第二章7 『咲』

「夜に……覆われてる?」


 突拍子もない言葉がレイの口から飛び出したことで、ヒカリの頭は更に混乱していた。

 しかしそれは少女も同じであり、この世界に仮に太陽が存在していたとしても、それが消失した理由までは判然としなかった。


「その本に書いてあるのは『太陽』だけじゃない。点々と輝く『星』というものも、夜には無数に空に浮かんでいたって話だ」


「『星』……?」


 ヒカリはすぐに図書館の窓から星を探し始めたが、当然数秒もせずに戻ってきた。


「この本と僕の推論を信じるなら、かつてこの世界には『太陽』と『星』があったことになる。ならどうしてそれらが全て消えたのか……」


 少なくともレイの推論は夢物語ではなく、事実である可能性を大きく孕んでいる。そうなれば、この本の内容も同様に事実である可能性が高くなる。

 しかし、太陽だけでなく、星まで消えたというのは一体……


「普通に考えれば、そんなことありえない。そうして辿り着いた結論が、さっきのだよ」


 ――夜に覆われている。


 その言葉の意味を、少女はたった今理解した。

 太陽や星は消えたのではなく、だけだ、ということだろう。

 少し頭が整理されてスッキリしたところで隣のヒカリを見てみれば、ヒカリの首の角度は反対にますます大きくなっていた。


「でもでも、夜に覆われる……って、何? 太陽があったとか無かったとかよりも、そっちの方がよく分かんないんだけど……」


「それも至ってシンプル話だよ。僕らも既に経験したことがあるはずだ。ほら、窓の外を見た時、まるで家が夜に覆われているみたいに、何も見えない時間があるでしょ?」


 今度はヒカリもすぐに合点がいったようで、「なるほどなるほど〜」と小さく呟きながら何度も頷いていた。


「『深夜』――この時間は不可解なことだらけだ。きっとそこに謎は隠されている……」


「謎は隠されてる……って、レイ!? まさか『深夜』を調べようとか思ってないよね!? いくらレイでも危ないって!」


「……目が……見える……?」


 素朴な疑問が少女の頭によぎったが、二人の会話を邪魔しないようにと小声で呟くだけに留まった。


「僕が言いたいのはそれだよ、ヒカリ。『深夜』に外に出て、帰った人はいない。簡単に道に迷うし、どこに犯罪者がいるか分からない。だから、絶対に『深夜』に外を出てはいけない。でも、僕はこの決まりを聞いてからずっと思い続けてたことがある」


 ヒカリは再び首を傾げ、怪訝そうな顔でレイを見つめていた。

 しかし、少女は反対にレイの思考に追いついてきていた。


「……でも……それだけの理由で……行方不明に……?」


「……そうなんだよ! ミズカ……だっけ? 君は二人と違って話し甲斐があって助かるね」


 レイが穏和な目を少女に向けていたことに気づき、少女の挙動はアサヒと対面した時と同様怪しくなった。

 こういう時、隣のヒカリを見ると安心すると知っている。


「確かに『深夜』は盲目故に危険だ。でも、それだけなんだ。帰ってきた人がいないと豪語されるほどでは到底ない。道に迷ったって、三時間経てば帰れる。犯罪者が仮にいても、暗闇の中じゃ誘拐する側だって一苦労だ。なのに……そのはずなのに……」


 レイはなぜか口惜しそうに声量を落としていった。

 それでも、少し間を空けるとレイは続けた。


「僕の…………知り合いは、『深夜』に外へ出たっきり帰って来なかった。行方が分からなくなってから三年は経つけど、目撃情報は一度もない」


「……暗闇の中で……数時間のうちに行方を……ですか……」


「……その通りだ。計画していても難しいようなことが、現に起こっているんだ。だからきっと……『深夜』にはもっと別の――」


 レイがその先を言おうとした直後、少女の右半身に軽度の衝撃が走った。その衝撃の正体は何を隠そう――なぜか抱きついてきたヒカリである。


「――怖い話はやめてぇ〜〜!!」


 ヒカリの泣き顔での叫び声は一瞬で図書館内に響き渡り、数秒もしないうちに受付のお婆さんを再び召喚すると、案の定アサヒと同じ末路を辿った。

 レイは呆れた顔で見ていたが、一方少女はそのくだりを微笑ましく思っていた。


「あの二人はいつも……はぁ……まあいいや。今回は良い人紹介してくれたしね」


「……えっ? …………えっ!? ……いや、あの……えと……!」


 そうしてレイが見つめる先にいたのは、紛れもなく少女だった。

 少女に瞬く間に緊張の稲妻が走り、思考ばかりが空回りして動けずにいた。

 今度は隠れられる背中が無く、気を落ち着ける暇も無い。

 激しく鼓動する心臓が限界まで張り詰めた時、少女の左腿に柔らかな感触が伝わった。


「……お兄ちゃん……ほんとにミズカお姉ちゃんのこと気に入ってるの。……許せないの」


 感触の正体はメイの小さな拳だった。

 その後も左右の手で交互に攻撃してくるが、アサヒの時ほど勢いもなければ痛くもない。

 そんなメイを見ていると、いつの間にか緊張はどこかに消えていた。

 ヒカリを見る時と似ているような……そうでないような、どちらにせよ、自分が人と関わることを重く考えすぎていることに気づかせるものだった。

 何より……


「……かわいい……」


 そう言って、少女はメイの頭を撫でた。普段の少女からはとても信じられない行動だが、今回は何か事情が変わったのだろう。

 整えられた桜色の髪のサラサラとした感覚は、次第に少女の心を落ち着けていった。


「……な、何してるの! やめるの〜!」


 嫌がるメイの素振りさえ愛らしく、少女はやめようという気が微塵も起きなかった。

 それどころか、少女は笑っていた。微笑み以下ではあるが、自分で笑っていると気づかない程度に。


「良かったら今後も図書館ここに来てよ。実は僕ら、ここの隣のミツさんの家にさせてもらってるんだ。基本ここにいると思うし、来てくれたらメイの頭撫でていいからさ」


「お兄ちゃんが勝手に決めないでほしいの! 困るの!」


 ミツさんというのは、恐らく受付のお婆さんのことだろう。名札に確かそう書いてあったのを見た。

 しかし、まだ幼い二人だというのに居候とはどういうことだろうか。

 今聞こうかとも思ったが、無意識に撫で続けていたメイに怒られてしまったので先送りになった。


「……じゃあ、また来るね」


 二人に背を向け、図書館を後にする。レイはともかく、小さくはあったがメイまで手を振ってくれていたのは何だか予想外だった。

 結局本は殆ど読めていないが、少女が一冊だけ受付に渡した本に、それ以上の大きな収穫が詰まっていた。


 そして出口の扉を開くと、倒れているアサヒの頬をペチペチと叩き、目を覚まさせようとしているヒカリの姿が映った。


「あっ! ミズカ、もういいの?」


「……うん」


「ちょっと〜、アサヒ〜。……ったくも〜……たかが子供のパンチで自警団員が情けないったらないわね〜」


 アサヒの両腕を引き上げたり、転がしたりしてどうにか彼を運ぼうとしているヒカリの姿を見て、少女の心は決まった。


「――ヒカリちゃん……!」


「ん〜? どしたの?」


「……今日は……ありがとう……! 楽しかった……!」


 不変の夜を纏う空の下、黄色い薔薇はそっとえみをこぼした。

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