第二章 『夜の世界』

第二章1 『闇夜に惑う』

 ――おかしい。


「……死んだ……はずじゃ……」


 確かに少女は死んだ。

 家族崩壊の怨みを買い、頸動脈を貫かれてその生を終えたはずだった。

 確認のために首筋に軽く触れようとすると、首に掛かっていたヘッドホンがそれを阻んだ。


「……ここ……は……?」


 ふと周囲を見渡してみれば、そこは街道だった。

 どこか西洋的な街並みで、人も大勢……というほど多くはないが、それなりには賑わっている。

 ただ少し不思議なのは、太陽も星も月も見当たらない空虚な闇の空が、街の頭上に広がっていたことである。

 街灯や一部の人がぶら下げているランプが淡く煌めき、街の主な光源を担っていた。


「……人……? キーラは……」


 どこを見回しても、少女の呼ぶその子はどこにもいない。

 しかし会わせる顔がないので、特別懸命に探そうという気も起きなかった。


 周囲を見渡し続け、少女は徐々に気づいていく

 そして、最期に聞いた言葉を、たった今思い出した。


「………………」


 それを口にすると、少女の身体から自然と力が抜けていき、偶然あった背後の壁に凭れて腰を下ろした。

 首のヘッドホンを俯いた頭へ静かに装着し、瞼を閉じて外界を切り離す。


 ――もうこれ以上傷つきたくない。


 少女は己の運命を悟っていた。

 自分が生きているだけで、自分を取り巻く全てが不幸になる。

 嘗て家族が崩壊したのだって、きっと自分が原因なのだろう。

 学校で虐められている自分を見て、周囲の人間は│さぞかし怯えていただろう。

 死んでおくのが正解なのだと、当時の自分でさえ理解していたはずなのに……最後まで自分は、自分のことばかりを考えていた。


 あの森の世界でもそうだった。

 自分が身勝手に生きようとしたせいで、無垢な女の子とその家族を亡き者にした。

 自分のせいで……自分のせいで……


 酷く憔悴したその顔からは、喜怒哀楽のどれも感じられない。

 『虚無』――それだけが、少女の全身を埋めつくしていた。


「――何し……の?」


 突如、少女の虚無な肩が優しく叩かれた。

 そして、切り離していたはずの外界が、急激に少女の内へと入り込み、の淡い光が瞳の中で乱反射する。

 ぼやけていた視界が晴れると、そこには一人の女の子がいた。


「き……てる? もし……て……」


 すると彼女は少女のヘッドホンを外し、再度言葉を紡いだ。


「もしも〜し、聞こえてる? さっきからずぅーっと話しかけてたんですけど〜?」


 少女は沈黙を貫いていた。

 というより、相手にかける言葉が見つからなかった。

 ただでさえ内気な少女が、このような状況で開ける口を持ち合わせているわけがなかった。


「これでも聞こえてないの!? じゃあこの耳についてたのは何なのよ……まあいいや。まだ耳に何か……」


 そう言って彼女は少女の耳に触れる。

 しかし、どれだけチェックしても何も無いものは無い。


「何も無いじゃん! じゃあ何で聞こえてないの!? あっ……もしかして……耳の病気か何かで……ってことはこの変なのって、病気を治すための治療具だった!? どうしよどうしよ! 勝手に外しちゃったぁ……!」


「……ごめんなさい……聞こえて……ました……」


 一人で焦り始める彼女が可哀想に見えてきたので、少女はそれとなく言葉を返した。

 その言葉を聞いた彼女は、どうやら色々と安心したらしく、自身の胸を深く撫で下ろすと再度少女の目を見つめた。


「無視してたことは置いとくとして……こんなところで何してるの? もうすぐ『』だよ? 早く帰らないと危ないでしょ?」


「……そう……ですか……」


 内容的には注意喚起らしかったが、少女にとっては何でも良かった。

 少女の目的は、とにかく自分と関わる人を減らすこと。

 それ故に目を逸らし、いい加減な返事をしてみせたが、どうやら彼女にはそれが気に入らなかったらしい。


「そうですか……じゃないって! 何でそんな無気力なの!? いいから早く帰らないと……!」


「――やめて……!」


 そう言って少女を引っ張り上げようとした彼女の腕を、少女は反射的に振り払った。


「……あっ……ご、ごめんなさい……」


 少女自身も無意識に振り払ったことに驚き、即座に謝罪する。

 彼女もかなり驚いた様子だったが、少女の申し訳なさそうな表情を見ると、すぐに穏やかに微笑んだ。


「……ううん……こっちこそごめん。あなたの事情も知らないで、ちょっと強引だったよね。私、ヒカリ。ああ、あなたは無理に名乗らなくても――」


「……瑞香みずか……です」


 ヒカリの配慮を良い意味で無下にしたのには、特に理由は無かった。

 誰かと関わらないことを一貫しようという意志は、確かに心の表面上にあったはずだ。

 強いて言えば、心の奥底で彼女のような存在を求めていたからだろうか。

 ――自分と遠慮なく会話をしてくれるような、そんな存在を。


「ミズカ……やっぱり聞いたことないや。あなた、どこから来たの? というか……こんなところで……って、私またグイグイ話しかけちゃった……! ご、ごめんね?」


 話すだけ、このひと時を僅かに楽しむだけなら、罪にはならないだろう。

 そう考え、少女は重たい口を開いた。


「……大丈夫……ですよ。……別に……何かをしていたわけじゃなくて……ただちょっと……考え事を……」


「考え事……やっぱり、何かある……んだよね? 私で良かったら話聞いちゃうぞ〜! ……なんて……えへへ……」


 照れくさそうにヒカリはそっぽを向いたが、何度かチラチラとこちらの様子を伺ってくる。

 きっと、彼女は優しいんだ。そう思うと、少女の口角はほんの一瞬だけ緩みを見せた。


「……ありがとうございます。……でも……気にしないで……ください。……お気持ちだけで……十分嬉し――」


 少女が寂しそうにヒカリの提案を断ろうとした矢先、突然ヒカリの「あっ!?」という声が街道に響いた。


「――あとちょっとで『』だよ! 早く! 早く帰らないと! ミズカの家は!? 送ってくから早く!」


「……えっ? ……あっ、いや、その……家とかは無くて――」


「だったら私の家! ついてきて!」


 またも少女の言葉は遮られた。次の瞬間には腕をがっしりと掴まれ、街灯が淡く照らすの街並みを駆け出していた。

 その一連の流れに少女が既視感を覚えていたことは、家に着く頃にはすっかり忘れてしまっていたのだった。

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