第二章3 『思わぬ弊害』

「……本当に……夜だ……」


 長時間に亘るルームツアーが終わり、ヒカリの部屋に掛かっていた時計を確認すると、既に午前の七時を回っていた。

 だというのに、窓から眺める空は変わらず闇のままだった。

 ヒカリの話によれば、この街――ノクソールは常にこうであり、『太陽』という概念が存在するのは、神話や御伽話の中だけである、とのこと。

 更には、〇時から三時にかけては『深夜』と呼ばれており、至近距離の物体でさえ光源を近づけて漸く見えるレベルの闇に覆われる時間帯だという。

 故に、『深夜』に外を出歩いていると、いとも容易く行方が晦み、犯罪にも巻き込まれやすい。

 これで、ヒカリが必死に少女を連れ帰った理由がはっきりした。

 しかし当の本人は、ルームツアーを終えると「きゅうけ〜い」と言いながら、自身のベッドに突っ伏し、そのまま幸せそうな顔で寝落ちである。

 責任感があるのやら無いのやら、と言った具合だった。


「……そういえば……」


 少女は眠っているヒカリを起こさないようにゆっくりと部屋を去ると、そのまま階下に降りてリビングへと向かった。

 すると、案の定ヒカリの両親がいた。

 父親は作業服のような装いに身を包んでおり、どうやら丁度仕事に行くところだったらしい。

 母親はキッチンで恐らく父親の『朝?』食の皿を洗っていた。


「……あっ……えと……おはよう……ございます……? ……こんばんは……?」


「何だっていいぞ〜。昔話じゃ、この時間帯は前者だな。昨日は一日中二階からガタガタ聞こえてたが、ちゃんと寝れたか? ハッハッハ!」


 夜の世界における思わぬ弊害が生み出した惑いを、父親の豪快な笑いが吹き飛ばした。

 正確には一睡もしていないが、少女にとっては眠れない日の方が通常であったため心配はほぼ無く、適当に頷いて返した。


「そういや……あいつに任せっきりで、俺たちの名前も教えてなかったな? それともあいつから聞いてるか?」


「……は、はい。……グアンさんとヨサメさん……ですよね?」


 父親のグアンは街灯の整備士をやっており、毎日朝早くから各地の街灯に異常がないかを確認しているらしい。

 夜しかないこの世界において、街灯の有無は生活に大きく関わってくるため、殆ど毎日働き詰めなのだそうだ。


「――はい、これミズカちゃんの。口に合わなかったら、遠慮せず言ってね? ヒカリは……多分寝てるわね」


 ヨサメはダイニングテーブルに食事を置くと、またキッチンへと戻って行った。

 このようにヨサメは家事全般をこなしており、最近は家計の負担を減らすために家庭菜園を始めたらしい。

 ヒカリもその手伝いに頻繁に駆り出されては、泥だらけになって帰るという話だ。


「……ありがとう……ございます。……えっと……美味しそうですね」


 少女の無駄な間のせいで何となく虚偽に聞こえるが、本心だった。

 少し太めの焼き魚に、白いスープとパンらしき主食がそれぞれ一つ。少女の知る典型的な朝食と大した差は無かった。


「うふふ、ありがとう。それで、結局どうすることにしたの?」


「……はい……少しの間だけでも、構わないので……よ、よろしく……お願いします……!」


「んな緊張するこたあねえよ。見た感じ、ヒカリあいつよりは大人しそうだ。俺たちの負担になって追い出すことになるようなら、まずはヒカリあいつからだから安心しろよ。ガッハッハッ!」


 笑って良い冗談なのか判断できず、結局苦笑いで済ませてしまったが、やはりグアンは少女の不安を笑い飛ばす。

 そのままグアンは仕事に向かい、それを見送った背後ではヨサメが意気込んでいた。


「それじゃあご飯食べたら、早速お手伝い、頼んじゃおうかしら? はいこれ、あの子が『紫色は私に似合わないもん!』とか言って、着なかったやつが丁度余ってたのよ〜」


 いつの間に持ってきたのか、ヨサメは衣服を抱えていた。

 グレーの布地に添えられた紫が目立っており、見た目はヨーロッパ風のワンピースを模しているようだった。

 ヒカリが着ている物と恐らく同じタイプであり、違うのは多少のデザイン程度。


「……は、はい……! ……が、頑張ります……!」


 ただの手伝いだというのに、着任式のような緊張感を持って、少女はその服を受け取っていた。


* * * * * * * * * * * * *


「眠たいよぉ〜……お腹空いたよぉ〜……」


 情けない声を出していたのは、寝起きのヒカリだった。

 先程から時々鍬の柄の先で頬杖をついているところを、『食事抜き』という脅しでヨサメが働かせるというのを繰り返している。


「あら〜! 綺麗に植えられてるじゃない! とっても器用なのね!」


「……い、いえ……そんな……あ、ありがとう……ございます……」


 体力仕事が苦手な代わりに緻密な作業に何かと慣れていた少女は、頼まれた作業を問題無くこなしていた。

 太陽の無いこの世界で、植物がどうやって育つのかという疑問は早々に捨て、自分を拾ってくれた家族のために役に立とうと、忙しなく手を動かしていた。

 眠気のせいか時折バランスを崩して転ぶヒカリを横目に微笑みながら。


「――おーい! ヒカリー!」


 突如街道側からヒカリを呼ぶ声が聞こえた。その方向を振り向くと、短い茶髪の少年がこちらに向かって大きく手を振っていた。


「アサヒ! どうしたの〜!?」


 ヒカリは鍬を地面に刺すと、アサヒと呼んだ少年の元へ一目散に走っていく。

 ヒカリの反応的に、恐らく同年代の友人だろうか? もちろんそれ以上という可能性もあるが……

 何にせよ、自分には無関係の話だと割り切った少女は、そのまま黙々と作業を続ける。

 あの性格だ。友人は当然多いに決まっている。


「――なあ、あの子誰だ?」


「ああ、ミズカのこと? おーいミズカ〜!」


 その声を聞いた途端、少女の背筋が大きく震えた。

 背を向けている知らない人間を、どうして気に留めたのだ。

 理由は定かではないが、今はただ振り返るのが怖い。

 聞こえなかったフリでは押し通せない。一体どうすれば……


「――ミズカ? どうしたの?」


 少女の肩に、思ったよりも移動が早かったヒカリの手が置かれた瞬間、少女の背筋は再度震え上がった。

 流石に振り返らざるを得ず、目を逸らしながら思考を回す。


「……い、いや……その……ヒカリちゃんと彼とのお話を……邪魔するわけには……」


「な〜に水臭いこと言ってんの〜。……あいやまあ、私は土臭いかもしんないけど……ってか、私とアイツはそんなんじゃないから! それよりも、早く立って!」


 ヒカリに腕を引かれるのは、これで何度目だっただろうか。

 あっという間に、例の彼の目の前に召喚されてしまった。

 彼の目など当然見れず、結局おどおどしていると、先に彼の方から切り出した。


「……やっぱ見たことねえな。まさか別の街から来たわけじゃねえだろうけど……まあいいや! 俺、アサヒ! よろしくな!」


 そうして差し出された純粋な手に、少女の心は発狂した。

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