第一章4 『憧憬は不意に』

 大樹に空いた天然の門を潜るなり、少女は緊張していた。

 何を隠そう、少女が他人の家を訪れたのは、記憶も不鮮明な程幼い頃が最後である。

 故に何とも落ち着かない様子で、巨大な一枚の木目の床を一歩一歩丁寧に歩いていた。


「あっ! これ、みてくれ!」


 それを聞いた少女は、俯いていた顔をキーラへと向けた。

 そしてそのままキーラの指を差した方向へ視線を向けると、そこには少女の緊張をより増幅させる物があった。


「……えっ? 何、これ……」


「オレたちがいままでくってきたどうぶつたちをかざってるんだ! かっこいいだろ!」


 十数体の動物の頭が、左右の壁に等間隔で飾られているその光景は、第一に狂気というのが相応しく思えた。

 牛のように見えたり、虎のように見えたりする物もあったが、それらも含め、全てが少女の元いた世界には存在しない『異形の生物』の頭であった。


「……す、凄い……ね……」


 動揺しつつも何とか褒め言葉を繕うと、キーラは分かりやすく口角を上げて笑った。

 そんなキーラに対し、少女はキーラに恐怖を感じていた。

 キーラが一時も離すことのない右手の槍だけでなく、時折見せる子供らしい仕草や、その無垢な表情にさえも。


「パーとマーがいえからでられないからな。オレがパーとマーのくいもんをもってかえってきてるんだ! あっ、ここ、のぼってくれ」


 気を良くしたキーラは、自身の功績をより詳細に伝えつつ、丸太の螺旋階段を数段登っていた。

 少女も特に返事もせずに静聴し、その背後をついて行くが、二人のは僅かに、しかし確かに広がっていた。

 そして、階段を登り切って階が変わるなり、少女はまた驚愕した。


「……えっ……凄い……」


 今度は適当に当てはめた言葉ではなく、自然と少女の口から出ていた。分かりやすく語彙力が喪失させられるほど、その光景は驚くべきものだったのだ。

 階下がただの通路だったのに対し、少女の視界に入ってきたのは、紛れもない家内だった。

 外から見えていた窓のような四角い穴、丸太で作られた大きいテーブル一つと椅子が三つ。更には、同じく丸太で出来上がっているにも関わらず、何故か延焼せずに完成されている暖炉まであった。


「オマエはこのあたりでまっててくれ! まあ、そとにでないでくれればダイジョーブだけどな!」


 そう言った途端、キーラはどこかへ走り出し、少女がそちらを振り向く頃には既に姿を消していた。


「……あっ……行っちゃった……」


 待て、とは言われたものの、目の前に広がる家庭感溢れる環境は、少女の足を動かす。

 眺めるだけでも甦りかけていた少女のとある思い出が、歩みを進める度に形を作っていく。


 不幸だと感じていなかったあの頃――まだ家族三人で食事を楽しんでいたあの頃は、少女が転生した以上、もう取り戻すことはできない。

 いや……あくまで取り返しがつかなくなっただけであり、転生する以前から既に取り戻すことなど不可能だったのだ。

 ……父親が母親に殺され、自分も殺される寸前だった元の世界は、今頃どうなっているのだろうか?


 丸太のテーブルに触れ、何となくそんな想像をするが、未練もやり残したことも無い少女にとって、そのような想像は無駄だった。悲しみも怒りも想起させず、ただ呆れるばかりの過去だったと振り返り、その手を離す。

 そして、手を離すと同時に、ふと不思議に思う。


「……台所……ないの……?」


 食事といえば、と思い出し、辺りを見回してみるが、調理場が見当たらない。

 階下で見た動物の頭からして、食事は間違いなくしているのだろうが、調理をせず食べることなどな以上、調理場が無いはずがなかった。


「…………生で……食べてるの……?」


 何周見回しても、らしい場所さえ見つからないことで、少女はまたキーラに恐怖を覚える。そして、その両親にまでも同様に恐怖が及ぶ。

 少なくともこの世界で生きるためには、この家で暮らす必要がある。そして、そうするためにはキーラの家族との関係の構築以前に、自分が暮らせる環境が整っている必要があるのだ。

 これからの未来を想像した少女は、早足で調理場を探し始めた。


「――どこ……?」


 調理場を探しているついでに、食器の存在も確認できなかったことが、少女の足をより力ませる。

 先の部屋を出て、右へ左へと駆け回る。その過程で、沢山のドアの無い小部屋を見つけるも、勝手に入って良い場所なのかどうかを少女は知らない。

 無論少女は、それら全ての部屋に入ることを躊躇っていた。


「……はぁ……どうしよ……」


 ため息をつきながら、少女は結局仕方なしに元いた場所へと戻ってきていた。

 普通の人間らしく生きたいと願い、転生の道を選んだ。

 にも関わらず、このままでは異形生物を蛮族のように貪り食う生活が始まってしまうかもしれない。

 そう危惧すると、少女の身体は無意識に縮こまり、そのまま部屋の隅へとうずくまった。

 先が思いやられる状況だが、まだそうなると確定しているわけではない。

 やはり素直にキーラを待ち、その後に両親にも話を聞いて、もしものことがあれば諸々配慮してもらおう。

 そう言い聞かせ、一旦心を落ち着かせようと試みる。


 ――ドンッ……


 そんな最中、突然の物音が少女の右隣から響いた。

 しかし、少女の右隣は壁であり、指し示すところ、発生源はその壁が隔てている隣の部屋からだった。


「……キーラ……?」


 何気に初めてその名を呼び、立ち上がってそちらへ向かう。

 そして、部屋の前まで辿り着くと、危うく未解決になりかけていた問題の手がかりがあった。

 その部屋は唯一扉のある部屋であり、扉には子供らしい字が彫刻されていた。


「……ごはん……?」


 恐らく食事場であろう場所が見つかったことに安堵する。

 わざわざ部屋を分けているのだから、きっとここに、調理場もあるに違いない、と考えた少女は、軽く扉をノックする。

 しかし、何故か反応が無い。

 念の為もう一度ノックをするも、やはり無反応であった。

 物音が気のせいだったにしろ、食事場をこの目で見ないことには完全な安心が得られない。

 故に、今度は躊躇せずにその扉を開くことに決めた。

 恐る恐る……とまではいかないが、人様の家の部屋を勝手に覗くからには、それなりに慎重に扉を開いていく。

 しかし、徐々に隙間から光が差し込んでいく様子を見て、疑問が生まれる。


「……やっぱり……誰も……」


 予想通り、直前まで人が活動していたような雰囲気は感じられなかった。

 もう半分ほど開けてしまった無人の部屋の扉を、まだ慎重に開ける必要など無い。

 そのため、少女はすぐさま調理場問題の解決へと思考を切り替える。


 ――そうして……少女はその扉を完全に開いてしまった。同時に光の差し込む入口も広がり、部屋の中が薄明るく照らされる。


「――ひっ!! ……な、何……これ……!」


 少女が部屋を開いて見たもの――それは、薄明かりに照らされ、蠢く紅梅色の『何か』だった。

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