第二章8 『焦燥』

 ――どうして……?


 知らない。こんな惨劇は知らない。視界に広がるこの真紅は一体何なの?

 こんな筈じゃなかった。違う、違う。こんな結末は望んでない。

 やめて。やめて……! そんな目で見ないで……


 ――ヒカリ……ちゃん……


* * * * * * * * * * * * *


「何恥ずかしがってんの〜。ミズカもレイもメイも、み〜んな可愛いじゃ〜ん」


「ダッハハハハハハハ! レイも……可愛いと……ふふっ……思うぜ?」


 この世界に転生してから一週間が経過した。

 あの日図書館でレイとメイに出会ってからというもの、時間さえあれば毎日五人で集まっていた。

 初めてと言って相違ない友達と遊び歩くこと自体は、少女にとって願ってもないことではあったが、今回ばかりはそうもいかなかった。


 ――視界に広がるこのは、一体何だ。


 遡ること数分前、ヒカリが服を見たいと言ったのが原因だった。

 この時入った店がそもそもおかしかったのだ。

 ヒカリやアサヒが着ているような素朴な服も、レイやメイが着ているような古着も売っていない。売られていたのは、目を痛めつけんばかりの派手な礼装ばかり。

 値段も相応であり、とても手を出せるような代物でないとすぐに判断した筈なのに、ヒカリとアサヒが何やら悪い目配せをしていたことに気づけなかった。


 それに気づいた時には、既に遅かった。一瞬の隙もなく、少女とついでに双子兄妹も、女性店員に試着室へと運ばれていた。

 少女は今、全く似合っていない鮮やかなドレスに身を包まれている。その両隣には子供用のドレスを着用させられたレイとメイがいた。

 レイに関しては性別の境界を無視されているので、一番可哀想な可能性さえある。


「……そ、そんな目で……見ないで……」


「メイ……あいつら……殺そう……」


「メイもお兄ちゃんと同じ気持ちなの……」


 レイとメイが目の陰を大きくしていく中、ヒカリはニヤニヤとこちらを眺め、アサヒは腹を抱えて笑い転げていた。

 すると、先程少女たちを無理やり運んだ店員が、今度はヒカリとアサヒの肩に手をかけた。店員は無言の圧と共に、ニコニコと二人に笑いかけている。


「「……えっ?」」


 二人が疑問の表情を浮かべたのも束の間、一瞬のうちにもう一つの試着室へと放り込まれてしまった。

 店員も近くにあったドレスを素早く手に取ると、勢いよく同じ試着室に入った。

 その後、数分もしないうちに、試着室のカーテンは開いた。


「ななななななな何これぇ!! 何で私たちまで〜!」


「俺もう……お婿に行けない……」


 恥ずかしそうに縮こまるヒカリと、この世の終わりのような顔で虚空を見つめるアサヒ。

 それを見て大笑いするレイとメイ。

 色々あっても、結局こんな光景をいつも見ていた。

 この四人と過ごすと、毎日が結局楽しくなる。

 そして、少女も遅れて笑う。


 ――そんな平和な日常を、夜は包んで離さない。


* * * * * * * * * * * * *


 その日帰った後、少女とヒカリはすぐに就寝していた。

 外でそれなりの距離を移動しているために、家で疲労が漏れると大概こうなる。

 問題無く熟睡できているというのは、少女の心が大きく変化した証でもあっただろう。

 そんな幸福から少女の目を覚まさせたのは、ヒカリの焦り声だった。


「――ミズカ! ミズカ! 起きて!」


「……んんっ……どうしたの……?」


 目を開くと天井の光が網膜を眩しく貫き、眼前のヒカリを捕捉するのに時間を要した。

 喉が詰まって上手く言葉が出なかったことが気にもならない程、ヒカリの表情は緊迫していた。

 優しい彼女が眠りを妨げる程の要件など、寝起きの少女にはとても思いつかなかった。


「――パパとママがいないの! ミズカ、何か知らない!?」


 それを聞いて、咄嗟に壁の時計を確認する。嫌な予感は的中するものだ。

 時計の針は間違いなく二時を示している。要するに『深夜』だった。

 この時間に家の中にいないとなれば、事態は最悪以外のどれでもない。


「……し、知らない……本当に……家にいなかった……?」


「何回も探したよ! でも……まだわかんない……よね? お願い! ミズカも一緒に探して!」


 結果は徒労。案内されたことのない部屋まで探しても、焦り急かされ息を切らすのみ。

 必然か偶然か、再度合流した時に二人の視線の先にあったのは玄関の扉だった。


「……ミズカ……わ、私……」


「……だ、駄目だよ……! ……『深夜』は……危ないって……」


「――でもっ! パパとママが……!」


 ヒカリの瞳は、大粒の涙が零れ落ちる寸前だった。

 きっとその潤みは、『深夜』に対する恐怖などではなく、純粋な親への心配だろう。


「……私……探しに行く。ミズカは家で待ってて。大丈夫、パパとママを見つけたらすぐ帰ってくるから!」


 ヒカリが袖で涙を拭うと、覚悟を決めたように言い放った。

 少女の手を強く握る彼女は、本当に人を安心させるのが上手い。

 ヒカリの掌の温かみは、容易く不安を取り払う。手が離れてもなお、まだじんわりと残っているこの感覚を忘れたくない。

 だから……!


「――私もっ……! 一緒に行く……!」


 握り返した手は、力を間違えていないだろうか。

 ヒカリの気持ちに応える言葉は、これで正解だっただろうか。

 それらの答えは全て、ヒカリの表情に現れていた。


「……ミズカ……ありがとっ! 本当はさ……一人で『深夜』に外へ出るの、怖かったから……さ。でも、ミズカと一緒なら、きっと怖くないと思う。い、一応確認するけど、嘘じゃ……ないよね?」


 ヒカリはすっかりいつもの調子に戻っていた。

 きっと今少女が頷けば、ヒカリはまた幼児のように喜ぶのだろう。

 直に見られるその姿が待ち遠しいとさえ思う程に……


 ――ヒカリを失うのが怖いんだ。

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