ推論は一つ。奴には特定の巡回ルートがあるってことだろうね」


「じゃあ私たちは……そのルートに偶然居合わせちゃった……ってこと?」


 ヒカリの問いにレイは無言で頷くと、そのまま続けた。


「グアンさんとヨサメさんがどうして『深夜』に外へ出ていたのか……その理由はまだ分からない。でも何にせよ、君らに非はないよ。慰めじゃなく、客観的に判断すればそうなるからね」


「――とか言いながらお兄ちゃんは二人を慰めようとしてるの。お兄ちゃんに感謝するの」


 唐突にレイの話に水を差したのはメイだった。

 レイは「余計なことを言うな!」と小さく怒鳴りながら、メイの両頬を抓っていた。

 慰めプランにどこまで組み込んでいたかは定かではないが、二人の仲睦まじい様子は結果的に少女とヒカリを笑顔にした。

 笑われたことに気づいたレイは、即座にメイの頬をバチンと手放すと、軽く咳払いした後に席を立った。


「それじゃあ、僕らも探しに行くことにするよ。グアンさんのことは僕らとアサヒに任せて、二人はヨサメさんに付いてあげなよ」


「で、でも! パパを見つけないとママは全然……」


 奥でメイがひりつく頬を優しく揉んでいる中、レイは


「――大切な人を失った時は……誰かがそばに居てあげないとダメなんだ」


 そう言い残したレイの背は、形容し難い悲嘆を宿していた。

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